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(お題:タイムスリップ
言語の壁、コミュニケーションの今昔)
なんでそんなことがわかるかって?
それは同室のロバートが大のアニメ好きで
日本語がペラペラだったからだ。
じゃあロバートに
直談判して貰えばいいじゃないか
という話だが、なんということか。
彼はこれを面白がって
決して協力してくれない。
「お前がいなくなったら
ジャパニーズアニメの話を
聞けなくなるだろ?」
ロバートはそう言って
いつも気楽に澄ましている。
他人事だと思いやがって。
?
こうなったら
兎にも角にもにも上官にかけあうしかない。
しかし実際、部隊長はトニーのことについて
毎回頭を悩ませていた。
そして、毎回の珍騒動に
もはや呆れ果て、疲れ果て
ある種の思考的虚脱状態に陥っていた。
もはや筆山がトニーでなくても
軍事演習ができれば問題ない
という考えにまで堕落していた。
なんたる軍務違反であろうか。
もしそんなことが露見したら
国際問題になるとは思わないのか。
しかし彼は、訓練中以外
魂が抜けたように
コーヒー片手に
中空に目を彷徨わせるばかりで
そのくせ、そのコーヒーは一口分も
減っているところを見たことがない。
軍人、失格。
もはや廃人である。
筆山は戦時中、丙種に分類されて
戦役を逃れた太宰治のことを
極地的に羨んだ。
何故に文人墨客たる己が
こんな兵役を強いられねばならんのか。
何故にこんな
物騒な軍服を着ねばならんのか。
太宰だって着なかったのに。
まして我が日本国民の大半は
未だ大局を見ず
平和ボケの真っ最中だというのに。
いつ果てぬ仮想塹壕戦の中に
渦巻く煉獄の中で
己だけが外国人として
終わりなき旅路を歩かされている。
このままではこの先の行き止まりに
骨を埋めることになってしまう。
なんとかしなければ。
そう思いながら
筆山は今日も黄ばんだ
トニーの軍服を一人洗い続けていた。
漂白剤を入れすぎて
もはや迷彩柄が寒冷地仕様になりつつある。
一度、漂白剤の海に顔を突っ込んでみたが
残念なことに頭の中が
真っ白になることはなかった。
「おいおい、なんだ白い顔して。
ジョーカーに憧れてテロでも起こす気か?」
ロバートの馬鹿笑いが兵舎の窓から
広がる空に吸い込まれて
異国の空気を震わせた。
筆山の拳も震えていた。
青空の中に、消えた編集者のニヤつきに
似た雲が流れていた。
あってもなくてもいいような雲だったが
それはとても遠くに感じた。
目を閉じると、祖国も遥か彼方に浮かんだ。
浮かんで飛んで壊れて消えた。
筆山はその日も一日
異国で泥と砂塵と思弁の海に沈んだ。
そして夜。
いつものように硬いベッドの上で
丸まって微睡みに堕ちた。
二段ベッドの上の
ロバートの寝言が微かに聞えた。
「Keep your head down… Tony…」
?
目が覚めると、激しい轟音が響いていた。
筆山は泥濘の中に這いつくばっていた。
なんということだ。
己は軍事演習中に微睡んでしまったのか?
しかも昨晩寝入ってから
ここまでの記憶が飛んでいる。
ストレスか?頭でも打ったか?
それともロバートの放屁か?
昨日の晩飯には確か香辛料が多かった気が…
「Keep your head down!
頭を下げろ!トニー!」
前方でロバートが叫んだ。
瞬間、彼方から機関銃の鉄の刃が
容赦なく地表を薙ぐように襲い掛かった。
伏せて尚ギリギリのところを狙ってきた。
おかしい。
気付けば塹壕がいつもより深い。ガンッ。
後方で鉄塊が鉄兜を叩く鈍い音がした。
更に遠方で兵士たちの叫び声が聞こえた。
機銃掃射の音に混じって、あちこちから
悲鳴、怒声、呻き声が聞こえる。
なんだ?一体これはなんだ?
「ロバート、一体こりゃどういうことだ?」
「ああ?何がだよ」
「こりゃ本当に軍事演習なのか?」
「ついに頭イカれたか?
おいトニー、しっかりしろ」
「いや、俺は正気だ。
多分、記憶が飛んでるだけだ」
「まあ、正気でいろって方が
無理な注文かもしれねえな。こりゃ」
「確認させてくれ。
ここはどこだ?今はいつだ?」
「ここは十一月末のスイス国境だ。馬鹿野郎」
「何年?西暦何年だ?
相手は?何処の兵士だ?」
「1914年のドイツ軍だ。
目ぇ覚めたかよ、浦島君」
浦島太郎の話を知っているほど
ロバートが日本通だったということに
筆山は不覚にも感心した。
そして絶望した。
思えばこの取材旅行に来てからこっち
わけのわからないこと続きだったが
今のこれはそんなレベルじゃない。
戦争だ。戦争が起こっている。
軍事演習でも何でもない。
本物の大人災だ。1914年。
まさに第一次世界大戦の幕開けの年。
その悪夢そのもので名高い塹壕戦が
おそらくここ。
スイス国境の西部戦線。
目の前が黄土色一色になった。
いつぞやと同じ格好で
筆山は土塊に突っ伏していた。
涙を隠すためではない。
頭が思考を拒否し、運動を止めた。
ドッペルゲンガーの次はタイムスリップ。
理解できない。
漫画じゃないんだぞ。
ましてや小説でも絵画でもない。
そういえば絵守は元気にしているだろうか?
こんな今生の別れも
クソもないような羽目になるくらいなら
最後の誘いに乗って
一緒に美術館に行ってやればよかった。
そう思うと、余計に泣けてきた。
滲んだ瞳の向こう側の世界で
絵守がニヤニヤ顔で
画布に絵具をのたくっていた。
その彼方から、絵守の声がした。
「これは大賞を狙えそうですぞ!」
その嬉しげな響きに
何だか己への嘲りが
含まれているような気配を感じた。
筆山はムカついた。
ムカついたおかげで黄泉返った。
なんだか絵守が己にとって
良からぬ絵を拵えようとしている。
そんな予感がしたのだ。
あの野郎。帰って一発ぶん殴ってやる。
こんなところで死んでたまるか。
友を殴るまで生き延びよう。
筆山は静かに心でそう誓った。
?
?アカリ?
?
X? ??https://x.com/horiakarihori?s=21&t=nipuVRee_Fb5YhlDTB3IzQ
????????? ?? https://www.instagram.com/arabianakari?igsh=MWc2amtnb3l6ZnJy&utm_source=qr
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なんでそんなことがわかるかって?
それは同室のロバートが大のアニメ好きで
日本語がペラペラだったからだ。
じゃあロバートに
直談判して貰えばいいじゃないか
という話だが、なんということか。
彼はこれを面白がって
決して協力してくれない。
「お前がいなくなったら
ジャパニーズアニメの話を
聞けなくなるだろ?」
ロバートはそう言って
いつも気楽に澄ましている。
他人事だと思いやがって。
?
こうなったら
兎にも角にもにも上官にかけあうしかない。
しかし実際、部隊長はトニーのことについて
毎回頭を悩ませていた。
そして、毎回の珍騒動に
もはや呆れ果て、疲れ果て
ある種の思考的虚脱状態に陥っていた。
もはや筆山がトニーでなくても
軍事演習ができれば問題ない
という考えにまで堕落していた。
なんたる軍務違反であろうか。
もしそんなことが露見したら
国際問題になるとは思わないのか。
しかし彼は、訓練中以外
魂が抜けたように
コーヒー片手に
中空に目を彷徨わせるばかりで
そのくせ、そのコーヒーは一口分も
減っているところを見たことがない。
軍人、失格。
もはや廃人である。
筆山は戦時中、丙種に分類されて
戦役を逃れた太宰治のことを
極地的に羨んだ。
何故に文人墨客たる己が
こんな兵役を強いられねばならんのか。
何故にこんな
物騒な軍服を着ねばならんのか。
太宰だって着なかったのに。
まして我が日本国民の大半は
未だ大局を見ず
平和ボケの真っ最中だというのに。
いつ果てぬ仮想塹壕戦の中に
渦巻く煉獄の中で
己だけが外国人として
終わりなき旅路を歩かされている。
このままではこの先の行き止まりに
骨を埋めることになってしまう。
なんとかしなければ。
そう思いながら
筆山は今日も黄ばんだ
トニーの軍服を一人洗い続けていた。
漂白剤を入れすぎて
もはや迷彩柄が寒冷地仕様になりつつある。
一度、漂白剤の海に顔を突っ込んでみたが
残念なことに頭の中が
真っ白になることはなかった。
「おいおい、なんだ白い顔して。
ジョーカーに憧れてテロでも起こす気か?」
ロバートの馬鹿笑いが兵舎の窓から
広がる空に吸い込まれて
異国の空気を震わせた。
筆山の拳も震えていた。
青空の中に、消えた編集者のニヤつきに
似た雲が流れていた。
あってもなくてもいいような雲だったが
それはとても遠くに感じた。
目を閉じると、祖国も遥か彼方に浮かんだ。
浮かんで飛んで壊れて消えた。
筆山はその日も一日
異国で泥と砂塵と思弁の海に沈んだ。
そして夜。
いつものように硬いベッドの上で
丸まって微睡みに堕ちた。
二段ベッドの上の
ロバートの寝言が微かに聞えた。
「Keep your head down… Tony…」
?
目が覚めると、激しい轟音が響いていた。
筆山は泥濘の中に這いつくばっていた。
なんということだ。
己は軍事演習中に微睡んでしまったのか?
しかも昨晩寝入ってから
ここまでの記憶が飛んでいる。
ストレスか?頭でも打ったか?
それともロバートの放屁か?
昨日の晩飯には確か香辛料が多かった気が…
「Keep your head down!
頭を下げろ!トニー!」
前方でロバートが叫んだ。
瞬間、彼方から機関銃の鉄の刃が
容赦なく地表を薙ぐように襲い掛かった。
伏せて尚ギリギリのところを狙ってきた。
おかしい。
気付けば塹壕がいつもより深い。ガンッ。
後方で鉄塊が鉄兜を叩く鈍い音がした。
更に遠方で兵士たちの叫び声が聞こえた。
機銃掃射の音に混じって、あちこちから
悲鳴、怒声、呻き声が聞こえる。
なんだ?一体これはなんだ?
「ロバート、一体こりゃどういうことだ?」
「ああ?何がだよ」
「こりゃ本当に軍事演習なのか?」
「ついに頭イカれたか?
おいトニー、しっかりしろ」
「いや、俺は正気だ。
多分、記憶が飛んでるだけだ」
「まあ、正気でいろって方が
無理な注文かもしれねえな。こりゃ」
「確認させてくれ。
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「ここは十一月末のスイス国境だ。馬鹿野郎」
「何年?西暦何年だ?
相手は?何処の兵士だ?」
「1914年のドイツ軍だ。
目ぇ覚めたかよ、浦島君」
浦島太郎の話を知っているほど
ロバートが日本通だったということに
筆山は不覚にも感心した。
そして絶望した。
思えばこの取材旅行に来てからこっち
わけのわからないこと続きだったが
今のこれはそんなレベルじゃない。
戦争だ。戦争が起こっている。
軍事演習でも何でもない。
本物の大人災だ。1914年。
まさに第一次世界大戦の幕開けの年。
その悪夢そのもので名高い塹壕戦が
おそらくここ。
スイス国境の西部戦線。
目の前が黄土色一色になった。
いつぞやと同じ格好で
筆山は土塊に突っ伏していた。
涙を隠すためではない。
頭が思考を拒否し、運動を止めた。
ドッペルゲンガーの次はタイムスリップ。
理解できない。
漫画じゃないんだぞ。
ましてや小説でも絵画でもない。
そういえば絵守は元気にしているだろうか?
こんな今生の別れも
クソもないような羽目になるくらいなら
最後の誘いに乗って
一緒に美術館に行ってやればよかった。
そう思うと、余計に泣けてきた。
滲んだ瞳の向こう側の世界で
絵守がニヤニヤ顔で
画布に絵具をのたくっていた。
その彼方から、絵守の声がした。
「これは大賞を狙えそうですぞ!」
その嬉しげな響きに
何だか己への嘲りが
含まれているような気配を感じた。
筆山はムカついた。
ムカついたおかげで黄泉返った。
なんだか絵守が己にとって
良からぬ絵を拵えようとしている。
そんな予感がしたのだ。
あの野郎。帰って一発ぶん殴ってやる。
こんなところで死んでたまるか。
友を殴るまで生き延びよう。
筆山は静かに心でそう誓った。
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(お題:タイムスリップ
言語の壁、コミュニケーションの今昔)
――それは悪夢だったのか
前世だったのか
あるいは誰かの描きかけの
絵の中だったのか。
?
土が燃え立つような砂塵の中で
頭上わずか一尺足らずを
鉄の塊が出鱈目に掠めて
前進の力を削っていく。
四肢に問題を抱えたように
地べたを這いながら
筆山は己が運命を呪っていた。
一体なんで
こんなことになってしまったのか。
前衛のロバートが屁をこいた。
昨日配給で食べた芋料理を
南アフリカ原生林で取れた
謎の毒草をフレーバーに
地獄の釜でグズグズに掻き混ぜたかのような
タナトスな香りが
弾丸に纏わりつく風に乗って
嗅覚どころか視覚にまで襲いかかる。
一瞬、目の前が
黄土色一色になったような気がした。
目の異常かと思ったが
果たして私は土塊に突っ伏していた。
あまりの屁の威力に
気絶してしまったのだろうか。
いや、違う。
同僚の放屁を顔面で
受け止めなければならない
その不条理に浮かんだ涙を隠すために
筆山は咄嗟に顔を土塊に伏せて隠したのだ。
「Get your head up, Tony!」
しばらくそのまま泣いていたかったが
上官の耳を劈く声が鼓膜を圧迫し
その圧で筆山の頭は
ピタゴラスイッチのように跳ね上がった。
瞬間、黒い風が
頭髪を削るように薙いでいった。
その小粒な12.7×99mmの死神
は私を失禁させるのに
十分な説得力を持っていた。
小粒といえば納豆だ。
この規格はNATOだけどね。
ハハ。おもろ。
筆山の下半身に不快な温もりが広がった。
ゲシャゲシャになった
カーゴパンツを引き摺りながら
それでも筆山は停止を許して貰えない。
前からはメタンガス
後ろからはアンモニアが襲ってくる。
後陣を配す同僚たちから
非難の声が上がっている。
それはそうだ。
筆山の這った後の地面は
ナメクジよろしく
陰湿に地面を湿らせている。
そこを後から通った
筆山の同僚たちの軍服には
素敵で最低な
ラメ加工が施されることだろう。
訓練終了後のロッカールームで一人
居残って全員分の衣服を洗濯している
この後の己の姿を想像して
筆山はまた泣きそうになった。
飯に間に合わない。
しかし仕方がない。
屁ならまだしも、小便を引っ掛けられて
憤怒に駆られない聖人など
残念ながらこの隊にはいない。
?
ああ神よ、我が罪障を許したまえ。
懺悔と共に、筆山は再び己が運命を呪った。
一体、どういう因果か。
何で己はこんなところで
砂を舐めているのか。
?
編集者からフランス革命について
書いてみないかと打診されたのが二ヶ月前。
押しに弱い筆山が唯々諾々で日本をたち
フランスに到着したのが一ヶ月前。
同行していた編集者が
酒場で現地人女性を軟派し
待ち合わせに現れたその女性の
全盛期のドゥウェイン・ジョンソン
のような彼氏に連れ去られ
行く方知れずになったのがその二日後。
途方もなく街を彷徨い歩いていた筆山が
フランス外人部隊の基地前で
屈強な軍人三人に取り押さえられたのが
三週間前。
なんでもトニーというフィリピン人が
軍事演習中に脱走したとかなんとか。
筆山は何度も身の潔白を説明した。
しかし作家である筆山は
日本語のプロフェッショナルではあっても
外国語においては
海外文学の翻訳本さえ
読むのを嫌っていたため
彼の英語は壊滅的であった。
「あいあむじゃぱにーず
まいじょぶのべるらいてぃんぐ」
強烈なビンタが飛んできた。
「If you disrespect the army again…」
目の前の軍曹の肩が怒りで震えている。
それでも筆山は何とか説得を試みる。
「のーいんぐりっしゅ
あいむぷりてぃーひゅーまん」
「I’ll have you locked in the brig!」
今度はさっきと反対側の頬を
強烈な張り手が襲った。
少し左右のバランスが
よくなったような気がした。じゃない。
なんでこんな道化がチーク塗った
みたいな顔にされてるんだ。わからない。
わからないが、なんか
「これ以上口答えするなら
懲罰房に叩き込むぞ♪」
みたいなことを言ってた気がする。
尚更、訳がわからなかった。
?
そしてその訳のわからないまま
筆山は軍事演習に参加させられていた。
今日でもう二十日目だ。
その間にわかったことは
なんでもそのトニーという
フィリピン人は日系で
筆山に顔が瓜二つで
加えて脱走の常習犯であり
毎回捕縛されて連れ戻される度に
自分はトニーではない。他人の空似だ。
と訴えていたそうな。
そしてタチの悪いことに
トニーは毎回その人種を変えて
トボける癖があった。
一回目はドイツ人、二回目はガーナ人
三回目はムジャヒディン
4回目はミスチャイナ
そして今回は日本全共闘の生き残りの
フリをしてシラを切ろうとしている。
と思われているらしい。
?
?アカリ?
?
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?
つ


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(お題:創作への苦悩
幻想と現実、一芸に秀でた者)
?
「さっきから聞いてりゃ
下らん小理屈並べやがって。
その小理屈に自分だけで
凝り固まっているなら
よし僕もこんな暴挙には出るまい。
しかしね、絵守お前
言葉を理屈と言いやがったな?
物書きを侮辱しているのか?
この世は言葉でしか
顕せないものに満ちている。
というか、嗚呼、もう言ってやろうか?
言おう。
言葉にできないような芸術なんて
贋作なんだよ。
言葉にできない時点でただの夢幻。
インチキ宗教と変わらない。
だから僕はお前のことを殴ったんだ。
そんな間違った信仰心から
お前の目を覚させるためにね。
僕は友を助けるためにやったんだ。
その証拠にどうだ。
お前の曲がった鼻より
僕の曲った手首の方が
よっぽど腫れ上がっているじゃあないか」
鼻水の代わりに鼻血を垂らして
俯いていた友人はしかし
急にその態勢から屈伸。解放。跳躍。
そのまま私の顎に
ロケット頭突きを喰らわせてきた。
意識が飛んだ。
私は冷たく硬い床にどうと倒れた。
その際、さらに後頭部を
強かコンクリートに打ちつけた。
もはや私のヘッドダメージは限界であった。
薄れゆく意識の中で
友人の喚き声が聞こえる。
?
「筆山貴様、よくも俺を殴ったな。
物書きの、しかも売れない物書きの分際で。
画家はな、常に世界の深淵と
向き合っているんだ。
お前たちのように言葉で物事を
どうこう理屈づけて動かそう
って俗物と一緒にするない。
その俺の高い高い鼻をへし折ったお代は
高く付き過ぎてお前の命でも足りないぞ。
さあ、立て。立ってもっと俺に殴られろ」
友人が私の襟首を
掴んで引き起こそうとするが
しかし私はもはやその時
この世の人ではなくなっていた。
私は私を何だか
高いところから見下ろしていた。
なんだ、これが人生か。
それから私の眼に絵が顕れ始めた。
その絵は暴力という色に満ちていた。
?
友人の戯言を聞いた
たまたま居合わせた作家たちが
激昂して友人に襲いかかっていた。
また、そこに
たまたま居合わせた画家たちが
その友人の弁を庇ってこれに応戦した。
そして普通に
たまたま居合わせた人々は通報し
たまたまではなく突入してきた警官隊は
警棒を持って画家や作家たちを
打ちのめした。
するとこちらも黙ってはいない。
作家は絵の額縁を千切っては投げ
千切っては投げて応戦した。
すると、たまたま居合わせた
額縁匠の老人の怒声が飛んだ。
「貴様、ワシの額縁になにをする」
画家たちはこれの援護に回ったが
それがまた新たな争いの火種となった。
「そうだ。
額縁なんてものはどうでもいいが
物書き風情が崇高な絵画に
手を触れるんじゃねえ」
「なんだと?
額縁がなければ貴様らの落書きなんぞ
紙切れ以下じゃろうが」
「耄碌するな爺。
額なんてのは絵を際立たせるための
ただの飾りだ。
美女の取り巻きの
不細工と変わらんぞなもし」
「額にも納まらん絵描きが何をほざくか」
額縁匠は乱心して画家たちを
作家たちに向けて投げ飛ばし始めた。
画家にぶつかられて怒った作家たちは
画家を更に警官に向かって
投げ飛ばし始めた。
警官は飛んでくる画家たちを
片っ端から警棒で打ち落とした。
打ちのめされた画家たちは
もはや発狂して出家し、
寺で物書きに耽るようになった。
やり過ぎて発狂した作家たちは
精神病棟に送られ
セラピーで絵を描くようになった。
張り切り過ぎた額縁匠は老衰して死んだ。
責任を問われ懲戒免職になった警官隊は
ヤタケタでギャングを組織した。
東京の治安は既に南アメリカ並だ。
政府は自衛隊を国力と定め
これの鎮圧に腐心したが
内乱に充てた軍事費が
増大し過ぎて国庫が破綻。
日本はチョッパリ州として
アメリカの一部となった。
?
私は日本人のうちに
死 ねてよかったと思った。
そして私にはどうやらもう時間がない。
なぜなら
さっきから羽根を生やした素っ裸の
なんだか嫌な薄ら笑いを
浮かべている幼児たちが
ベビーパウダーの匂いを漂わせながら
私の五肢を束縛し
第六天へ向けて屠去ろうとしているからだ。
?
しかして私は満足であった。
よかった。
人はまだ自分の誇りを守るために
剥き出しになれるのだ。
そしてそのために死ぬる。
私はその先駆けとなった。
正直
あんな奴らみたいになって生き延びるより
私の最期の方がよっぽど上等じゃないか。
踏み潰されてグチャグチャだったけど。
まあいいや。
私は天上にてこの人間の
愛しき浅ましさを一冊に書き上げ
第六天魔王様に献上しよう。
そうすれば
天上での出世だって思いのままだ。
?
そんなことを思いながら
私は未だ机の前に向かって
一文字も書き上げていなかった。
友人からの誘いを断ってまで
我を通したというのに、なんたる様か。
こんなことなら美術館に行って
妄想の通り討ち滅ぼされていればよかった。
数滴の涙が原稿用紙に溢れた。
美術館には、絶望して机に向かい
嗚咽する男の絵が煌々とかざられていた。
?
?アカリ?
?
X? ??https://x.com/horiakarihori?s=21&t=nipuVRee_Fb5YhlDTB3IzQ
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(お題:創作への苦悩
幻想と現実、一芸に秀でた者)
――人類が滅びても原稿は白紙である。
?
人のプライドとは気付かぬうちに
踏み付けにされてしまっているものである。
かくいう私も何度となく
益体もなしに踏みつけられてきた。
私のプライドはもはや
マサイ族が何も知らずに語感だけで作った
ボルシチみたいにグズグズであった。
なんかよくわからない虫とかも入っていた。
まだ発見されていない虫かもしれない。
これを摘み上げて学会に発表すれば
一躍私も時の人?
いやそんな場合ではない。
学会。私は学会にまたも裏切られた。
ア ホな選考委員によって受賞を逃した。
私小説の読み方も知らない阿呆どもめ。
私は、三日三晩布団の中で
呪詛を吐き続けていた。
?
しかし、思えば私の私小説は写実的過ぎて
ただの事実の羅列というか
日記帳というか
そんな風な体たらくだったので
嗚呼、こんなものを見せられた選考員たちは
何て気の毒なんだろうか。
何を言うか。
一切を偽らず書く気概こそが
文学の神髄だろう。
いやでもそれってあなたの感想ですよね?
?
ここ数日、私の中では幾人もの私が
自己を顕示すべく戦っていた。
私は私を論破することに私の全てを賭けて
戦う私を憐れな私だと私視点で見ていた私。
私は一分置きに思想が変幻自在に分裂し
もはや解離性人格障害一歩手前であった。
それもこれも私小説の読み方すら知らぬ
選考委員たちのせいだ。
阿呆め。
私の思考は同じトラックを
グルグル回るだけで、一向に先へ進まない。
私は限界だった。
?
家で一人クサクサしている私を見かねて
友人の画家が尋ねてきた。
「筆山君、そんなに塞ぎ込んでいても
神経が衰弱する一方だよ。
一つ絵でも見に行かないかね」
私は天井の染みを数えるのに
とっくに飽きていたので、盲目的に頷いた。
我が家の扉を開け放った友人が
偉大な羊飼いに見えた。
そして私は盲目の子羊。
果たして美術館に
解脱の救済はあるのだろうか?
なんてことを羊は考えたりしない。
羊は気がつくとある大きな絵の前にいた。
?
胡乱な絵であった。愚鈍な絵であった。
キャンパス中央に
仰向けに寝っ転がったピエロが
その姿勢で中空に静止して
虚脱したような顔で空を仰いでいる。
だらしなく開き切った口からは
何の思慮も理念も感じられず
とりあえず目立つようにというように
出鱈目に装飾された衣服は
カラーボールの海に飛び込んで
全身が玉だらけになって取れなくなった人
みたいに稚拙だった。
バラバラに反目している
玉の色が目に煩かった。
そして背景ときたら
これはもう描くのが面倒になったのか
ただ退屈なだけの田園風景が
壁紙のように張り付けてある。
?
「人間、こうなってしまってはお終いだな」
私は意図せずして呟いていた。
「いや筆山君
これはどうして中々の名画だよ」
友人は興奮していた。
見ると目に涙まで浮かべている。
「一体、これのどこが名画なんだい?
こんな、作者が自分の私生活を開き直って
画布に塗沫しただけの愚作じゃないか」
「筆山君は何もわかっていないね。
ここには人間の全てが描かれているんだよ。
退廃。迷妄。愉悦。極楽と地獄。
エロスとタナトス。画家と娼婦。男と女。
陰と陽。北斗と南斗。
嗚呼、ぼかぁこれを見るために
生まれて来たのかも知れない」
友人の頬を滂沱たる涙が伝った。
馬鹿な。
正直、私は絵に対しては門外漢だが
芸術的センスは文学と通じているはず。
画家も小説も
親戚みたいなところがあるはずだ。
その小説家たる私が
この絵は愚作だと直感で断じているのだ。
しかも私は私小説家であり
この絵はその私小説の悪いところを
片っ端から集めてふぐ鍋で煮詰めたような
食ったら芸術が死ぬような呪物だ。
それをばこの男は
一体どれだけ拙劣な感性でもって
画家などと名乗っているのか。
?
「絵守君はそういうけどね。
文学的に見てもこの絵に価値なんてないよ。
何せこの絵には何のストーリーもない。
バックボーンも見えない。
意図すらぼやかしている。
無能な画家が書いた
実に卑劣な絵じゃないか」
「なんだい、筆山君は絵に
筋書きがないといけないというのかい?
バックボーンや意図?
真実にそんなものはないのさ。
この世の真実とは、ただそこに揺蕩う
浮世と常世の狭間のようなもの。
それを絵に切り取ったら
そこに言葉なんて
理屈が入り込む余地はないのさ」
友人は鼻水を床に垂らし
嗚咽しながら講釈を垂れた。
私はその鼻っ柱を唐突に殴りつけた。
慣れない殴打に手首に激痛が走った。
拳が砕けた気がした。痛い。
もう少し自分を労って
殴ればよかったと思った。
?
?アカリ?
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投稿日時

(お題:飛行機と出張、信頼
私の愚行、口から出まかせ)
?
その瞬間だった。視界が歪んだ。
涙が溢れていた。
五年間、一滴も出なかった涙が。
ヨミージが驚いた顔でこちらを見る。
俺は手で顔を覆った。
「俺は…」言葉が途切れる。
「逃げていただけだった」声が震えた。
妻が死んでから、ずっと。
何も感じないふりをして」
舞台の上では、女が男の亡骸を
静止したように抱き続けている。
「仕事を続けていれば
いつかまた会えると、勝手にそう決めて」
客席は、まだ息を殺したように沈黙して
微動だにしない。
「俺は、ただ許されたいだけだった。
誰かに、許してもらいたいだけだった」
暗い劇場の中で、頭の中の黒い靄が
塊になって喉元へ転がっていく。
やがて口蓋を埋め尽くしたそれは
圧力に耐えかねたように
咳を切って口から零れ出ていった。
「でも許されなかった。許せなかった。
俺なんか、早く死んじまうべきだったのに。
でも死 ねなかった。
俺一人だけ
こんなクソッタレな世界に取り残されて。
独りぼっちで。
俺は、寂しかった。
寂しくて堪らなかったんだ」
ヨミージは何も言わなかった。
ただ静かに、俺の肩に手を置いた。
そして、ゆっくりと
静かに俺を抱き寄せた。
ヨミージは、俺の耳元に
優しい声で囁いた。
「あなたは、どこにも行ってやしないわ」
?
聖母のような声だった。
菩薩の救済のような温もりだった。
クレメンティアの託宣のような響きだった。
涙が止まらなかった。
ヨミージの胸元は
俺の嗚咽でグシャグシャになった。
それでもヨミージは尚俺を抱き続けた。
しばらくして、ようやく顔を上げたその時。
色が、虚ろだった瞳に
反射して飛び込んできた。
照明の薄い青。緞帳の草臥れた赤。
客席の影を彩る緑。
五年間、モノクロだった俺の世界に
色が戻っていた。
俺は五年ぶりに、舞台を眩しいと感じた。
五年ぶりに、生きている気がした。
?
舞台は盛況に終わった。
俺はヨミージと並んで帰り道を歩いた。
「舞台に見入ってる君の横顔を見てさ」
何ともなしに俺は語り始めた。
「コーンウォールの約束を思い出したんだ」
ヨミージが首を傾げる。
「コーンウォール?イギリスの?」
「ああ。妻と新婚旅行で行くはずだった」
「そうなの。奥さんとの約束…」
ヨミージは何かを察したように
その先を留めた。
「劇場で一緒に
シェイクスピアを見るんだって。
とても楽しみにしてた」
ミナックシアター。妻と約束した場所。
「でも、今日それが
少しだけ叶った気がする」
俺はヨミージの方を振り返った。
自然と笑顔が零れた。
ヨミージも笑っていた。
大きな瞳いっぱいに
涙を溜めて笑っていた。
「なんで泣いてるの?」
「あなたが感傷的なこと言うからよ」
俺たちはまた笑い合った。
ずっと止まっていた時間が
やっと少し前へ進んだ気がした。
?
帰国の日。
ヨミージは搭乗口の前まで
見送りに来てくれた。
「色々お世話になったね。本当に。
君に会えてよかった。神に感謝しないと」
俺は顔の前で適当に十字を切った。
「大袈裟ね。でも私も会えてよかったわ。
本当に。会えてよかった」
ヨミージはそう言って
切なげな顔をして俯いた。
「どうしたの?」
「あなたはこれからどうするの?」
「ん?どういう意味?」
「その…悩み事は解決できた?」
ヨミージは
いつもの笑顔を作って顔を上げた。
俺は少し恥ずかしそうな
バツの悪そうな顔をして言った。
「あ~…その
あんだけ恥ずかしいところを
見せちゃったからね。
お陰様で吹っ切れたよ」
「じゃあ、もう大丈夫ね」
「ちっとは自分のために生きてみるよ。
っていうと
大変なのはこれからなんだけどね」
俺はちょっと苦笑いを浮かべた。
ヨミージはそんな俺を
満足そうな笑顔で見つめていた。
「あのね、最後に
どうしても伝えたいことがあるの」
と、突然にヨミージが真剣な声になって
真面目な顔で
俺の目を真っ直ぐに見据えながら言った。
「え?なに?どうしたのよ、急に」
少し面喰った俺に対してヨミージは
身を乗り出すようにして語り始めた。
「あのね。実はあ_―――――――――」
ヨミージの唇が動く。
俺はそれを聞いていた。
聞いていたが、届かない。
彼女の唇だけが
視界の中でゆっくりと開閉している。
その輪郭が、霞がかったように
どんどんぼんやりと薄れていく。
曖昧に、朧に、そして崩れた。視界が白む。
遠くで、銃声のような音が、また鳴った。
?
速報です。
今日午後、福岡空港に緊急着陸した
国際線の機内でハイジャック事件があり
警察は現場で男らを取り押さえました。
警察によりますと
犯人の男らは航空会社の元契約社員とみられ
拳銃のようなものを所持して
客室乗務員を人質に取り
機体を占拠していたということです。
この事件で
乗客の日本人男性一人が死亡しました。
死亡したのは東京在住の会社員
波佐間流生さん(30)です。
警察の調べによりますと
波佐間さんは人質となっていた
客室乗務員を助けようとして席を立った際
犯人の発砲を受けたとみられています」
画面は、滑走路に止まったまま
動かない航空機を映している。
その上には、絵具をのたくったような
雲一つない空の真っ青が
馬鹿みたいに開けて続いていた。
その色は
どこまでも静かでどこまでも寂しく
黄泉路の果てまで
永遠に続いているように見えた。
?
?アカリ?
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(お題:飛行機と出張、信頼
私の愚行、口から出まかせ)
?
「ヨミージです。通訳を担当します」
長い黒髪。静かな笑顔。
どう見ても妻そのものにしか見えない
その面貌。
違うのは、肌の色と、香水の匂いくらいだ。
さっきまで自己を責め立てていた仮説が
一瞬で吹き飛ぶほどの現実感。
顎先にメイ・ウェザーの
エキシビジョンパンチがヒットして
脳髄がぷっちんされた
ぷっちんプリンくらい揺れた。
地盤がそのプリンのキャラメルのところに
落ちてズクズクになって
俺の心は兎に謀られた狸のように彼岸近海を
どんぶらこどんぶらこと彷徨った。
ヨミージは、幻ではなかった。
ひょっとしたらこの女は
妻の生き別れの双子か何かであろうか。
「どうかしましたか?」
妻がやけに他人行儀な調子で
心配そうな顔をしている。
違った。この女はヨミージだ。
「いや、慣れない飛行機に
少し酔ってしまったみたいで」
俺は額に手を当てて誤魔化した。
すると心臓の鼓動が少し治まった。
そうだ、この女は妻ではない。
いくら似ていようが、ただの仕事相手だ。
俺は仕事をしなければならない。
そうしなければ
永遠に妻の元へ行くことが出来ない。
自分に言い聞かせるように
頭の中でいつもの言葉が反響し
頭痛がするほど響き渡っていった。
?
俺とヨミージは翌日、劇場へ行った。
舞台装置の搬入口を確認し
照明の吊り位置を測り
劇場側と契約の確認をする。
交渉はヨミージがすべて通訳した。
「劇場側は追加料金を請求しています」
「契約書では?」
「含まれています」
ヨミージがタイ語で話す。相手が反論する。
「当初の契約には貴社も納得していました。
実入りが多くなったから報酬を寄こせ
というのは反社会的なやり口です。
この条件で呑んでいただけないのでしたら
当社としても裁判を
視野に入れる必要性が…」
ヨミージは振り向いて微笑んだ。
「大丈夫です。向こうが折れそうです」
夕方には問題は片付いた。
俺とヨミージは初めてとは思えない程
バディとしての相性がよかった。
そこには確かな意思の共鳴があった。
それは、とてもとても懐かしい感覚だった。
…いや
余計な感傷に浸り込むのは止めよう。
ともかく
これで出張のお役目は終わったのだ。
?
その夜。ヨミージが言った。
「近くでショーをやっています。
観に行きますか?」
屈託のない笑顔だった。
重ねてはいけない想いが去来しそうになる。
俺はそれを振り払うように
できるだけ明るい声を振り絞った。
「いいね。
せっかく仕事が早く終わったんだ。
是非、行こう」。
するとヨミージは
嬉しそうに駆け寄って俺の手を取り
蒸し暑さが地面に残る
タイの街路を歩き出した。
?
ヨミージに導かれ
着いたのは小さな劇場だった。
劇場といっても
東京で見慣れたような建物じゃない。
古い倉庫を改装したような空間で
入口の横には
小さなカフェが併設されている。
扉を開けると、湿った夜気と
コーヒーの匂いが混ざって流れ込んできた。
客席は五十ほど。
黒い椅子がぎゅうぎゅうに並べられている。
舞台は客席より一段高いだけで
境界はほとんどない。
「ここ、私の好きな劇場です」
ヨミージが小声で囁いた。
まだ開演していないのだから
ヒソヒソする必要はないのに。
しかし、久方ぶりに感じる
その妻らしい気遣いを
とても懐かしく思った。
…やめろ。
思い違いをするな。調子に乗るな。
?
照明が落ちる。暗闇の中で、役者が一人
舞台の中央に現れた。
男と女の物語だった。
遠い昔、同じ村で育った二人が恋に落ちる。
だが戦争が始まり
男は兵士として連れ去られる。
女は待ち続ける。
何年も。何年も。
やがて男は帰ってくる。
だがその彼は、もはや別人のようだった。
「俺はもう
とうに昔の俺じゃなくなってしまった」
女は微笑む。
「それでもいい」その台詞を聞いて
胸の奥で何かが軋んだ。
俺は昔、同じような台詞を
舞台で言ったことがある。
相手役は、妻。逢坂命だった。
照明が変わる。
二人は抱き合う。
しかし次の場面で、男は死ぬ。
彼は、戦争で受けた傷に
ゆっくり蝕まれていた。
女はその亡骸を抱きしめる。
悲しげに。愛しげに。
そして呟いた。
「あなたはどこへも行ってはいない」
客席は水を打ったように静まり返っていた。
俺は舞台を見ていた。
いや、見ていなかった。
目の前の役者に、別の顔が重なっていた。
逢坂命。
舞台の灯りの中で
彼女があの日のように笑っている。
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(お題:飛行機と出張、信頼、私の愚行
口から出まかせ、リストラされた中年)
蛍光灯が眩しくて、夏。
夢を、夢を見ていた。
夢の中の俺は屋台で
テキヤのオヤジに発砲して
怒って殴りかかってきたオヤジに対して
刃傷沙汰を起こしていた。
何故か俺は大権現様に
妖刀村正を帯刀奉納に行く途中だったのだ。
またつまらぬジジイを斬ってしまった。
その刀筋を地元の大親分に見込まれ
後の俺は裏社会で大出世。
泥鰌組の次期若頭筆頭まで上り詰めた。
そんな風に人が
気持ちよく寝ていたというのに
この喧しい白熱灯のせいで出世が台無しだ。
まあ大体、妖刀村正なんつっても
当時、村正って銘の刀が大量生産されて
みんな村正使ってたから
あっちの辻斬りも村正。
こっちの辻斬りも村正。
こりゃ妖刀じゃってな話で。
じゃあ強盗がみんなユニクロ着てたら
ユニクロは妖服ってことになるけども。
果たしてそれでいいんかい?
納得できるかい?
俺が納得しても
ユニクロが納得しないんじゃないかな。
つまりそんなユニクロ的な刀を
大権現様に帯刀奉納するって時点で
怪しいと思ってたのよね、俺は。
でもね、それもわかりきった上で
おれは夢を楽しんでたわけじゃん?
それをばこの不細工な蛍光灯ときたら。
全く無粋な野郎だよ。
「気が付きましたか?」
見れば傍らには白衣の天使
というか大権現
というようなオバハンが立っていた。
「あの、人が寝てる時に電気つけるの
辞めてもらっていいですか?」
俺はソフィストぶった口調でそう言った。
?
果たして、俺は生きていた。
機動隊が投擲した
スタングレネードのせいで
一時は意識が不明瞭だったが
実際は病院に担ぎこまれただけで
外傷も何もなかった。
携帯から部長の声がする。
会社は俺の「勇気ある行動」
を美談として処理するつもりらしい。
そんで予定通り出張を継続して
現地法人の立て直しをするように。
とのこと。
冗談じゃない。
何が「勇気ある行動」だ?
「卑劣なる裏切り」の間違いだろうが。
パーカーたちはきっと気づいてた。
俺が裏切ってたって。
じゃなきゃいくら何でも
俺を機長室に一人で行かせたりしない。
着陸をすんなり受け入れたりしない。
「OK。道具も舞台も整ったってことだな」。
そう、確かにあの時点で
パーカーたちの訴えは
世界中に拡散されることが確定していた。
だからか。
彼らは航空会社の不正を暴ければ
端から自分たちの命なんて
どうでもよかったのか。
俺が裏切ってようがどうだろうが
そんなことはどうでもよかったのか。
「どうせ俺たちは終わってるんだ」。
パーカーの呟きが脳裏に蘇る。
そんなことはない。
着陸までの間、俺たちは笑っていた。
あのパーカーたちの笑顔は嘘じゃなかった。
でもそれは、最後ぐらいトニーと
元同僚と仲違いせずに
楽しく過ごしたかっただけ
だったのかもしれない。
実際、トニーだった俺は笑っていた。
あいつらと一緒に笑っていた。
五年間笑えていなかった俺が。
笑える話だと、あの時は思った。
今は笑えない。
何故ならあれは俺じゃないから。
笑っていたのは
あいつらの同僚だったトニー。
俺は他人の人生を借りて茶番を演じただけ。
ほんの一時、トニーに体を貸しただけ。
笑えない話だ。
結局、俺はパーカーたちと出会って
罪の十字架を更に重くしただけだ。
今思えば、性の十字架なんてのは
随分と軽いもんだったなぁ。
もはや、どうでもいいことか。
とにかく、俺は仕事をしなければならない。
再度出張に出掛けなければならない。
改めてタイ行きの便に乗った俺は
窓の外に死神を探しながら
パーカーたちに呟いた。
「嘘をつきました。ごめんなさい。
死 ねませんでした。ごめんなさい」
?
バンコクに着いたのは夜だった。
空港の出口で、一人の女が
俺の名前を書いた紙を持って立っていた。
「波佐間さん?」流暢な日本語だった。
美貌の人であった。
古語で言うところの
超マブいスケであった。
なんだろう。俺はこの女を知っている。
知っているどころではない。
目の前にいるその女は
死んだはずの妻に瓜二つだった。
俺は狂ってしまったのだろうか。
とうとう幻覚まで見え始めたのか。
そういえば
トニーも俺に瓜二つという話だった。
この世には、同じ顔をした人間が
三人はいると聞いた事があるが
それにしたって
そんなドッペルゲンガーに
出会うような奇跡が
こうもポンポン続くはずがない。
ではこれはどういうことか。
察するに、俺はトニーと間違われたことで
無意識にも愚かな希望を持ってしまった。
妻の写し身も
どこかに存在しているはずだと。
その即席な信仰を
俺の精神はいつしか妄信した。
そんな自分勝手な願いが
こうして妻の面影を
赤の他人に投影して見せている。
そんなところだろう。
大馬鹿野郎だ。
そんなことで自分を慰めて、何になる?
お前は妻とも、パーカーたちとも
死を共にせず
一人のうのうと生き残っている癖に
この上、何の償いもせず自分だけの世界に
逃げ込んで自慰に耽るのか?
お前はどれだけの卑怯者に成り下がれば
気が済むんだ?
死 ね。死 ね。死んで償え。
でもお前には自死も許されない。
クソ野郎が。
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(お題:飛行機と出張、信頼、私の愚行
口から出まかせ、リストラされた中年)
?
「俺の妻も、この会社の飛行機で死にました」
言うつもりのなかった言葉が
口を突いて出た。
目の前の二人がハッとした顔をして
俺を見据えた。
こんなことを言うつもりはなかった。
出張が決まった時
俺は望んで妻と同じ航空会社を選んだ。
一緒に死ぬべきだった。
死なねばならなかった。死 ねなかった。
ならば、万が一に墜落するその時があれば
せめて同じように。
つまりこれは俺のタダのエゴだ。
航空会社に責任転嫁しても
仕方がないことだ。
しかし、トニーは
あのパーカーたちの同僚だったトニーは
会社に殺された。
それを聞いてから
どうしても思わずにはいられない。
俺の妻も、この会社の
ブラックな労働環境のせいで
死んだのではないか。
杜撰な管理に殺されたのではないか。
目の前で蒼い顔をしている二人を見ながら
努めて冷静に俺は続けた。
「こんなことを言うのは
お門違いだとわかっています。
しかし、彼らの、ハイジャック犯の同僚も
あなた方の会社に殺されているんです。
俺はね、彼らの言うことが
全部間違ってるとは、思わないんですよ。
もちろん、罪を犯した人間は
罰を受けるべきです。
彼らも。あなた方の会社も。
そして平気で彼らのことを
欺いているこの俺もね。
だから俺は
これ以上彼らに
罪を背負わせるわけにはいかないんですよ」
?
機長も副操縦士も
しばらく沈思黙考していた。
嫌な沈黙がしばらく続いた。
やがて、機長が
何かを決心したように顔を上げた。
「…わかった。疑ってすまない。
その、本当にすまなかった」
副操縦士も、顔をあげて
バツの悪そうな顔をしている。
「しかし、本当に着陸しても大丈夫なのか?
ここからだと福岡空港辺りになるが…」
「大丈夫です。神は俺の舌だけは
丈夫にお創りになったのです」
「…よくわかりませんが
後のことは頼みましたよ」
副操縦士が初めて口を開いた。
それに呼応するように、機長の眉が動いた。
「緊急コード。7700」
続いて副操縦士が無線を開く。
「Mayday, Mayday…」
「OK。それじゃあ、何とかしてきますよ」
管制塔と連絡を取っている二人に
そう言って、俺は機長室を後にした。
?
機長室を出るとCAが立っていた。
心配と不安が入り混じったような顔で
何か聞きたそうにしている。
「あの…」
「大丈夫。何とかするから」
俺は再び客室へと戻った。
パーカーたちは演説を終えていた。
乗客の何人かが
まだスマホを弄って操作している。
おそらく録画した
ビデオの編集か何かだろう。
パーカーたちの訴えは
不特定多数の端末に保存された。
後は俺の仕事だ。
「どうだった?」
パーカーが振り向きざまに聞いてきた。
「わんすらんでぃんぐ」
「着陸?大丈夫なのか?」
「どんうぉーりー。かんせーとには
ぱわちゃーじだけこーるしてる」
「機長に妙な様子はなかったか?」
「いふほかのことこーるしたら
かすたまーおーるじぇのさいどかったー
いうたった」
「なるほど。
トニー、お前なかなか過激派だな」
「いえす。きゃぷてんふぇいす
ぱーふぇくとぶるー。わら」
「それで?どこに着陸するんだ?」
「ふくおか」
「何で福岡なんだ?」
「はかためんたいうまかっちゃん。
あんしんあんぜんやすらぎほけん。
らーじすてーしょんでおーるいんふぉ
すぷれっどにだ」
「OK。道具も舞台も整ったってことだな」
「がってんしょうちのすけ」
俺は歯を見せて笑った。
パーカーたちも笑った。
機体は静かに降下を始めていた。
まだ誰も、それに気が付かない。
?
俺はパーカーたちと話し続けた。
昔のこと。今のこと。
出鱈目なカタコトを、もっと出鱈目な嘘と
罪と共に重ね続けた。
俺は笑っていた。
仲間たちと共に笑っていた。
トニーとして笑っていた。
今思えば、俺が笑うのは
五年ぶりだったかもしれない。
それも笑える話だと思った。
やがて、機体が地面に触れた。
タイヤが滑走路を擦った。
一秒。二秒。客室ドアが爆ぜた。
白い閃光。耳をつんざく破裂音。
黒い装備の男たちが一斉に客室へなだれ込む。
パーカーたちは床に押し倒された。
拳銃が蹴り飛ばされる。
わずか数秒のことだった。
耳鳴りがする。目が眩む。
しかし俺は、通路に立ったまま
その光景を見ていた。
俺は足元にある硬いものを
拾い上げて叫んだ。
「おい!こっちを見ろ!拳銃を持ってるぞ!」
裏切り者に死を。
叫びながらそう願った。
次の瞬間、俺は通路に倒れた。
舞台の幕がゆっくり下りるように
目が閉じた。
銃声を二発、聞いた気がする。
?
?アカリ?
?
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(お題:飛行機と出張、信頼私の愚行
口から出まかせ、リストラされた中年)
「あいますとうぉーきんぐでっど」
「良いんだよ
もう仕事なんてしなくていいんだトニー」
「お前は俺らがそんなに働くなっつっても
聞かなかったよな」
「そうそう
いっつもTake it easy.とか言って」
「いえあ。しぇけなべいべ」
「しかしわかんねえな。
どういうことなんだ、トニー?
そもそも、お前は何で
死んだことにされてたんだ?」
まずい。そこまで考えてなかった。
確かに俺がトニーとして
ここにいるということは
会社が意図的にトニーの死を
捏造していたということになる。
その理由は?
聞くところによると
トニーの事故は会社側の過失だ。
どう考えても過労運転事故だ。
人員不足、整備不良、安全手順違反…
これが発覚すると大問題になる。
そこで会社は、トニーに裏金を渡し
退職扱いにして海外に送った。
その後「事故で死亡」という話が流れる。
当然、同僚たちはこれを鵜呑みにする。
これだ。この線でいこう。
「ええと、かんぱにせいず
いっつぷろぶれむ。あくしでんつ。
ゆーはでぃさぴあ。これますと。
ぎぶみーまにぃ」
「なんてこった。
あいつら、労災隠しのために
トニーの存在を消そうとしたってのか」
「監督署の調査にビビりやがったんだ」
「チェックされたら終わりだもんな」
「保身のためにトニーを殺しやがったのか」
…計画通り。
流石はかつて新世界の神を志した俺だ。
というかこいつら
俺の言ってること理解でき過ぎじゃないか?
俺だってよくわかんないのに。
どんだけトニーと以心伝心してたんだよ。
嗚呼、トニー。
見ろよ、お前には
こんなに良い仲間たちがいたんだぜ。
お前は幸せものだよ。
さてここからどうしよ。
何にも考えてないよ。
火に油注いだだけだよ。
ちゃんと働け、トニー。
?
「そういえばわどゅゆうぉんつ?」
「ああ、クソ会社を
内部告発してやろうってことさ」
「こんだけの事件になりゃ
責任追及は免れないだろうからな」
「窮鼠猫を噛むってヤツよ」
その最後にパーカーが小さく呟いた。
「どうせ俺たちは終わってるんだ」
…お前たちはまだ何も終わっちゃいないよ。
言いかけて呑み込んだ。危ない。
俺は今カタコトなんだった。
しかしこいつらは悪漢ではない。
今ちょっと魔が差してるだけだ。
その魔が差した分の償いは
必要かもしれないが
それ以上の贖罪なんて必要ない。
終わるのは俺だけでいいはずだ。
だから、俺はこいつらにこれ以上
無駄な罪を背負わせてはならない。
「ゆーしゅっどすぴーちえびわん。
あんどえびわんそれ
すまほびでおでれこーでぃん。
そんでえあぷれんがらんでぃんぐしたら
おーる拡散わーるどSNSするよろし」
「俺らの演説を客に撮影させて
地上で拡散させるってか。
そりゃいい考えだトニー」
「そしたらゆーしゅっどごーふろんと。
おーるおぶゆーますと。
じょいんとぱわーでぱっしょんを
るっくるっくこんにちわ」
「俺ら全員で演説して誠意を伝えろってか?
それはいいが、お前はどうするんだトニー?」
「みーはきゃぷてんを
のっきんおんへぶんずどあ。
とーきんぐへっずYOYO」
「OK。じゃあ機長の方は任せたぞトニー」
俺は機長室へ向かった。
その後ろで彼らがゆっくりと演説を始めた。
会社の不正。揉み消し。不当解雇。
これが世に出回れば、この航空会社の信用は
ゲヘナの底まで失墜するだろう。
その中心部には
サタンに咥えられたユダがいる。
そして今、ここにもユダがいる。
天空のユダは俺である。
地獄に堕ちるのは俺である。彼らではない。
「もし。俺はただの乗客です。
しかし持って生まれた悪魔根性で
ハイジャック犯たちを
懐柔することに成功しました。
安全に事を運ぶため、協力してください」
俺は途中で出くわしたCAに
状況を説明した。
CAはエディ・マーフィーの顔芸みたいに
目を見開いてしばらく仰天していたが
やがて事情を呑み込んだ。
…というところまでは至らず
正直よくわからないが
とりあえずこいつは味方だろうと
妥協して納得したような感じで
機長室まで案内された。
何だかちょっとムカついた。
?
「…というわけで
何とか何処かへ着陸してください」
「君は拳銃を持っていないのかね?」
機長が訝し気に俺に問う。
副操縦士もさっきから
不審な顔でこちらをチラ見してくる。
ヤな感じ。
「持ってませんよ。
ボディチェックしますか?
連中に聞いたところでは
空港の警備会社に
協力者がいるようでしてね。
そこから部品を分解した形で
どうにかこうにか
機内に持ち込んだらしいです。
どうです?
俺がハイジャック犯だったら
こんな情報を
あなた方に漏らすわけないでしょう。
それにね、あなた方の会社は
言ったようにあの四人以外の社員からも
相当な恨みを買っている。
お二方も例外に漏れないんじゃないですか?
それとも、全く心当たりがない?」
機長は一瞬
歯噛みしたような表情になって俺を見たが
すぐに弛緩したような顔で前に向き直り
大きな溜息をついた。
副操縦士もチラ見を辞めて
小さな溜息を漏らして俯いていた。
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?アカリ?
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X? ??https://x.com/horiakarihori?s=21&t=nipuVRee_Fb5YhlDTB3IzQ
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