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アカリ(21)
T164 B88(E) W56 H87
「あ、そうだ。あんたたち」
ママがふと思い出したように
カウンター下をごそごそ探り出した。
「これ、着てみる?」
出て来たのは、色褪せた浴衣。
洗濯のりも抜けきったような布地だが
妙に艶めかしい。
「着る着る!それママのお古なの?」
「そうよ、あんたこれ、特別よ」
クロ子はノリノリである。
「お姉さんたち、はいはい順番ね。
写真撮ってあげるから」
真っ先に袖を通したクロ子が
「似合う?」と回転してみせる。
「似合う似合う。
銀幕スターの2号さんみたい」
「2号って何?仮面ライダー?」
「あんた馬鹿ねぇ、愛人よ愛人」
「ダメじゃん!」
クロ子はまたケタケタと笑う。
ママはそんなクロ子にまた乾杯する。
「ほらアカリも早く着てみなって」
クロ子に半ば無理やり薦められながら
私も観念して羽織ってみた。
案外着心地が良い。
「あら、あんたなかなか色気あるじゃない。
これは1号さんね」
「納得いかない!」
クロ子が赤ら顔で抗議している。
まだ大して呑んでいないのに
すっかりできあがっている。
そう、彼女は酒好きのくせに
滅法アルコールに弱いのだ。
下手の横好きとでも言おうか。
いや、なんか違う気もする。
なんだか私も酔ってきたような。
「1号って正妻ってことですか?
私の勝ちってことですよね?」
「あんた馬鹿ねぇ
1号は泣かされるのよ。可哀想に」
「何号が正解なんですか!」
クロ子は大爆笑だ。
ママはまたも、涙に乾杯
とか言って杯を仰いでいる。
写真を撮り合い
一通りキャッキャと浮かれ騒ぎ
ともあれここはまだほんの
二件目であることを思い出した。
呑み歩きの序盤で潰れては元も子もない。
「そろそろ出ようか?」
充分楽しんだし
ということで私たちは腰を浮かせ
会計を頼んだ。
しかし、伝票を見た
私の視界は一瞬グラつき
ほんのり赤みを帯びていたはずの頬は
一瞬にして病的な青に変わった。
二万三千四百五十円。
お通しの枝豆とカクテル2杯ずつ。
たったそれだけで、である。
やはり一件目の酒に
マジックマッシュルームでも
入っていたのか。キノコに乾杯。
しかし、何度まばたきしても
目の前の数字は揺らがない。
2万。…2万!?
クロ子は「へぇ」と笑っている。
ママは紅い唇の端を上げ
何でもないと言った風に
「カードも使えるわよ」と告げる。
私は観念した。
ここで払わなければ
きっとフィリピンかバングラディッシュ
辺りに売り飛ばされてしまう。
移民問題が取り沙汰されている昨今
我々までがいち早くエスケープして
移民と化しては
我が国に申し訳が立たない。
何より、そんなことになれば時を置かずして
霊界の移民になる可能性が高い。
やんぬるかな。
財布から諭吉を引き抜く手が震えた。
いや、栄吉だった。
なんだか余計に腹が立った。
くそぅ、諭吉を返せ!
二重の意味で、そう思った。
外に出ると、浅草の夜風が妙に冷たい。
スマホで店名を検索すると
案の定「ぼったくり注意!」
の文字が踊っている。
なるほど。
他の客がやけに大人しかったのも道理だ。
どうやら、ママがしれっと口にした酒代が
すべてこちら持ちだったらしい。
道理でことある毎に
乾杯乾杯と囀っていたわけだ。
あの厚化粧に食わせるカクテル代を
私が背負わねばならないとは
なんたる不条理か。
離島出の蛮勇娘・クロ子の誘いに
盲従した報いが、これである。
私は腹が立ってきた。
よっぽど、彼女を責めようとした。
無鉄砲も大概にしろと。
が
同時に自身の主体性の無さにも辟易した。
指示待ち人間、道なき道を行く。
とどのつまり、これはおあいこなのである。
おかまの話は確かに面白かった。
だが、金が絡むと笑いは霧散する。
人間とはかくも不均衡な存在か。
良心とはなんだ。
私は無理やり、自分に言い訳をした。
あれはチップだ。
私たちこそ、あの悪辣な守銭奴に
良心をくれてやったのだ。
世知辛い世間を渡るため
私は度々、良心という不定形な概念に
折り合いをつけてお茶を濁す。
クロ子はといえば
「楽しかったから、まあいいじゃん」と
涼しい顔で笑っている。
その笑みが羨ましく思えた。
彼女の豪放磊落な視界から見える世界は
幸せな光で満ちているのだろうか。
私は世界に苛まれているのだろうか。
否。悩み多き優柔不断な私の世界にも
それなりに苦難という人間らしさが
満ち満ちているわけで
そこを比べてしまっては
いよいよ負けな気がした。
「どうしたの?」
「なんでもない」
それきり黙って歩きながら
なんだかんだ
私たちは良いコンビなのかもしれない。
なんてことを思いつつ
私たちの飲み屋巡りは
大して酔うこともなく幕切れとなった。
その後、私は無理にクロ子を説得し
ようやくスカイツリーに登った。
眼下に広がる街の灯火は
まるでトロイアの城砦のようで
私は悠々自適の神気分に浸り
存分にゼウスの傲慢を
味わうつもりであった。
が、青い空の端に
茜色の夕焼けが大きく迫ってくる様が
ハルマゲドンを想起させ
結局のところ「嗚呼、人生は黙示録」
などと訳のわからない感慨に沈みながら
私の姦しい休日は
静かに幕を閉じていくのであった。
?アカリ?
※公式LINEが凍結されてしまいましたので
お手数をおかけいたしまして
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※9月後半はお休みいたします。
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