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それでも夏は、蝉の羽根より脆く崩れた。
実家のカズチー(家猫)は
人の食べ物が大好物だった。
食卓を囲むと
必ずじゃれついてきて海苔をねだった。
バリバリ海苔を頬張る彼の
人間と同じものを食しているその姿が
なんだか愛らしくって
手元の海苔をたくさんあげた。
が、そのうち全然食べなくなった。
いや、母の手からは食べるのだ。
何故だカズチー?何故なんだ?
よく見れば、母の手にある海苔こそは
家族共用の高級味海苔。
それに味を占めた彼は
私の焼き海苔に目もくれなくなったのだ。
おのれ母め。
親の立場を利用して
家族の財産を横領するとは
なんとはしたない。
私は母の卑劣なる猫買収に憤りを覚えた。
同時にあっさり買収されたカズチーを
猫のくせに味覚派を気取る
イヤミなヤツだと軽蔑した。
しかして私は反撃に打って出た。
貪欲なる猫よ。
そんなに味海苔が欲しいか?
ならばくれてやる。
人間様のお子様のお暇を舐めるなよ。
私はこっそり味海苔を盗み出し
隙をみてはカズチーに秘密で与え続けた。
愚かなる母よ。
時の理は小児たる我に味方せり。
いたずらに暇を持て余す
我ら小学生にとって、猫を手なずけるなど
赤子の手を捻るが如き戯れよ。
かくして猫買収合戦の大局
ここに決着せり。そう思っていた。
しかしある時
味海苔の蓋が開けっ放しになっていた。
一体誰がこんなことを。私である。
こんな迂闊な芸当ができるのは
私の他にあるまい。
「あらあら、私もボケたかしらねぇ」
思いがけず母の口から出たのは
嬉しい誤算であった。
「最近、お母さん物忘れ激しいもんねぇ」
私は白々しくも、そう言ってのけた。
良心の呵責が内側から喉を締め付ける。
しかし待て。ここが忍耐のしどころだぞ。
一時の感情に駆られて
うっかり己が罪を自白するなどは
最悪手だ。
罰として永劫に味海苔を
禁止されてしまう可能性さえある。
親への申し訳なさなど
少し脛を齧った程度に留めておきたまえ。
そして床に就いた翌日
私の中の罪悪感は欠片も残さず消えていた。
無垢なる童の責任感の欠落
決して侮るべからず。
ところが母は、味海苔を買い替えなかった。
腐っても鯛、湿気っても味海苔
とでも思っているのだろうか。
げに浅ましきかな。
全き中流家庭にありながら
なんたる吝嗇か。
我が家のエンゲル係数は
この母をして
標準以下に納まっているに違いない。
母よ、極端な節約は
母子共にストレスの原因になりますよ。
たまには外食などもせねば
社交的な機会や食の経験値が減りますよ。
私は情操教育について
よっぽど母に説いて聞かせてやりたかった。
なれど、味海苔をふやかせた
諸悪の根源たる負い目から
とても言い出せなかった。
私は小学生にして、人生の敗北者であった。
仕方がない。
湿気っても味海苔は味海苔である。
私は相変わらず、隠れてカズチーに
味海苔を与えようとした。
(ほれカズチー、腐っても鯛だぞぅ」
…カズチーは見向きもしなかった。
途端に、私は馬鹿らしくなった。
猫とはいえ、所詮は畜生よ。
我ら人間の崇高な節約理念など
理解できはしまい。
種族の壁に辟易した私は、彼に対して
極端に厭世的になってしまった。
?アカリ?
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