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(お題:飛行機と出張、信頼
私の愚行、口から出まかせ)
?
「ヨミージです。通訳を担当します」
長い黒髪。静かな笑顔。
どう見ても妻そのものにしか見えない
その面貌。
違うのは、肌の色と、香水の匂いくらいだ。
さっきまで自己を責め立てていた仮説が
一瞬で吹き飛ぶほどの現実感。
顎先にメイ・ウェザーの
エキシビジョンパンチがヒットして
脳髄がぷっちんされた
ぷっちんプリンくらい揺れた。
地盤がそのプリンのキャラメルのところに
落ちてズクズクになって
俺の心は兎に謀られた狸のように彼岸近海を
どんぶらこどんぶらこと彷徨った。
ヨミージは、幻ではなかった。
ひょっとしたらこの女は
妻の生き別れの双子か何かであろうか。
「どうかしましたか?」
妻がやけに他人行儀な調子で
心配そうな顔をしている。
違った。この女はヨミージだ。
「いや、慣れない飛行機に
少し酔ってしまったみたいで」
俺は額に手を当てて誤魔化した。
すると心臓の鼓動が少し治まった。
そうだ、この女は妻ではない。
いくら似ていようが、ただの仕事相手だ。
俺は仕事をしなければならない。
そうしなければ
永遠に妻の元へ行くことが出来ない。
自分に言い聞かせるように
頭の中でいつもの言葉が反響し
頭痛がするほど響き渡っていった。
?
俺とヨミージは翌日、劇場へ行った。
舞台装置の搬入口を確認し
照明の吊り位置を測り
劇場側と契約の確認をする。
交渉はヨミージがすべて通訳した。
「劇場側は追加料金を請求しています」
「契約書では?」
「含まれています」
ヨミージがタイ語で話す。相手が反論する。
「当初の契約には貴社も納得していました。
実入りが多くなったから報酬を寄こせ
というのは反社会的なやり口です。
この条件で呑んでいただけないのでしたら
当社としても裁判を
視野に入れる必要性が…」
ヨミージは振り向いて微笑んだ。
「大丈夫です。向こうが折れそうです」
夕方には問題は片付いた。
俺とヨミージは初めてとは思えない程
バディとしての相性がよかった。
そこには確かな意思の共鳴があった。
それは、とてもとても懐かしい感覚だった。
…いや
余計な感傷に浸り込むのは止めよう。
ともかく
これで出張のお役目は終わったのだ。
?
その夜。ヨミージが言った。
「近くでショーをやっています。
観に行きますか?」
屈託のない笑顔だった。
重ねてはいけない想いが去来しそうになる。
俺はそれを振り払うように
できるだけ明るい声を振り絞った。
「いいね。
せっかく仕事が早く終わったんだ。
是非、行こう」。
するとヨミージは
嬉しそうに駆け寄って俺の手を取り
蒸し暑さが地面に残る
タイの街路を歩き出した。
?
ヨミージに導かれ
着いたのは小さな劇場だった。
劇場といっても
東京で見慣れたような建物じゃない。
古い倉庫を改装したような空間で
入口の横には
小さなカフェが併設されている。
扉を開けると、湿った夜気と
コーヒーの匂いが混ざって流れ込んできた。
客席は五十ほど。
黒い椅子がぎゅうぎゅうに並べられている。
舞台は客席より一段高いだけで
境界はほとんどない。
「ここ、私の好きな劇場です」
ヨミージが小声で囁いた。
まだ開演していないのだから
ヒソヒソする必要はないのに。
しかし、久方ぶりに感じる
その妻らしい気遣いを
とても懐かしく思った。
…やめろ。
思い違いをするな。調子に乗るな。
?
照明が落ちる。暗闇の中で、役者が一人
舞台の中央に現れた。
男と女の物語だった。
遠い昔、同じ村で育った二人が恋に落ちる。
だが戦争が始まり
男は兵士として連れ去られる。
女は待ち続ける。
何年も。何年も。
やがて男は帰ってくる。
だがその彼は、もはや別人のようだった。
「俺はもう
とうに昔の俺じゃなくなってしまった」
女は微笑む。
「それでもいい」その台詞を聞いて
胸の奥で何かが軋んだ。
俺は昔、同じような台詞を
舞台で言ったことがある。
相手役は、妻。逢坂命だった。
照明が変わる。
二人は抱き合う。
しかし次の場面で、男は死ぬ。
彼は、戦争で受けた傷に
ゆっくり蝕まれていた。
女はその亡骸を抱きしめる。
悲しげに。愛しげに。
そして呟いた。
「あなたはどこへも行ってはいない」
客席は水を打ったように静まり返っていた。
俺は舞台を見ていた。
いや、見ていなかった。
目の前の役者に、別の顔が重なっていた。
逢坂命。
舞台の灯りの中で
彼女があの日のように笑っている。
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?アカリ?
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