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――資本の香水は
案外甘やかに人を包み込むものである。
胸中に黒雲がむくむくと湧き立つ。
アパレル店員という生きものが
私を讃えるたびに、私は決まって
眉をひそめずにはいられないのだ。
「お似合いですよ」などと来た日には
こやつ、資本主義の尖兵にして
私の懐から福沢諭吉を
さらい去る刺客ではあるまいか。
あいや、諭吉はもういない。
懐中にあるのはいかにも実業家然とした
スーツ姿の渋沢栄一だ。
ああ、諭吉の羽織袴が恋しい。
だいたい千円札を金子泥棒に誂えるとは
どういう了見であろうか。
野口を財布に入れると
お金が減りそうな気がするじゃないか。
もう吉田松陰とかでいいじゃないか。
それともなにかね
この期に及んでお上は
佐幕派しか認めないというのかね。
私とて攘夷、攘夷と
声高に叫ぶわけではないが
昨今の移民問題については流石に…
と、危ない。
意識が政界に飛んで行くところであった。
ともかく、笑顔の裏に
薄く札束の亡霊がチラつく
この店員を信じてよいものだろうか。
しかしながら、残念なことに
私には服のセンスというものが
まるでない。
脳内世界においては
私はすでに何百回も
ベストドレッサー賞を受賞している
華やかな英雄である。
なにしろ私の中では
ローマ広場の噴水のように
シルエットが洗練され
色彩が秩序立って湧き出る。
だが外部からの通信によれば
「配色錯乱・輪郭崩壊・通信ノイズ過多」
の三拍子が揃っているらしい。
無線機の向こうで
ザーザーと雑音ばかりが鳴って、受信不能。
まったく失敬な話である。
そもそも我が国は資本主義の上に
自由主義の屋根を載せてこその
文化国家ではなかったのか。
なのにどうだ、この服屋ときたら。
赤いコートに黄のスカーフを組み合わせ
極彩色の全体主義を甘んじて受け入れよ
と言わんばかりではないか。
赤というのは止まれの色である。
国家的に認定された警告色だ。
それに身を包もうというのだから
私はもう半歩で革命戦士である。
実に空恐ろしい。
これは困難きわまる問題だ。
己が美学を貫き、結果として
街路樹の影に縮こまるような窮屈さを選ぶか
それとも店員の甘言に棹され
資本の奔流に身を委ねるか。
智に働けば角が立つ
とはよく言ったものだが
そもそも私はその智とやらを
一滴も持ち合わせていない。
であれば、角が立つのはこの場合
店員の人生の方ではないか。
さらば、私はただ
流れる蜜を啜る小さな蜂にすぎない。
ほらね、このように
望遠鏡の角度を二度ばかり傾けてみると
世の中というのは不思議と
ハッピーセットな眺望を見せる。
鬼と仏が同居して
手を取り合って、セール中なのである。
結局、私は店員の示すままに
その赤いコートを抱えて帰った。
鏡の前に立ち、自分の姿を見た瞬間
「なんと美しい鮮やかな赤だろう」
この色に染まってはならないと
警戒していたが、私は断じてこの赤を
全体主義の象徴に売り渡したりしないぞ。
鼻の奥が少し熱くなった。
赤は止まれである
だが、その夜の私の心は、しんしんと
踏切の灯のように静かに灯っていた。
?アカリ?
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