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アカリ(21)
T164 B88(E) W56 H87
山の麓に伝家の宝刀ならぬ
フルアーマーで参じた私の視界は
一瞬にして絶望という名の霧に包まれた。
眼前に山神様が踏み荒らした跡かのように
緑が溢れかえっている。
ジャージ。
ジャージ。
ジャージ。
どこまでも均一化されたダイダラボッチが
手足を投げ出して、その見えない身体が
どこまでも広がっている。
殉職。散華。
私は自由の忠実な下部として
模範的な行動を示しただけであるのに
戦地に身を投じる前に敗残兵と成り果てた。
同時に、私の中の現実主義者が
厳しく私を責め立て始めた。
そもそも、自由の忠実な下部とは何ぞや。
自由に飼い殺しにされてるじゃないか。
阿呆め。ハナから本末転倒じゃないか。
云々。
しおりに「可」と書かれていたはずの私服は
たった数名しかいなかった。
そして、私のような極彩色を提示する
殉教者は皆無だった。
自由は死んだ。
板垣が死んだから自由も死んだのだ。
だとしたら、随分前から
自由は死んでいたのだなぁ。
嗚呼、私は野に咲く曼殊沙華。
所詮一輪の花に過ぎぬのでございますから
どうぞ皆さまお気遣いなく。
目先の珍妙なるに目を奪われて
ご自分の脚元がお留守になっては
危のうございますからね。
さあさあ、どうぞ私のことなど
うっちゃってくださいまし。
場違いな異物感を
必殺の私服より色濃く醸し出しながら
私は出来るだけ小さくなって
朋友たちの視線に平身低頭
愛想嘆願しながら歩いた。
だが、全体主義の権化である
教師という名の悪魔が
作成したカリキュラムは
尚も悉く私を苛み続けた。
チームごとの写真撮影という儀式。
シャッターの音を合図に
恥辱の鉄槌が振り下ろされる。
緑緑と生い茂る草の中に際立つ棕櫚。
一人、燦然と輝くわたくし率。
シラフの太陽は馬鹿馬鹿しいまでに輝いて
嫌がらせに私に
スポットライトを当てているようだ。
高いところであんなにも自己主張している
不届き者に「目立たされている」私。
なんという理不尽。
皆、見るならば頭上で能天気に
熱を振り撒いている
目立ちたがり屋のアイツに
目を向けてしまえばいいものを
目が眩むのが嫌だからといって
それは御免被る様子。
やーい太陽め。ざまあみろ。
行き過ぎた自己顕示欲に人は閉口するのだ。
目も当てられないと陰に目線を逸らすのだ。
そしてその視線は
根が陰でできている私に降り注いで
さらに私の後ろに影を作っていく。
冗談じゃないぞ、君。
写真が現像され
学校の廊下に貼り出された。
私は全ての使徒の罪を背負い
磔にされたキリストの気持ちに連帯した。
ジャージの波の中に
ぽつねんと遠く浮いている富士。
葛飾北斎の捉えた
奇跡の一瞬の中に見る寂寞。
「孤高」から「高」を括った虚飾を取り除けば
「孤独」になるのであろうか。
更にそこから「孤=個」を取り去ったら
ただの「毒」になったりするのかしら。
私の「自我」が具現化したそれは
「過ち」の決定的証拠として
学び舎に展示され続けた。
これは、罠だ。
この学校というシステムが
私をまんまと落とし穴にハメたのだ。
でなければ
なんだって中途半端に統一もせず
「私服でも可」などという
ネズミ捕りのような選択肢を設けたのか。
私は、自らの見栄や浅はかさを
とりあえず棚にあげて
学校という巨悪に
問いを投げかけることにした。
かくも美とは、孤独である。
愚かな美は、ただ笑い者になるだけである。
しかし、これこそが
我が闘争の歴史であるのかもしれない。
災いも笑いも転じて福となること
世に儘あるではないか。
私の孤高は
死後、評価されるかもしれないじゃないか。
嗚呼、私はゴッホになりたい。
そう思いながら、私は耳の代わりに
今日も恥辱を削ぎ落す。
自我が擦り減らないように。
誰にも気づかれないように。秘密に。
ひょっとしたら
私すら気づいていないかもしれない。
嗚呼、ゴッホになりたいものだなぁ。
?アカリ?
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