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足の踏み場もないとはこのことか。
数頁読んでは放り、
読んでは放りを繰り返し、
部屋のあちこちに
ランダムに配置された本は、
ある日、帰宅して上から見ると、
何だか奇才軍師の考案した
斬新な陣形のように見えなくもなかった。
はたまたこれが前衛芸術というものか。
芸術は怠惰の隣にあると見つけたり。
などと都合の良い言い訳を考えて
片づけぬ口実を探し出そうと試みたものの、
陰惨な暁の気配を感じるまで
横になれないことは御免被る。
あのねばっこい小豆色の光が
カーテンを貫く前に
何とか部屋を立て直さなければ
落城の気持ちに打ちひしがれてしまう。
そもそも目の前のこれが
自陣なのか敵陣なのかも
よくわからないのだ。
もし敵陣で野営などしたら
勇敢なる奇人として捕虜の伝説となり
語り継がれるだろう。
尚更このまま眠るわけにはいかない。
それもこれも、先月に急に書痴を拗らせて、
30冊以上も本を買い漁ったせいだ。
何頁かパラパラ捲っただけで、
「これは名著の香りがする!」と、
ロクに判断も付かぬうちに
購入を決めるからこんなことになるのだ。
そんな私の勘は当たった試しが少ない。
大概50頁あたりで思いを裏切られ、
積みに積み上げたる罪本たちは
傾斜を大袈裟にしたピサの斜塔として、
あちこちに屹立している。
出来損ないのサグラダファミリアより
性質が悪い。
これは己の罪であるからと
禊の為に罪本を嫌々
読もうとしたこともあった。
できない。到底無理だ。
何でも読んでみることだ!
だの、清濁併せ呑むべきだ!
だの言う人もあるが、嘘だ。
私にとって面白くないものは
即ち私にとって不必要なものだからだ。
自分の体に必要な栄養素を
選択して取り込まねば、
下手したら毒になる。
例えば、タイに行って
何の下調べもせずに片っ端から屋台を巡り、
出された水を全て呑んでみるがいい。
それで腸チフスもコレラも
怖くないというならば真の豪傑だ。
前にタイのトレーナーが言っていた。
「タイのテーブルにはどこでも必ず
有料の水が置いてある。
にもかかわらず席に着くと
無料の水が置かれる。」
「同じ条件の下に
無料の水と有料の水が並んでいる。
この場合、無料の水を飲むとどうなるか?
…つまり、そういうことだよ。」
彼は私が二日間の腹痛からやっと快復して、
もはや帰国という段になって
そんな話を笑って聞かせた。
鼻にイースト菌を詰めて
バーナーで炙ってやりたくなるような
笑顔だった。
さりとてこの罪本を本屋に
売り払ったとしても二束三文どころか
交通費の釣り銭にすらならない。
戒めのためにも、
罪本は罪本として展示しておくべきだ。
奇を衒った美術作品など
往々にして不用品の集合体
だったりするではないか。
私は天才軍師考案の陣形を撤退させ、
行き過ぎたピサの斜塔を倒壊させ、
部屋の隅に倫敦塔の逆賊門のような
形に片づけて纏めた。
数日後、塔に収容されている囚人たちを
新しく収監するに相応しい
新しい獄舎が届いた。
私は一日掛かりでこれを組み立てた。
高さ2m、横幅1mの本棚である。
もはや魔物、いやゴーレムである。
私がドラえもんだったなら
迷わずこれを今日からの
寝床にしているところだ。
一冊残らず囚人を
収容し終えたゴーレムは
満腹感に満ち足りた
顔をしているように見える。
いつかこの顔が
空腹に歪む時がくるのだろうか。
一通りの片づけを終えて
些末な考えに浸っていると、
私のお腹が先に空腹の音をあげた。
?アカリ?
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