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アラビアンナイト 川崎 / ソープ

8:30~翌0:00

当日予約8:00~

神奈川県川崎市川崎区堀之内町13-8

JR川崎駅/京急川崎駅 ※送迎車ご用意致しております。

入浴料 11022,000円~

利用可能カード:VISA、MASTER

044-233-4152

※お電話の際に「ビンビンで見た」とお伝えください

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アカリの写メ動画一覧

アカリ(22)

アカリ(22)

T164 B90(E) W58 H89

本日出勤 11:00〜翌00:00

  • 投稿日時

    孤独なよろこび

    ――あの日の三文字に

    わたしの誤解と希望と絶望とが

    すべて詰まっていた。

    人の世に処することは

    往々にして滑稽であり

    またその滑稽が故に哀しきものに通ずる。

    それは、ある晴れた日の午後

    私が初めて携帯電話なる

    文明の器械を手にした時より

    既に始まっていたのかもしれぬ。

    人は便利と称して多くの不自由を買い込み

    社交と称して無言の監視を招き寄せる。

    私が「SNS」という

    不可思議なる社会的装置を用い始めたのも

    その不自由の道を歩まんとする

    第一歩であった。

    されどそれは

    青年の鬢髪に立つ初霜のごとく

    清冽な一撃をもって

    私の自尊心を凍てつかせた。

    何を書けばよいのか。

    初投稿とは、いわば己れの存在を

    人の海に浮かべる第一声である。

    かのソクラテスがアテナイの市に立って

    声を上げたときよりも

    今や一層多くの眼が私を注視している。

    されば、人は得てして

    無難なる文句を撰ぶ。

    「よろしくね」「はじめました」

    「フォローしてね?」

    世間一般、花の香に似せた言葉をば

    こぞって撒き散らしている。

    されど、私は斯様な仮面を

    どうしても纏うことが出来なかった。

    ただ、ぽつりと、こう書き込んだ。

    「わーい」

    この一語には

    深意がなかったわけではない。

    否、むしろ愚直なまでに

    純真なる悦びが籠もっていた。

    古来、歌詠みの道においては

    意味よりも調べを重んずる傾きがあり

    ましてやこの世の始めにおいては

    「うれし」とか「たのし」とか

    無意味のようでいて

    万象を包摂する言葉が流布していた。

    「わーい」こそは、その現代における

    野の花のような発語であった。

    意味を排し

    ただ気分の波を戯れに洩らすのみ。

    かかる一言こそ

    かえって悠久の詩情を孕んでいる。

    などと、我ながら酔うほどに満悦していた。

    ところが翌日

    学校という人の巣に戻りし時

    世界は急に私を迎えねばならぬ

    義務を放棄したかのように

    冷たき眼をもって私を照らした。

    放課後、部室の一隅にて

    ある少女が言った。

    「…あの書き込み、どうしちゃったの?」

    その声は

    まるで早春の薄氷を踏んだ時のように

    しんと我が耳朶に触れた。

    私は、火にでも投げ込まれたかと思うほど

    顔が熱くなった。

    全身を羞恥の赤が走り

    心は瞬く間に瓦解した。

    彼女の目には

    私が正気を失ったる者として映ったらしい。

    実際、社会という舞台において

    挨拶や自己紹介をせぬ者は

    狂人として記憶される。

    私の「わーい」は、無垢の叫びではなかった。

    無礼であり、無知であり

    なにより、場違いであった。

    その晩、私は自らを責めに責めた。

    なぜ、「よろしくね」と言えなかったのか。

    なぜ、「初めまして」

    と手を差し出さなかったのか。

    否。

    なぜ、自分であろうとしてしまったのか。

    そして己が、ひとり遊びを続け過ぎた挙句

    他人と交わる術を知らぬまま

    心の深き井戸に

    閉じ込められていたことを知った。

    その井戸の底で

    私は小さく呟いたのである。

    「わーい」と。

    私は、彼女に謝った。

    「ごめん…」

    彼女は、なぜか

    もっと悲しそうな顔で笑った。

    「えぇ…なんか、ごめんね!」

    人は笑いながら

    相手の孤独に気づくことがある。

    その笑みは、慈愛ではなく

    ある種の恐怖から来ている。

    私の「わーい」が

    どれほど彼女の感性を戸惑わせ

    あるいは、心をざらつかせたか。

    かくして、私は知ったのである。

    人の世に倣うことの難しさと

    倣わぬ者の寂しさとを。

    それ以来、私は何かを書くたびに思うのだ。

    これは、独り善がりではないか。

    これは、またしても「わーい」ではないかと。

    されど今では、少しだけ

    思いも変わってきた。

    あの「わーい」には

    あの時の私にしか書けなかった

    剥き出しの魂がある。

    それが拙く、滑稽であったとしても

    滑稽なるを以て人の世に美を見出すならば

    あの一言にもまた

    一片の詩情があったのではなかろうか。

    言葉に意味を持たせすぎるこの世界に

    「わーい」とだけ書いたあの日のわたしを

    少しだけ、愛しく思うことがある。

    いつかまた、勇気が湧いたら

    私はもう一度言いたいと思っている。

    その時は、もう少し上品な顔をして。

    わーい。

    ?アカリ?


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  • 投稿日時

    蒼ざめた正義・下

    アガサ・クリスティよろしく

    そして誰もいなくなった。

    立ち去った影たちは今、私の眼下の校庭に

    青春の塊をボールに託して

    お互いにぶつけ合いながら遊んでいる。

    私は一人、取り残された隠遁者のように

    達観した風情でそれを見守っていた。

    仕方がない。私は病に窮している身なのだ。

    早退という利を得て、皆と同じ徳を齧る

    権利などあるはずもない。

    どうせいづれ母上が迎えに来るのだ。

    安心して待つが上策だ。

    そんなことを思っていると

    本当に心から安堵が湧いてきて

    その浄化が全身隈なく行き渡り

    ついにはすっかり腹痛も消えてしまった。

    そうなると

    そこは一端の子供のことである。

    待ってる暇すら、青春が惜しくなる。

    私は復活した我が肉体に即座に胡坐を掻いて

    元気に立ち上がると

    椅子をある一定の等間隔に並べ始めた。

    ひとり椅子飛び越えゲームである。

    授業を免れた高等遊民にのみ

    教室を占領して許される

    禁じられた遊びである。

    私は跳んだ。無我夢中で跳躍した。

    ターミネーター2の恥辱を

    泡沫に発散せんが如く

    空っぽの教室の中に

    我が世の春を欲しいまま顕していた。

    そして私は段々と忘我の境地に入っていた。

    ガラガラと

    先生が扉を開ける音にすら気づかない程に。

    いつの間にか背後に

    気配を消して立っていた先生は

    無言であった。

    しかしその表情は、失望と落胆の混じった

    呆れの情を雄弁に物語っていた。

    「こいつ、めっちゃ元気やん…。」

    口を開かずとも、小さく、はっきりと

    そう聞こえた気がした。

    咄嗟に、実際には何も聞かれていないのに

    急拵えの言い訳が私の口をついて出た。

    「いや、今、少しだけ

    ちょっと良くなっただけ、です。」

    先生は尚も言葉を紡がなかった。

    閑としたこの教室の

    重力だけが一気に加速し

    いつかの滝行の如く

    私を圧し潰そうかと襲い掛かった。

    滝行と学生時代で時系列が前後しているが

    この際そんなことはどうでもいいのである。

    つまりは、私は斯様にして

    度々双肩を打擲される

    運命にあるということなのであろう。

    途端に、また腹痛が襲ってきた。

    先生の冷たい視線が、お腹を冷やす。

    更には、胃心肺肝が

    健やかを逆しまに転がってゆく。

    私はまたもや顔色を蒼白く整え直した。

    果たして一日に何回

    お色直しを催せば気が済むのかと

    自分でも多少剣呑になってきた。

    もし、こんな結婚式があったなら

    参列者は痺れを切らして

    残らず帰宅しているだろう。

    先生はというと、ひっきりなしに

    色をコロコロと変えてゆく生徒を目の前に

    意を悟ったのか、少しく悄然とした態度で

    嘆息気味にやっと口を開いた。

    「お母様が靴箱までお見えになってるから。

    一緒にいくぞ。」

    私は、先生に全てを見透かされた

    気恥ずかしい生娘のような様子で

    その言葉に倣った。

    とはいえ、万病が口火を切って

    この身に降りかかったかのような

    足取りを演じることだけは忘れなかった。

    愚かな子供の賢しき大人に対する

    最期の意地である。

    しかし一応断っておくが

    靴箱までの容体が本当に良くなかったのは

    嘘ではない。

    故にこの足取りにも私に一部の利がある。

    それが唯一残った柱であった。

    かろうじて柱に背を預けながら

    やっとのことで母上と対面した。

    すると、一瞬にして身体に力が漲った。

    私はやっと

    無益な大人との駆け引きから

    解放されたのだ。

    そうなるとやはり

    私の身体は精神に対して実に正直者である。

    帰宅してから早々にテレビゲームを付けると

    母上に悟られぬように

    ステージ攻略に励んだ。

    最後にターミネーターの

    シュワちゃんそっくりなボスが出てきて

    コテンパンに打ちのめされた記憶を

    今でもよく覚えている。

    ?アカリ?



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  • 投稿日時

    蒼ざめた正義・上

    ―仮病は罪だ。

    だが、私は

    正しく痛んでいたのだと信じたかった。

    「病は気から」とはよく言うものの

    ともすればこれは

    神道より先に日本で最も古くから

    信仰されている民族宗教である。

    私は密かにこの宗教を信仰している。

    この教義には、言葉の音が含む意味合い

    以上の効力があるとすら感じている。

    まことしやかに昔から語られる

    この概念の宗教体験を

    私はだいぶ幼きより得ていたのだ。

    学校時代のことである。

    校内の娑婆っ気の中に

    思春期独特の孤独感を感じた私は

    深窓の令嬢よろしく

    綾波レイぶって文庫本を読んでいた。

    「何読んでるの?」

    「え?…ドフトエフスキー。」

    「すごい難しそうなの読むんだね!」
    私は、それを称賛の声と見立て

    得意げな笑みを浮かべて応じた。

    しかし、その顔の裏面は赤く曇っていた。

    素直に「ターミネーター2」と言えなかった。

    そもそも1を読んでいないのに

    2を買ったことを後悔していた。

    何より、安いプライドを守るために

    あんなにも簡単に朋友を欺いた

    自分を軽蔑した。

    私は卑劣だ。

    名誉のためならタケミカヅチ(飼い猫)を

    血統書付きだと豪語してしまう

    やもしれぬ悪女だ。

    草っぱらから拾われてきたタケミカヅチの

    野良猫特有にふてぶてしい面が

    脳裏を過った。

    パラパラと、頁を捲る度に少しづつ

    紙の鋭さに思いがけず

    指に赤い線が走るような懸念が

    自分への辟易と共に募っていった。

    私は、嫌になって来た。

    学校に居たくなくなった。

    そうすると、気持ち悪い気がしてきた。

    同時に、狡猾な企みが

    腹の中に湧き上がって来た。

    「このまま気持ち悪いが

    極端の端を越えたら

    早退できるんじゃないかしら。」

    そうしてお腹にどす黒いものを抱えていると

    不思議なもので

    本当にお腹の調子が悪くなってきた。

    嗚呼、これはきっと天罰だ。

    卑劣の上に狡猾を重ねて

    不義理をバンズしたせいに違いない。

    私の悪辣を見兼ねた

    天津神に国津神に耶蘇の神が

    こぞって私の罪に

    相応の罰を与えようとしている。

    景色が、滲んできた。

    黒板と白壁の境界が曖昧になって

    溶け合って、教室を淡い緑色の渦に

    緩やかに捩じりながら

    間取りを何尺も伸び縮みさせているようだ。

    いつの間にか透明な線が

    私の目頭から出発して

    頬から顎のラインを

    会釈もなく際立たせていた。

    「だいじょうぶか?」

    必要以上の保湿効果に

    前後不覚になっている私の眼球を慮ってか

    先生が声を掛けてきた。

    「…ちょっと…お腹が…」

    「あんまり無理なようなら

    早退するか?」「はい。」

    しまった。

    最期の返事が先生の問いに

    被せるくらい早くなってしまった。

    ここへ来て「功を焦って墓穴を掘る」という

    私生来の性質が先生に影響してしまっては

    あまりに甲斐がない。

    「わかった。じゃあ親御さんに連絡して

    お迎えを頼むから

    それまで我慢できるか?」「はい。」

    杞憂であった。

    先生は私の企みに気づいていない。

    大人を出し抜いた心持ちに気をよくして

    返事はさらに被せ気味になっていたが

    一度看過された失策が

    二度目に咎められることはなかった。

    こうなると、もはや被せ気味に

    返事をすることが

    正解のような気さえしてきた。

    「次の体育は参加しなくていいから

    このまま教室で待っていなさい。

    いいね。「はい。」」

    職員室から帰って来た

    先生の口から通達が出るや否や

    私の返事は勢いを増して

    自分の手番から飛び出し

    最終的に先生の言葉尻と同時に発せられて

    和音を奏でていた。

    「じゃあ、お母様が一時間くらいで

    お迎えに上がるそうだから。

    それまで我慢「はい。」できるね?「はい。」」

    騎虎の勢い止まらぬ私の返事は

    返事を越えて先生の言葉を遮り

    その先を急かす抗議の声の如く

    成り果てていた。

    まずい。調子が止まらぬ。

    これは流石に態度を

    叱責されても仕方ないぞ。

    私は一転して心中恐縮の意を起こし

    先生の次の句を暗に待ち構えた。

    何かまずいものが出れば即謝罪しようと

    緊張していた私の心配を余所に

    先生は私を責めなかった。

    どうやら私がそれほどまでに

    腹痛に苦しんでいるのだと

    嬉しい誤解をしてくれたらしい。

    見れば先生のいつも毅然とあるはず面持ちに

    珍しく憐れみの色さえ浮かんでいる。

    なんだか自分がとんでもない

    悪党のように感ぜられて

    企みの成就と相反する

    申し訳なさが浮かんで来た。

    でもそれを目の前の先生に懺悔するほど

    殊勝な子供でもなかった私は

    とりあえずの煩悶を「申し訳ないねぇ。」

    という心の声で済ませておいた。

    ?アカリ?




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  • 投稿日時

    滝の罰 ②


    「ええい儘よ!」

    私は思い切って怒涛の中に身を投じた。

    途端、恐ろしい鉄槌が親の仇の如く

    天から襲いかかる。

    目が、開けれぬ。鼻に、水が詰まる。

    ああ、そうだ。

    そういえばさっき話の長い坊主が

    「南無ほにゃらら」

    を唱えろと言っていた気がする。

    ほにゃららの部分は微睡んで覚えていないが

    きっとあの経文さえ唱えれば

    この身に神通力が宿り

    水属性への耐性が上がるという

    仕様に違いない。

    そうでなければクソゲーだ。

    負けイベントかと思ったら

    普通にゲームオーバーでタイトル画面な

    コントローラー投擲案件だ。

    どころかリセットボタンのない

    現実において、

    このまま水の精霊の加護的な

    バフが叶わねば

    本当にオフィーリアになってしまう。

    藁にも縋る思いで私は

    「南無ほにゃらら!」と大声で唱えた。

    瞬間、大量の水が口内に雪崩れ込み

    喉を蹂躙しながら気道を塞ぎにかかる。

    「ごぼ ぼッ!ごぼ ぼ ぼッ...!」

    あの生臭坊主!謀ったな!

    何が経文を唱えろだ!

    水中で息ができるわけがないじゃないか!

    会釈もなく勢いを増して背中を貫く稲妻に

    私の頭の位置は徐々に低く低くなって行き

    海神に侵略さるる魂は

    黄泉比良坂を越え

    ついに冥府魔道へ堕ちようかという

    その刹那

    「はい、お疲れ様でした~」

    安全バーを上げて退場を促す

    キャストのような気安さで

    近くにいた見習いの僧に引き上げられ

    私は全身むち打ちの体で暫く

    沖に打ち上げられた新巻鮭の如く

    岩場でぐったりしていた。

    人は、何のために生を受け

    私は、何を為し終えて

    死ぬるというのだろう。

    あの滝は、何のために

    人を打擲するのであろう。

    私は、一体何のために

    こんな目に会っているのだろう。

    私は横たわって愚にもつかない

    禅問答を繰り返した。

    しかし、しばらくして私の手足に力が戻り

    立ち上がるに至った時

    インスタントな悟りが開けた。

    「生きている」

    「あんなにも恐るべき死という概念に

    目鼻の先で挨拶を交わしておきながら

    私は助かった」

    全ての煩悶が吹き飛んだ。

    人は生死の実感を日常の

    当たり前において忘れている。

    なればこそ、これに向き合った時

    真面目というものを思い出すのではないか。

    そうに違いない。

    私の五体が今、それを実感し証明している。

    「良い経験をなさったでしょう」

    帰り際に声を掛けてくれた住職の顔には

    後光が差して見えた。

    今振り返ってみれば、

    単に禿頭に反射した夕日が

    眼を照らしただけに思える。

    さりとて、あの時それが

    後光に見えたことは確かなのだ。

    ならば人生に光を差し向けることなど

    簡単ではないか。

    勘違いだっていい。

    一生懸命に生きることだ。

    さにあれば、そのうち素敵な勘違いが

    大仰な光で我が世を

    照らしてくれるに違いない。

    いくら戦争映画を観ても得られぬ

    魂の渇望がそこにあった。

    この経験は生涯、忘れまい。

    帰宅した私は、タイの涅槃仏の姿勢で

    Netflixのプライベートライアンを観ながら

    早々に先刻の悟りを涅槃に返していた。

    片手に持ったぷっちょの

    跳ねっ返りな歯応えに人生を感じていた。




    ?アカリ?





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  • 投稿日時

    滝の罰 ①


    ――誰も裁いてくれないから、

    自分で殴られに行ったのだ。

    難しいことはよくわからないが

    とにかく私は己の愚かに対し

    何らかの処置を取らねばならぬ。

    そう思い立って

    滝行にでかけたことがあった。

    その時の私の仕出かした過ちと言えば

    嗚呼、口にするのも恐ろしい。

    正月の実家にて母の手料理にケチをつける。

    猫の砂を変えない。

    親しい友人からの四季折々の挨拶を

    既読スルーし続ける。

    等々、枚挙に暇がない。

    その他にも色々と

    この頃の自分は、何か手を打たねば

    人としての向上心を全うすること

    叶わぬであろうという煩悶の時期であった。

    さて己に何を施したものか

    策を練るも悉く行き詰まり

    「ええい!煩わしいことは抜きだ!

    とりあえず滝行だ!」

    思い立ったらすぐ行動。

    人間、躊躇えば発酵する。

    果ては粘着いた納豆の如き糸に引っ張られ

    いつの間にやら蜘蛛の巣状に絡めとられ

    身動きが取れなくなってしまうであろう。

    さにあれば

    善も悪も仏も鬼も急ぐに越したことはない。

    とにかく出発だ。

    電車からバスを乗り継ぎ、東京山奥の寺へ。

    拙速に調べたものだから、

    果たしてこのお寺の宗派が

    なんであるかわからぬ。

    ともすれば我が家の宗派が

    なんであったかもよくよく思い出せぬ。

    だが、そんなことは問題ではない。

    私は滝に打たれに来たのだ。

    念仏を唱えに来たわけでも、

    坊主の禿頭を拝みに来たわけでもなし。

    賽銭箱に身銭を切るなどは以ての外である。

    賑やかな色彩の御簾に目を瞬かせながら、

    それを潜って境内へ入ると、

    田舎の小学校一クラス分

    くらいの人数があった。

    ざっと二十人を超える程度の

    顔ぶれのそれぞれに、

    厳かなる面、迷える面

    などが様々見て取れた。

    「自分に限らず、やはり浮世というものは

    一筋縄ではいかぬものなのだな」

    安直な同情にどこか安心を感じた私は

    しかし、その中に実は

    何度もリピートしている

    「ご存じ顔」の猛者が点在し

    幅を利かせているのに気付いた。

    「どこへ行ってもヒエラルキーの構造からは

    逃げられないものだな」

    一転して、なんだか変に

    厭世的な気分になった私は

    少し辟易しながら煩悶を拗らせ、

    始まる前から心中右往左往し

    忙しくしていた。

    そのうち住職がいらして、

    密教の説明らしきものを一通り語り始めた。

    不思議なことに、私の頭には

    その時聞き齧った教養がまるで抜けている。

    さては余程、

    この後に待ち構えている修行に対して

    先に真剣になり過ぎていたのであろう。

    又は住職のお話が

    余りにお達者であったものだから、

    つい微睡んでしまったか。

    巧い落語はどうしても聞き心地が良くって

    眠たくなってしまうと聞く。

    であれば、人を眠らせてこそ

    一流の説法者と言えるだろう。

    ドラクエにて僧侶がラリホーを

    覚えることにも合点がいくというもの。

    そこへ行くと小中高の校長先生の

    手腕たるや恐ろしい。

    彼らは大司教。大僧正。

    果ては仏陀・耶蘇の

    生まれ変わりやも知れぬ。

    なればこそ、毎回微睡んでいた私を

    罰しようなどと考えてはいけない。

    眠りこそ、完全なる殉教の精神なのだから。

    さて、丁度いいお昼寝を終えて、

    改めて目の覚める想いで、

    いざ滝の鎮座する山道へ。

    大荷物を抱えた住職が先頭に立ち、

    ずんずん進んで行く。

    険しい山道…まるで獣道である。

    人間道に至る前にまず畜生道を越えよ、

    というところであろうか。

    しかし、そんな凸凹道をものともせず、

    和尚は事も無げに飛び回るが如き

    軽やかな歩みを止めない。

    「さてはこやつ、

    坊主に化けた烏天狗じゃないかしら」

    私は天狗に化かされ山奥に引き込まれ、

    そのまま野に朽ち果てる

    我が身を想像して震えた。

    そんな八つ当たりにも似た妄想を

    巡らせているうちに滝が見えてきた。

    嗚呼、良かった。

    間一髪、修羅道を避けて人間道に至る。

    住職の持ってきたテントで1人づつ、

    滝行用の衣装に着替えた。

    テントの中には、白装束が1つ。

    暗き中にぼんやりとした光を放ち

    浮かびあがるそれは、

    浮世に黒ずんだ汝が生を漂白して白く染めよ

    と命じているようであった。

    我が世もこれまでか。

    私は一瞬にして太閤秀吉に呼び出された

    伊達政宗に同調した。

    嗚呼、死とは是の如く真っ白なのだな。

    気持ち顔面も白くなって出てきた私に

    ちょうど、滝行の順番が回ってきていた。

    いよいよだ。

    私が拵えた罪が激流となって

    我が双肩に罰の打擲を加える時が来た。

    果たしてこれで浮世の汚泥を

    洗い流すことが叶うか。

    それとも打擲に没するか。

    せっかくならミレーの描いた

    オフィーリアの如き芸術味を帯びた

    どざえもんになりたい。

    などと夢想しながら、私は歩一歩、

    滝つぼの中へ身を沈めていった。

    腰辺りまで水に浸かったところで、

    滝の隣に並ぶ形となった。

    水龍は一切の加減を憚ることなく、

    奔放にその身を水面へ叩き付け、

    そこから眩い白竜に生まれ変わって

    一帯を脅かしている。

    思っていたのと違う。

    もっとこう、

    例えばジェットコースターには

    安全バーがあるべきだ。

    しかし、この滝壺の有様ときたら、

    アームバーだけで急降下も一回転も

    耐えろと言わんばかりだ。

    曲がりなりにも仏に帰依する

    龍なるに関わらず、

    まるで慈悲の心が欠けている。

    菩薩の意向も滝壺までは及ばぬようだ。

    さりとて、

    如何に見切り発車から出た錆とはいえ、

    この洗礼を所望したのは己なれば、

    ここへ来て往来を

    逆しまにする訳には行かぬ。


    ~2へ続く~

    ?アカリ?



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    君の小皿、私の矜持


     ――互いに食べたふりをしながら、

    腹の底では戦っていた。

    JOKERを期待して胸を躍らせていたら、

    ひたすら調子に乗ったアーサーが

    レディ・ガガと歌い踊る様を

    2時間以上見せ付けられた。

    そんな映画だった。

    どんな作品であれ途中退席する者は

    人非人だと言わんばかりの

    暗黙の了解が満員の館内に漂う。

    座席に仕掛けられた鶏餅に

    まんまと引っ掛かった

    羽のないペンギンの気分で、

    私は照明が明るくなるのを待った。

    隣の友人が頼んだ

    二人分のキャラメルポップコーンを、

    五分おきに一定量口に運ぶリズムだけが、

    頼りない時間の軸として

    私の秒針をふらつかせていた。

    「なんか、ミュージカルだったね」

    友人はそれ以上、語らなかった。

    感慨に耽ける以外にも、

    言葉を交わさずスクリーンを後にすることは

    往々にして尽きないものである。

    私たちの足は自然と

    回転寿司屋へ向いていた。

    回らない寿司など、

    回転しないリールと同じだ。

    そう言わんばかりの足取りで

    2人分のカウンター席に陣取ると、

    友人は早速、天ぷら饂飩を頼んだ。

    饂飩を取られた私は対抗馬として

    味噌ラーメンをお通しに託した。

    寿司屋で食べるラーメンは

    なぜこんなに心を惹きつけるのか。

    寿司屋に来てまで食べることに

    意義があるのだろうか。

    蕎麦屋でやたらと

    カレーライスが食べたくなることに

    似ているのかもしれない。

    しかしあれは、蕎麦粉でつくるカレーの

    独特の粘りが魅力なのであって、

    寿司屋のラーメンに

    斯様なイニシアティブはない故に、

    似て非なるものであろう。

    とすれば私のこれは

    寿司屋への反骨精神によるものか、

    いやひょっとしたら、

    私は知らぬ間に背徳心に

    悦楽を委ねる享楽主義者なのやもしれぬ。

    そう思えば私はラーメンに限らず

    さっきから二乃矢、三乃矢に

    サラダ味噌汁唐揚げ茶碗蒸し等を

    矢継ぎ早に頼んでいる。

    寿司屋においてこの蛮行、

    いつ糾弾されても

    構わぬ覚悟はしておかねばならない。

    多少、剣呑な心持ちに

    気構えを正していると、

    糾弾の矢はまず真正面から飛んできた。

    「さっきからサイドメニューばっかだね」

    口の端に嘲笑を浮かべる彼女の手前には

    饂飩のみならず、蕎麦、ポテトなどが

    乱雑に並んでいたのだが、

    その合間を縫うかのように、

    小皿の寿司が

    居心地悪そうに窮屈に並んでいた。

    意図せぬ眼前の刺客に私は憤りを覚えた。

    先に饂飩を頼んで

    道を示したのは彼女である。

    私は騙し討ちにあったような気さえした。

    麺を啜り、その間に

    申し訳程度の寿司を頬張ることが

    そんなに偉いのか。大悪党だと思った。

    まるでモーセに唆されて

    紅海まで付いて行った先で、

    エジプトに帰れと

    理不尽を突きつけられたような心持である。

    それにしたって、

    こんなに卑劣で汚いモーセは

    初めてお目にかかる。

    幾星霜と温めてきた親睦すら、

    目の前の伸びきったラーメンのように

    一挙に冷え切ってしまいそうな気がした。

    このまま防戦一方で

    終わるわけにはいかない。

    私は奸計をけし掛けるためボソリと呟いた。

    「この期間限定のラーメン、美味しそうだね」

    「マジ?これは見落としてたわ」

    彼女は何の衒いもなくそれを所望した。

    首尾よし。

    そして彼女が一心不乱に

    期間限定に夢中になっている間、

    私は流れてくる寿司小皿を

    片っ端から片づけた。

    そして期間限定の器が空になった頃、

    私の眼前に重なった小皿の数は、

    糾弾の刺客と並んでいた。

    謀が上手くいった時の人間の心理とは

    実に単純明快なもので、

    あれほどまでに卑怯悪辣と

    心中で罵っていた友人の姿も、

    今や肩を並べて軍議を競い合った

    諸葛孔明と司馬懿の如くあった。

    争いの果てに人は強敵(トモ)を得る。

    確か北斗の四男が

    そんなことを言っていた気がする。

    最期に仲良く期間限定の

    パフェを食べ合う段になって、

    やっと映画の話で盛り上がった。

    観劇の山場はここである。

    長時間拘束された上に空腹の状態では、

    まともな批評などできはしないのだ。

    「まあミュージカルとしてみたら

    面白かったよね」

    「前作の続編って期待が大き過ぎたよね」

    そんなありきたりな感想を言い合いながら

    夜の街並みを

    ステーションに向かって歩いた。

    イルミネーションのように

    夜空を装飾する星々は、

    今日一日を映画に照らすようで、

    なんだか充実していた。

    ?アカリ?




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    母には、届かぬままで

    ──そういう制度ですから、

    とでも言えば

    少しは楽だったのかもしれません。

    母の日というものが世にあると知ったのは、

    十歳にも満たぬある年の、

    皐月の風に撫でられた午後であったか。

    商店街の一角に、

    仄かに甘い香りを立てる花屋があり、

    その前に立てかけられた立看板が、

    幼心をぐいと掴んで離さなかった。

    「母の日に、愛を込めて」。

    愛、などと書かれていた。

    なるほど、この国にはどうやら

    母に愛を捧げる決まりごとがあるらしい。

    私は、愛とは何かを知らぬまま、

    ただ、その決まりに従順たらんと欲し、

    おそらく世界に満ち満ちる

    母たちのうちのひとりであるところの、

    我が母にも、何かを贈らねばならぬ、

    という強迫観念に似た

    使命感を得たのであった。

    その頃の私は、毎月五百円という、

    貨幣経済の片隅で

    辛うじて息をしているような

    額の小遣いを拠り所に、

    菓子や玩具といった

    儚い贅沢を享受していた。

    が、その日はちがった。

    私は、あろうことか、

    その五百円札を小さな掌に握りしめ、

    花屋の店先に並べられた

    カーネーションの束を前に、

    しばし身を固くした。

    赤い花々は、

    まるでこちらを憐れむかのように、

    微笑んでいた。

    あのときの私は、子供らしい無分別と、

    それに相反するような

    一種の殉教精神とを一身に背負い、

    意を決してそのブーケを、

    たったひとつ、購入した。

    さらに、菓子を添えた。

    母の好む、チョコレート菓子であったか。

    いや、今となっては記憶も霞む。

    ただ、包装紙の金と銀の取り合わせが、

    妙に神々しく見えたのを憶えている。

    人は感謝を、こうして物に託すのだと、

    幼い私は信じて疑わなかった。

    さて、母の反応である。

    私は、その夜、

    慎ましき儀式を執り行うべく、

    リビングの戸口に佇み、

    意を決して贈呈した。

    「母の日、おめでとう」とでも言ったか。

    たどたどしい声音であった。

    母はそれを受け取り、

    ややの間、黙して見下ろしていた。

    やがて、彼女の口から洩れた言葉は

    「花なんて、要らないよ」という、

    まさかの、そしてこの世の地軸が

    ぐらりと傾いたかと思うような、

    無惨な一句であった。

    そのときの私は、まさにズッコケた。

    心中で。

    全身の骨という骨が脱臼するかと思った。

    顔の裏にまで赤面が広がったように思えた。

    なるほど、

    彼女の言わんとすることは分かる。

    そう、その花束も、菓子も、

    所詮は母から与えられた

    小遣いで買われたものであり、

    言ってしまえば、

    彼女の金を彼女に返したに過ぎぬ。

    貧しきマネーロンダリング。

    これでは贈与の美徳などどこにも宿らぬ。

    それ以来、私は、花を贈ることを、

    我が家の掟として封印した。

    禁忌である。呪いのように。

    代わりに私は、考えた。

    食卓に一品多く並べてみたり、

    兄姉たちを唆して、皆で財布を出し合い、

    鞄などという“役立つ”ものを買ってみたり。

    思えばあれもまた、

    子供らしい哀しき弁解であった。

    母の「要らない」に対する、拙い応答である。

    そして今年。

    今しがた、

    この日記が出る頃には昨日のことである。

    私は母の日を一日前倒しにして帰郷した。

    なぜ前倒しにしたのかというと、

    よりによって我が家の長兄が、

    母の為に伊豆へ温泉旅行を

    プレゼントしていたというのだ。

    5月11日、母、伊豆へ発つ。

    負けた。私は兄にまで負けた。

    これは私への面当てではないか、

    とすら疑った。

    「兄より優れた妹などいない」

    どこぞの仮面の三男に

    銃口を突きつけられた気分である。

    しかし、よくよく考えてみると、

    母の日に湯治を以て充てるなど、

    あんまり大盤振る舞いが過ぎる。

    却って俗だ。まるで恩着せがましい。

    私は一転して興が削がれた。

    我が兄の孝養心を棄却し、

    むしろ行き過ぎた贈与に赤面した。

    軽蔑さえした。

    その点、私の親切は、

    私の風評への実利と

    縁遠いところにあるのだから、

    実に真面目だ。

    派手なだけでは駄目なのだ。

    やはり、

    TPOの趣旨に沿った趣がなくてはいけない。

    私は考えに考え、

    ついに究極の実用品

    「絹のインナー」を選んだ。

    着ぬはずがない。着ないわけがない。

    着なければ裸ではないか、とまで思った。

    そして昨日。母はこう言った。

    「インナーなんて、要らないよ」

    …私はもう、

    次は洗剤を贈ってしまうかもしれない。

    消耗品なら文句なかろう。

    果てはもはや、

    いっそ現金になるやもしれぬ。

    思えば、私のプレゼント人生は、

    母の「要らない」という言葉との

    壮絶な戦いの歴史である。

    愛情とは、要するに持久戦である。

    どれだけ断られようと、

    贈りつづけるしかない。

    もはや、これは合法的な嫌がらせである。

    母よ。私は来年も、きっと何かを贈ります。

    そのときはぜひ、軽くでもいいから

    「うれしい」と言ってくれ。

    でないと私、今度こそ、本当に洗剤を買う。

    3リットルの詰め替えパックだって買う。

    私という人間の「愛」は、

    いつまで経っても、少々ねじれており、

    どこか滑稽である。

    ?アカリ?



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