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なぜかずっと胸のどこかで生きている。
どうしてあんなことになったのか
いまだに自分でもよく分からない。
そもそも、わが小学校には妙な伝統があって
劇の配役というものを
たとえ一言しか喋らぬ脇役であっても
必ず壇上でオーディションさせるという
謎めいた儀式があったのである。
いや、これはもう
照れ屋には地獄でしかなかった。
私はその日
すでに心を半分ほどあきらめていた。
選んだ役は「飼育員D」。
台詞はたった一言
「そんなの可哀想じゃないか!」
それだけである。
しかも、私ひとりしか希望者がいなかった。
にもかかわらず
なぜか「はい、じゃあ壇上へどうぞ~」
と笑顔で言う先生。
八十人分の視線を浴びながら
体育館のステージへ向かう私の背中が
きっと世界一薄くなっていた。
あの感覚は忘れられない。
全身の細胞が心臓になったようで
どこをどうしても「どくどく」言っている。
顔も手も、まるで誰かのものみたいに
言うことを聞かない。
脚だけがやたら真面目に
舞台の中央まで運んでくれる。
ええい、ままよ!と息を吸って──。
「そんにゃふ……
そんなの可哀想じゃないか!」
噛んだ。
きれいに、はっきりと、噛んだ。
自分でも驚くほど、噛んだ。
ああ、あれほど練習したのに
風呂でも台所でも
こっそりつぶやいていたのに
それでも噛むときは噛むのだ。
これが人生というものである。
ステージを降りると、友達が
「まあまあ、味があって良かったよ」
と笑った。
味。味とは何か。
それは慰めか、それとも隠喩か。
などと考えたが、まあいい。
笑われるうちは、まだ大丈夫だ。
配役発表の日、案の定
私は「飼育員D」に決まった。
他に候補もなく、私の座は守られた。
誰にも奪われない
安心と孤独の椅子である。
その後の本 番では、台詞を噛むことなく
きちんと「そんなの可哀想じゃないか!」
と言いきった。拍手もあった。
よかったじゃないか
と自分に言い聞かせた。
失敗したことより、やり直せたことの方が
ずっと、なんというか、救いになるものだ。
たった一言で終わる役だったけれど
それでも私はちゃんと舞台に立った。
怯えて、震えて、噛んで
それでも一歩は踏み出したのだ。
いま思えば、それはちょっとした
冒険だったのかもしれない。
そう、飼育員Dとしての
私なりの名誉と苦悩であった。
?アカリ?
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