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―― 愛とは、
貰っていただく勇気を持つことである。
春である。何かがほどける音がする。
遠くで雀がちゅんちゅん啼いている。
私はと言えば、
ぼんやりとした顔で
コンビニの菓子売場を彷徨っていた。
別に、腹が減っていたというわけではない。
ただ、どうにもこうにも、
その色とりどりの駄菓子たちが、
私のような愚かしい女を嘲るように、
そこに並んでいたのだ。
「買おう」
そう思った瞬間には、もうレジ袋の中に、
菓子がぎっしり詰まっていた。
私は一人暮らしである。
どこぞの立派な殿方が訪ねてくるでもなし、
母が作り置きを届けてくれるでもなし。
言ってしまえば、
これは私自身の口に収まるための、
孤独な軍資金であるはずだった。
けれども、甘く見ていた。
私は、自分の胃袋を、
誠に甘く、見積もっていた。
食べても食べても減らぬ。
いや、正確には、
減っているのかもしれぬが、
あのぷっちょに関しては、
明らかにこちらの精神のほうが
ぷっちょ化していく感覚がある。
もはや私の血管には
ぶどう味のゼリーが流れている気さえする。
風呂上がり、鏡を見るたびに、
そこにはぷっちょの化身が
ぼんやりと立っていた。
救いを求めた。友人たちに。
「あげるよ、お菓子。好きなの持ってって」
そのつもりだったのに、あの子が言うのだ。
「あんたと一緒におると、太るわ」
なんたる暴言。いや、正しい。
まったく、正しすぎて、
私は返す言葉もなく、
ただ笑うしかなかった。
それからというもの、
私は“配る女”となった。
街中で菓子を配る
大阪のおばちゃんよろしく、
ぽんと袋を差し出しては言った。
「飴ちゃん、いる?」
しかし時代は変わった。
友人たちは、あからさまに
困惑の表情を浮かべるようになった。
私はとうとう口調を変えた。
「あの、お願いですから、
お菓子、貰ってくれませんか」
施しではない。布施である。
いや違う、これは祈りである。
私は自分が与える側だと思っていた。
だが違った。
彼女たちの「もらってあげる」
という優しさに、私は救われていたのだ。
ありがたいことです。
人の情けというものを、
久しく忘れていた気がいたします。
思うに、これはとんちである。
禅問答のようでもある。
あげたい、しかし欲しがられぬ。
ならば、頼み込む。受け取っていただく。
与える喜びと、受け取る苦悩と、
求めぬ人への愛情と。
つくづく私は学んだのである。
気持ちが大事なのだと。
思いが大切なのだと。
春の光の中、私は今日もまた、
そっと小さな声で尋ねるのだ。
「…ぷっちょ、いりますか?」
?アカリ?
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