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アカリ(21)
T164 B88(E) W56 H87

絵が描けないのに行き詰って
筆山君の部屋を酒瓶片手に訪れたら
鍵が開いていた。
中では筆山君が、僕と同じように
筆の一歩を踏み出せず苦悩していた。
なんだか自分を見ているようで
胸が苦しかった。
何となく
今後の戒めにスケッチしておいた。
もう絵画展の期日まで時間もないのに
僕は一体何をしているんだろう。
酒瓶を寝ている筆山君の傍に置いて、帰宅。
?
〇月△日
コンクールに出すに値する絵が描けない。
いや、ひとつだけある。あの絵だ。
あの筆山君の
あと一歩を踏み出せずに苦悩している姿。
あれは僕自身だ。
しかし、よりよいものを求めて
その欲と抑圧の狭間で
矜持に押し潰されながら苦しむ。
それが芸術家の一番大部分を
占めている姿じゃないだろうか。
輝かしい瞬間なんて
その中に一瞬訪れるかどうかの
不実な芸術の女神のペテン
みたいなもんじゃないか。
絵の名前は
僕の名前をそのまま付けようとも思ったが、
やはり筆山君の名前を付けることにしよう。
あの絵は、彼のおかげで完成したものだ。
ならば勝手にスケッチしたお詫びと
お礼の念を込めて
彼の名前を少しでも
世に売ってあげるべきだろう。
彼は文士として
まだ世間に全然認知されていないことだし。
それに、あの絵は
僕と筆山君のシンクロニフィティを顕した
長年の友情の証みたいなものだ。
ならば僕の名義で出展して
タイトルは彼にすべきだろう。
?
◇月×日
僕の作品が世界絵画大賞を受賞した。
まさか
あんな勢いで描いた絵が評価されるなんて。
僕は今まで絵のことを
難しく捉えすぎていたのかもしれない。
ただ純粋な気持ちを
画布に塗抹すればよかった。
簡単なことじゃないか。
そんな簡単なことが
中々現代人にはできやしない。
それは「純粋な気持ち」自体が
擦り減って稀有なものになりつつあるから
なのかもしれない。
しかし、それで言うなら
僕にこの絵を描かせた筆山君の方が
余程に純粋な気持ちの持ち主だ。
彼は感情をありのままに
行動で表現することができる。
原稿用紙の前で変にカッコつけて構えずに
それを筆に込めて無心に作品に没頭すれば
きっと、必ず、彼も僕のように、いや
僕以上に人々の評価を得られるはずだ。
この絵を通して
僕の気持ちが筆山君に伝わるだろうか?
?
◇月▽日
同時受賞したトニオ・サルバドール・
マクダニエル・ゴンザレス画伯の絵を
鑑賞して、涙が止まらない。
あの絵には、真の愛と、贖罪と、無責任と
不条理と理不尽が混在していながら
奇跡的に一つの絵として
調和が齎されている。
なんて美しい絵だろう。
生々しい感情が
剥き出しに描かれていていながら
まるで絵に描かれた人物の一人一人が
絵を実体として
実際に生きているかのようだ。
トニオ・サルバドール・
マクダニエル・ゴンザレス画伯は
この絵を描くために生涯を費やし
その人生を極端なまでに芸術に捧げて
逝ってしまったそうだ。
芸術家が短命なるならば
かくありたいものだと思う。
芸術への滅私奉公。
僕なんかには、その代償なしに
こんな絵を描くことは
一生かかっても不可能だろう。
芸術家としての信念の差を
思い知らされる気持ちだ。
今、僕の絵は、トニオ・サルバドール・
マクダニエル・ゴンザレス画伯の絵と
並んで展示されている。
それはきっと僕の人生で
一番の栄誉に違いない。
?
×月〇日
筆山君に殴られた。
後頭部を強か打ったおかげで
くも膜下出血と診断された。
これじゃ
もう趣味のクンクメールもできない。
全くもって頭にくる。
でも、それで血圧を上げて
脳動脈瘤が破裂しては元も子もない。
これからは平常心を大事にしなければ。
…筆山君の直情的な部分は
出力する先をいつも間違える。
僕を殴りたいのなら、直接的にではなく
文学の力で殴って
思い知らせてくれればよかったのに。
いつになったら彼は
自分の才能のベクトルを
正しい方向に向けられるのだろうか?
彼はプライドが高すぎる。
文学に対して、あまりに高潔過ぎる。
このままでは、彼はその直情的な才能を
どこにも咲かすこと叶わず
文士としても人間としても
路頭に迷ってしまい兼ねない。
友人として
なんとか彼を正しい方向に
立たせることはできないものか。
?
□月▲日
絵画大賞を受賞してから
僕の生活は変わった。金が入ったからだ。
そして金を持った途端に
色んな人間が近付いてくるようになった。
どいつもこいつも、ろくでもない
教養もなく
芸術を1ミリも解さない俗物ばかりだ。
高い絹物や高い金物で武装している様も
実に醜悪だ。
中身がない者ほど
鎧を纏って、虚飾と詐術で世を謀る。
何時の時代も変わらない。
そんな中に、一人の弁護士がいた。
なんでも昨年の弁護士会で
大きな賞をとったらしい。
一見、誠実そうに振舞ってはいるが
その心胆は自信満々で太々しく
その双眸の奥には
とにかく獲物から金を
むしり取ってやろうという
狡猾で怪しげな光が
欲に駆られ渦巻いているようだ。
こんな奴が弁護士会の権威になっては
世も末だ。
?
□月▼日
例の弁護士が
筆山君の暴力事件で争わないか?
と持ち掛けてきた。
そりゃ一発は殴り返してもやりたい。
しかしそれは、芸術の力でやるべきことだ。
だが今の彼と僕では
その芸術性の世間的な評価が
あまりにもかけ離れ過ぎている。
僕が彼を芸術の力で殴ることも
もはやできない。
そもそも本音を言えば
あの絵で殴ったつもりだった。
殴った衝撃で、筆山君が真の芸術の道に
目覚めてくれることを願った。
しかし、それはただの
筆山君の癇癪の材料にしかならなかった。
僕は逡巡した。
芸術の力ではなく、法の力で殴られたならば
彼も少しは目を覚ますだろうか?
筆を正しい方向へ
向ける気になってくれるだろうか?
…僕の手の中にある
この使い道のない、金という紙切れの
正しい使い方があるとすれば…
?
?アカリ?
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