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さて、ここまでで色々と
我が友人の弾丸旅行に関する弊害を
ツラツラ申し述べてみたが
なんとなれば私は旅行に
そんなに価値を見出せない類の人間である。
タイに行ったとてミャンマーに行ったとて
多分ヨハネスブルクに行ったとて
一定水準以上の感動を見出せないであろう。
それは、そもそも私自身が
居住している半径数km程度の世界に
十分充足を感じているからであろう。
何故なら、慣れ親しんでいるとはいえ
私方の表の舗装コンクリートも
舗装されていない土壌も、公園の砂地も
裏の草むらも、変わらず世界の大地であり
地球に他ならない。
それは何処に行こうと変わらない。
異国の地に足裏を付けても
やはり感じるのは
母国と同じ星の胎動のみなのである。
勿論、そこに質感の違いはある。
でも結局
舗装されている・いないに関わらず
大地は大地だ。
私が地球に引っ付いていることに
何ら違いはない。
気温や湿度、空気の重さ、街の清潔さ
気候独特の雨風や日差し。
それらがまだ見ぬ未知の景色として
私に感動を齎すかというと
そんなこともない。
私にとって母国と外国を隔てるものは
「程度の差」の一言で片付いてしまうような
浪漫のないものなのである。
かといって私が世界に対して
不感症なのかというと、それは誤解である。
むしろ真逆である。
私は私の生きている範囲ですれ違う人々
目に付く草花
日に日にヒビれていくアスファルト
突然にリフォームされた通り道の家屋。
日々、影の形を密かに変えていく
街の佇まい・息遣いを愛してやまない。
別段、異国情緒に憧れなくとも
私の周りには消化できないほどの
沢山の人の生がある。
未だ気づきもしない物の見方・角度がある。
世間では実体・仮想を問わず
情報が乱れ飛んでいる。
深淵には古から伝わる歴史がある。
神話がある。文学がある。哲学がある。
政治・経済は常に運動している。
それら全ては、居間に尻を付けていようと
地に足を付けていようと
五体で感じるこの星の感触は
ぐるりと地続きだ。
風は絶えず世界を旅して訪ねてくる。
地球も止まらず回り続ける。
時代も忙しく滑車を廻す。
そして私の頭もグルグルと渦を巻き続ける。
やがてそれは黒潮となって
そこに漁師が押し寄せるように群がり
私の頭からマグロが一匹、マグロが二匹…
いつしか私は深い眠りに落ちていった。
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?アカリ?
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