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アカリ(21)
T164 B88(E) W56 H87
投稿日時
――取りたいものより
届かないことのほうがよく見える。
我が家のハンガーラックには
上に物が置けるスペースがついている。
あれがくせ者なのだ。
最初はね、「収納力、爆誕!」とか思ってた。
期待はいつも
油を差しすぎた蝶番のように軽やかに開く。
だけど、あまりにも高すぎた。
手を伸ばしても届かない。
指先に気合いを込めても無理。
物件って、なんでこう
…女の骨格事情を理解してないんだろう。
世の中に170㎝超えの女性が
どれくらいいると思ってるの。
みんながみんな
ミラ・ジョヴォヴィッチじゃないんだよ。
いやほんと、あの人すごい。
名前だけで強いもん。
濁音の嵐、濁音のドレスコード。
ジョヴォヴィッチ。
マルコヴィッチもウサヴィッチも
尻軽ヴィッチも足元にも及ばない。
…また関係ない方向に意識が逃げる。
脳がこうして雑念に走るのは
目の前の現実から逃れたい証拠だ。
私は目の前の高すぎる物置スペースと
もう一度向き合う。
あれさ、最初からなければよかったのに。
「便利!」と思わせて
二度と手が届かない場所に
大事なものを納めさせるって
もはや詐欺の手口。
ストリートファイター
ちゃんと買ったのに。
波動拳、出す前に収納されたまま眠ってる。
道具に謝りたい。
「お前はまだ地上戦もできていない」と。
あそこは、物の墓場だ。
一度納めたら、ほぼ死蔵。
もうあれは納めじゃなくて
神棚に供える儀式に近い。
気づけば、カバン
キックボクシングのグローブ、災害備蓄
水、ゲーム、全部お供え状態。
私が何かやろうとした痕跡ばかりが
あの棚にある。
もう、棚というより霊廟。
もちろん、文明の利器・脚立はある。木脚。
地味に重いけど忠実で
黙って立っててくれる優しいやつ。
けどさ、深夜二時にふと思い立って
ゲームを取りに行こうとしてさ
脚立担いで、がしゃんどんがらがっしゃん
って…そんなホラー演出、誰が望んだの。
荷物の回収って
そんなに命がけだったっけ?
阿部公房の『箱男』ってあるじゃない?
あれ読んだとき、
「こういう異形、あるな」って思ったけど
今の私はもう、“脚立女”だよね。
生活に屈して形状が変わった哀しき実存。
それを想像しただけで
ちょっと疲れて、
また今日も物置スペースを
見上げるだけで終わる。
私は、あの高みにある物たちに
話しかけるように視線を上げて
あえて何も取らず、ただ黙って通り過ぎる。
それが、最近の夜のルーティンだ。
?アカリ?
投稿日時
――どせいさんの中にだけ
自分の形がぴったりはまる気がした。
家に帰ると、どせいさんが迎えてくれる。
玄関の影がまだ
脱ぎ捨てた靴に引っかかっている頃には
もう、彼はそこにいる。
どせいさん、というのは、あの、あれだ。
スーパーファミコンの
「MOTHER2」に出てくる、不思議なやつ。
なんていうか、宇宙人?いや、土の精?
よくわからないけど
とにかく輪郭が曖昧で
でも確実に“そこにいる”タイプの存在。
あまりにも強烈な
ゲップーとかいう名前のボスに
奴隷みたいにされてるけど
なぜかぽえ~んとしてて
あんまり気にしてない風で。
それを見たときから、もうダメだった。
完全に落ちた。
まるっとした身体
磯野家の家長を連想させる一本毛
必要かどうか分からないくらい
ひょろりとした手足。
お茶の水博士とケンカできそうな立派な鼻。
左右にぴょこっと伸びる触覚めいた猫ひげ。
意思の強さと弱さが
両立してしまったような、あの瞳。
意味があるのかないのか分からないリボン。
いや、あれはあるな。あってほしいな。
落書きみたいな外見。
生物というより図形。
でも、なんだろう
情報量だけはすごくある。
可愛いっていうより、信頼できるって感じ。
初対面なのに
もう何年も知ってる人みたいな。
レントゲンを撮ったら
たぶん脳みそでいっぱいなんだと思う。
骨すらないかもしれない。
どせいさんは、喋る。
「~ほー」「ぴー」「~なのら」って
たどたどしくて、でも伝わる。
崩れた文法に、なんか奥行きがある。
無邪気と知性が喧嘩せずに同居してる言葉。
句読点のかわりに空白があって
ひらがなが泳いでて、そこに“詩”がある。
私はそこに
叡智のかけらみたいなものを見てしまう。
人間がこぼした言葉の隙間を
拾って再構成してる感じ。
異星の文法に、
なぜか郷愁を感じるのって、不思議だ。
彼らの村も好きだ。
干渉しない。けれど拒絶もしない。
なにも求めず、なにも押しつけず
ただそこに存在することの強さ。
人間が、いちばん持ってないやつ。
そして音。
あの「ぺちょぺちょぺちょ」っていう表示音。
あれだけで、喋る速さとか
ちょっと詰まり気味の発音とか
感情のざらつきまで浮かんでくる。
声優がついてないっていうのが
逆にありがたかった。
脳内補完という名の共同作業で
私は理想の声を勝手に作って
それに勝手に惚れた。
で、最近、貰ったんです。
どせいさん。フィギュア。
小さくて、やたら精度が高くて
存在感があって、でも音は出ない。
暗い部屋で電気もつけずに帰宅して
鍵を置く前に目が合う。
「おかえり なのら。
おうち しずかに まってた ほい。」
言ってる、気がした。
それで私も、条件反射みたいに返すのね。
「ただいま ぴー。
きょうは たくさん
たいへん だったのかも しれないほー。
でも かえってきたから
だいじょうぶ なのほ。」
頭で考えてない。勝手に口が動いてる。
誰にも聞かれてないのに、会話してるの。
私、たぶんもうだいぶ重症だ。
最近、外でも
どせいさん語が出てしまいそうで
ちょっと怖い。
「ぴー」とか口に出してしまったら
社会的に終わる気がする。
でも、出ちゃうかもしれない。
愛が濃いから。
淋しい部屋には、たぶん何かが必要だった。
テレビでも音楽でもなくて
あの、一本毛とリボンと
丸い体が必要だった。
「異質・無垢・知恵・孤独・愛嬌・信頼」
…崩れそうで崩れない絶妙なバランス。
私の孤独が、きちんと置いておける場所。
完全に沼。どせいさん沼。
あったら移住するよ、サターンバレー。
何の迷いもなく。
そして今
私はどせいさんの持ち歩きを画策している。
いつか、そのまま忘れて外に出てしまって
「ぴー」と言いながらポケットを探す未来が
ちょっとだけ怖い。
?アカリ?
投稿日時
だから私は夕方が苦手。
そのビルの前を通るたび
ほんの少しだけ呼吸を止めてしまう。
臭い。
夏場に腐った肉の記憶みたいな臭いだ。
風に混ざると
ふとした瞬間に鼻の奥を襲ってくる。
完全に鼻を塞げる構造の顔が欲しいと
何度も思った。
夜にそこを通るときは
たいていブケファラス
(愛馬のママチャリ)に跨っている。
その日も、私はブケファラスの
ペダルを強く踏みしめていた。
まるで、何かから逃げるふりをすることに
夢中になっているようだ。
こんな私にブケファラスを駆る
資格があるだろうか?
卑しくも愛馬の名前を勝手に拝借した
アレキサンドロス大王に顔向けできないぞ。
偉大なる先王に勝手に恐縮しながら
不徳の儀を懺悔つつも
私は戦慄する心を抑えきれなかった。
もし、あのビルの中に
“肉切りブッチャー”みたいな
猟奇殺人鬼がいたとしたら。
もし、誰かの叫びが壁の奥で
凍りついていたとしたら。
そんな妄想が
想像力の裏路地で勝手に繁殖していく。
ある日の午後
私はそのビルの前でペダルを止めた。
陽が沈みかけているけれど
まだ世界は明るかった。
冷めかけの光がビルの外壁に
斜めに落ちていて
それが建物をほんのり淡い
灰色に染めていた。
少年がいた。
そのビルの壁に向かって
何かを投げていた。
石。
少年は全く無遠慮に次々と
ビルの壁に向かって
投石を繰り返していたのだ。
「殺されちゃうぞ、君!」
眼前に展開する危うい蛮行に驚いた私は
内心でそう叫んだ。
声には出さなかった。出せなかった。
忍び寄る惨劇の気配に屈して
何の警鐘も鳴らせず
ブケファラスに跨ったまま
私はその場に固まって少年を凝視した。
すると、彼は投げるのをやめた。
そして、私を見返した。
視線が交差したまま、ふたりとも動かない。
少年は手の中に石を携えたままだ。
しかし、よく見ると
それはすこし光を含んでいた。
それは、透明な、冷たい塊…氷だった。
その氷を透かしてみる奥に
洗い場と冷蔵庫と、働く人の背中があった。
いつも閉まっている
ビルのシャッターが開いていたのだ。
それは、ただの精肉作業だった。
なんのことはない。
そこにあったのは
取り留めもない日常だった。
なんだ。肉は、あった。
でも人間の、ではなかった。
包丁は、あった。
でもそれは業務用の
鉄の光を持っただけの道具だった。
そこには、加害者も被害者も、いなかった。
私は無意識のうちに
シュレディンガーの猫箱の蓋に触れていた。
開けてみれば、何もいなかった。
猫の毛も、声も、血も
ぜんぶ私の想像のなかにしかなかった。
その日から、私はもう
ブケファラスを飛ばすことをやめた。
ビルの前ではスピードを落とし
風の抵抗に身を委ねた。
世界が戻ってしまった、という感覚が
少しだけ寂しかった。
日常のなかに非日常を
見出すことはできても
それが非日常のまま
保たれることはあまりない。
私の目が、現実を暴き、世界はふたたび
ふつうの顔をして立っていた。
まるで、色のない手が私の肩をとらえて
見慣れた通りに引き戻したような
そういう引力のことを
私たちは「退屈」
と呼んでしまうのかもしれない。
?アカリ?
投稿日時
――外国人の横顔ばかり見てたら
自分が透明になるスピードが
上がった気がした。
ふらっと、という言葉を
人生に使う人間でいたいと思っていた。
だから私はその日、ふらっと浅草に行った。
ほんとうに唐突で
何かに呼ばれたとか
何かを思い出したとか
そういうエモい言い訳すらなかった。
ただ、なんか、雷門が見たい。
それだけだった。
雷門は、門というより
都市のまつげみたいだった。
境界のギリギリで、ぎゅっと目を閉じて
人々の往来をまぶたの裏に
溜めているような、そういうかたち。
昔はこんなに、目を開けてたっけ。
今の雷門は、光を受けすぎて
ちょっと疲れて見えた。
そこには人がいた。すごくたくさん。
びっくりするくらい
外国の人ばかりだった。
おでこがきれいに光る人
サングラスがやたら似合う人
ずっと写真撮ってる人。
まるで、世界中の言語がすべて
一時的に漢字の下に
避難してきているようだった。
ああ、もうこれは「雷門」じゃない。
サンダーゲートだ。
漢字の音読みで呼ぶには
ちょっと胸の奥がくすぐったい。
だけど、サンダーゲートって言うと
なんかB級SF映画の舞台”っぽくなって
それもまた、悪くないなと思った。
吉原も、いまや観光客で賑わってるらしい。
異国の人が
かつての艶やかさを追いかけて歩く姿は
ちょっと夢の中みたいだ。
そこだけ色調が違う映像を
私だけが再生しているような
静かな孤独がある。
過去の匂いが、現代の風に混ざるとき
時代はくしゃみをする。
くしゃみの瞬間にだけ
私たちは「いま」を自覚する。
それにしても
インバウンドって筋肉質だな、と思った。
全身で“今ここにいる!”
って宣言してる感じ。
気圧の変化で耳が詰まるように
急激な変化が鼓膜を揺らす。
私はといえば
その波にまったく乗れていなかった。
波の音を聞きながら
なんとなく川崎のことを思い出した。
川崎には、そういう派手さがない。
川崎大師に行ったときなんか
日本人すらほとんどいなかった。
広い境内に、ゆっくりした風が吹いていて
音が少なくて、屋根が重くて
まるで、誰かの夢のなかに
紛れ込んだみたいな静けさがあった。
あそこには、人がいないんじゃない。
「必要以上に居ない」という、安心がある。
混雑しないことが
都市の誠実さになる瞬間があるなんて
思ってもみなかった。
「川崎で有名になるには
人を殺すか、ラッパーになるか」
誰かがそう言ってたのを思い出す。
言葉はちょっと物騒だけど
なんか分かる気がする。
私はラッパーにはなれなかったけど
それでも昔、一度くらいは
ビートに身を預けようとしたことがある。
音が先に走って
自分があとから追いかける感覚。
そのズレに、何度もつまづきながら
リズムに馴染もうとした。
でも、川崎は泳げた。ビート板がなくても。
不器用な背泳ぎでも、溺れそうな横泳ぎでも
なんとなく、ちゃんと前に進んでいた。
川崎の水は、急がない。
変わらないことを
変わらないままでいてくれる
土地のやさしさを
私はそのとき、初めてちゃんと
味わっていたのかもしれない。
浅草を歩いていたはずなのに
気づいたら私は心のなかで
川崎の地面に座っていた。
こういう瞬間があるから、東京は面白い。
心だけが先に別の場所へ向かう
ちょっとしたズレを拾いながら
私はまた、雷門の裏側をゆっくり歩いた。
?アカリ?
投稿日時
――私はいまだハワイを知らない。
でも、ハワイの匂いを確かに感じた。
前職は音響だった。
音を操るなどというと幾分格好がいいけど
実際のところは
ろささ舞台袖で静かに汗をかきながら
ケーブルを這わせ
マイクのフェーダーを上げ下げすることで
明日を食いつなぐだけの日々。
私はその日も、ある舞台裏にいた。
フラダンスの発表会という
なんとなく牧歌的で
どこか胡蝶の夢のような現場。
裏からみるそれは
なかなか乙な味わいだった。
踊り手たちの顔は皆
なぜか光を帯びて見えた。
舞台照明のせいではない。
いや、照明がなくても
彼らの顔は輝いていたに違いない。
趣味という名の無添加アンチエイジング。
化粧品など一切及ばぬ、心の底から燃え立つ
小さな炎が頬を照らしていたのだ。
彼らは、確かに舞台の上にいた。
だがその目は
舞台だけを見てはいなかった。
この会場には収まらぬ心
その奔放さが
踊りの動きの端々から洩れていた。
まるで解き放たれた動物のように
あるいは海風に身をまかせる
木の葉のように舞っていた。
その背後に大自然が見えた。
ハワイの浜辺か、南国の森か
微睡むような幻。
ドレスの裾がひらりと翻るたび
椰子の葉の影が揺れて見えた。
フラダンスであるはずなのに
どこかレゲエの残り香がある。
自然と一体化し、いっそ
髪すら手放したいという欲望にかられて
ドレッドロックスにしてしまう勢いだ。
あれは最早、ヒッピーの聖域だ。
マイク・タイソンの
テグリディ・ファームさえ彷彿とさせる
自由と緩さと精神性の見本市。
「すいまん吸いません」
とでも言い出しそうな
徹底したゆるやかさ。
草原に帰ったパトラッシュのように
安らぎと共に発表会へと向かう
彼らの背中には
人生の歓びというものが滲み出ていた。
私はといえば
いそいそと裏方仕事に奔走し
舞台袖でケーブルの山に埋もれ
照明の熱気に汗ばみながら
ふと彼らの後光に
照らされたような気がしていたのだった。
舞台上の光が漏れて、ほんの少しだけ
私の実体が際立った気がした。
影に徹しようとしたのに
影にすらなりきれないこの哀しき裏方が
ついには光の余り物に焼かれて
ちょっとだけ人間になれたような錯覚。
飛び出したかった。
舞台袖から、すべてを捨てて
あの輪の中へ飛び込んでしまいたかった。
「裏がないから、おもてなし」
なんて言うけれど、裏がなければ
表に立つものも足場を失うのが道理。
私は、誰かの舞台に
貢献しているだけの存在だった。
だけど、それでも。
フラダンサーには
見る者を幸福にする引力がある。
あれはたぶん、惑星だ。
重力が違うのだ。
ああ、ハワイ。
私はハワイに行ったことがない。
タヒチも、グアムも
メキシコも、カラカスもない。
だけど、心だけは常にハワイアンでいたい。
心構えはいつもワイキキビーチ。
バギー乗り回し「アスタラビスタベイビー」
的なことを声高に叫ぶのだ。
そうでなきゃ
生きてる意味なんてないじゃないか。
私は裏で汗をかく。
けれど、いつか
スポットライトの余光くらいは
自分のものにしたいと思った。
ハワイに行けなくたって
人は心だけで旅ができる。
神様が皮肉屋なら
こちらも負けずに笑っていればいい。
?アカリ?
投稿日時
――電話の向こう
あの人は涼しい声で罪を差し出した。
姉と久方ぶりに電話をした。
声は変わらず明朗で
あの頃の夕焼けのように
どこか憎らしく眩しい。
「みんな元気?」と、ひとつ訊ねると
「元気。そっちは?」と返ってくる。
この何でもない挨拶にさえ
私は胸の奥に小さな金属片を
押し込まれるような痛みを覚えた。
最近、姉とはとんと縁が薄く
忘れ去られた古井戸のように
私のなかに沈黙していた。
せっかくだからと、話は少しばかり咲いた。
咲いたというより
あれは初夏の野にうっかり咲いてしまった
毒草のようなものだったのかもしれない。
ふいに姉が
昔のことをぽつりと零したのだ。
「八つ当たりしてて、ごめん」
私は目の前が少し歪んだ。
何だって?今、何を仰った?
「小学校のときさ
同級生と上手くいってなかったじゃん?
それで、あんたに意地悪してたなって。
あれ、たぶん全部
八つ当たりだったんだよね」
ああ。そうでしたか。そうでしたとも。
あなたは春風のように
軽やかに罪を告白なさる。
まるで桜の花びらを吹き散らすように
こともなげに。
そしてその花びらは、私の胸に舞い込んで
そこに長年張りついていた
氷の層を溶かしていく。
ぬるく、湿った涙のような水となって。
私は言葉を失った。
まるで長年の獄中から
赦された囚人のような気分だった。
だが、赦されてもなお
私は枷を愛していたのだ。
その鉄の冷たさが、自分の輪郭の
一部になってしまっていたのだ。
けれど、今となってはもう、過ぎたこと。
あの頃、意地悪されたのも
口をきいてくれなかった日々も
私が泣きながら
こっそり母の膝で寝入った夜も
今では古びた絵巻物のように
色褪せて美しい。
すっかり懐の広くなった私は、そう思った。
姉妹というものは
たとえ互いを引き裂く刃を携えていても
やがてその刃に赤い錆が浮き
何気ない会話のなかにさえ
遠い記憶の柔らかさが香るものだ。
「じゃあ、またね」
と言って電話を切ったあと
私はしばし呆けたように
天井を見つめていた。
空は高く、午後の光が
机の端をすべっていた。
静かだった。
まったく、姉という生き物は
どうしてこうも無邪気に罪を告白して
こちらの心を無残に掻き乱してゆくのか。
私はその愛おしさに
歯をきしませるしかなかった。
次会ったらビンタするわ。
?アカリ?
投稿日時
――わたしがまんじゅうを
配って回った理由は
誰にもわからなくていいのです。
化粧品よりも心の厚化粧をこしらえて
わたしは朝からそわそわしていた。
今日は撮影の日。何か持っていこう。
前に、バレンタインに
チョコレートを持っていったとき
カメラマンさんが子供のように
喜んだのを思い出したのだ。
ふと頭の中に楕円系の輪郭が浮かんだ。
揚げまんじゅう。
この世の片隅でこっそり
油に沈められた菓子が
なぜか私の魂をくすぐった。
あれだ。あれにしよう。
しかし目当ての
揚げまんじゅう置いているお店は
駅からやたら離れた場所で商いをしている。
徒歩でいくには時間が惜しい。
この世は刻一刻と時間に支配されている。
そのうち1時間が
1万円で買える時代が来るのかしら。
そんな映画があった気がする。
そして篠田麻里子氏が
吹き替えで炎上していた気がする。
「TIME!」手を振ってそう叫び
タクシーを拾った。
この世には「わざわざ」が似合う行動と
「ついで」が似合う感情とがあるけれど
この日の私はまったく
「わざわざ」の女だった。
車内は、うららかな昼下がりの光に溶けて
少し眠たくなるような気配があった。
けれども私の胸は
揚げまんじゅうへの想いで満ちていた。
あれは何かこう
こうばしく、熱く、ねちりとしていて
油にまみれた真心のような味がする。
店に着き、注文を終えた私は
ふと思いついた。
あのタクシーの運ちゃんと
お世話になってるピラティスの先生にも
渡してしまおうかしら。
理由はなかった。
ただその瞬間、そうしたかったのだ。
まるで、花が咲く理由を
問うてはいけないように。
私は袋を二つ追加して
紙袋の中に湯気のような
使命感を詰め込んだ。
タクシーに戻り
運ちゃんに一袋差し出して言った。
「揚げたてよ」
彼はまるで、自分の娘に
お年玉でももらったかのような笑顔で
「ありがとうございます」と頭を下げた。
それだけのことだったのに
私の中で何かがきゅっと鳴った。
ああ、わたし
こうして物をあげて生きてきたんだな、と。
ピラティスの先生にも渡した。
彼女はキリリとした顔でこう言った。
「有名店のですね!ありがとうございます!
現代人は油を摂らなさすぎなんですよ!」
職質されたらまずいんじゃないか
というようなテンションだった。
しかしなるほど、そういう見方もあるのか。
私のこの、心の油ぎった優しさも
誰かに必要とされる日が
くるのかもしれない。
そんな気がして、少し泣きたくなった。
撮影スタジオに着くと
カメラマンさんが「わっ」と言って
本当に嬉しそうに笑った。
ああ、やっぱりこの人は
チョコレートのときと同じ顔をするのだ
と、私はどこか安堵した。
こうして、揚げまんじゅうは
私の手から手へと渡り、人の胃袋へ沈み
心にじんわり油染みを残してゆく。
やがてその油の染みは、地球の空を包みこみ
大気圏を越えて回り始めるだろう。
私の、あなたの
あの人の揚げまんじゅうが
ぐるぐると地球を巡って
気がつけば、土星のような
まんじゅうの輪っかが出来ている。
そうして人類は、どせいさんになるのだ。
いや、きっともう、私たちはとっくに
どせいさんだったのかもしれない。
愛とは、油である。ときに熱く、
こっそり重く、人を太らせる。
どせいさんには
揚げまんじゅうが良く似合う。
?アカリ?
投稿日時
――鏡の中の私が
ちょっとマシに見えるのは
錯覚でなく祝福なのだと思いたい。
ピラティスに通い始めた。
その理由は、すこぶる人間的で
俗っぽく、情けなく
しかし確信をもって美しい。
それは、褒められるためだ。
スタジオは、蛍光灯の白光に満ちていた。
まるで真昼の真理のように
そこには一片の影もなく
すべての輪郭が白日の下に晒される。
広くて、磨かれた床があり
天井には光が泳ぎ
空気は薄い音楽のように揺れていた。
そこに、先生がいる。
ニコニコと輝いて
まるで太陽に飼われている
月のようなひとだ。
彼女の顔が発光している
のではないかと疑うほどに
光を味方にしている。
その光と蛍光灯とが
ぶつかり、混ざり、溶け合い
スタジオの空間はまるで
神のブラシが描いた
湾曲したガラスのような美術品となる。
私はそこに立ち
ただ空間の一部となって溶けてゆく。
鏡に映る自分が、少しだけ綺麗に見える。
それは錯覚ではあるのだろうけれども
錯覚の中にも人生は宿る。
夏の日は、ひどい。
太陽が勝手にご機嫌をきかせて
まるで世界の王様にでもなったつもりで
顔を膨らませ
こちらの額に問答無用で汗を刻みつける。
一歩外に出れば
空気は煮凝りのような熱気を纏って重く
景色がゆらゆらと
蜃気楼めいて揺れて見える。
私はその粘っこい夏を払いのけようと
自転車に乗る。名をブケファラスという。
私の愛馬、ママチャリである。
自転車に跨って走る様は
まるでぬるま湯の中を
ビート板にしがみついて泳ぐ
カンダタのようだ。
可笑しみと哀しみとが
手を取り合って進むその姿を
誰が笑おうと構うものか。
私は生きるために漕いでいるのだ。
ピラティスの空間に入れば
その熱帯の牢獄から解き放たれる。
空気が澄んでいて、清らかで
余分な感情を置いていける場所。
そこだけが、私の輪郭を曖昧にせず
美しく保ってくれる
唯一の場所だとすら思える。
そして何より、先生が、褒めてくれる。
「可愛いね、いいね、上手いね」
その言葉の粒が
まるで午睡の夢の中に降る
冷ややかな水滴のように
私の内側を濡らしてゆく。
ああ、先生は見抜いているのだ。
私がやればできる子だと。
そして、褒めねばやらぬ子だと。
少なくとも、後者のほうは確実に真である。
私は、先生に褒められに来ている。
きっと、そうだと思う。
サボテンだって、褒めれば咲くのだ。
貶せば萎れる。押せば倒れる。
棘ばかり立てて蹲っていれば
その棘が自分自身を突き刺して
ますます動けなくなる。
私は、自分の棘に刺されて
泣いた経験があるからこそ
花になりたいのだ。
今日も私は、先生の礼賛のシャワーを浴びて
青々とした芽を出そうとしている。
美しいかどうかは、知らない。
でも私には
褒められたいという確かな理由がある。
その理由があるかぎり、私は通う。
呼吸し、伸び、踏みしめ、咲こうとする。
サボテンが咲いたときの幸福を語るために。
花は、ひとりで咲いたわけではないのだと。
?アカリ?
投稿日時
――それでも尚、あの青年の目には
私の言葉は文字化けしてゐたらしい。
薬局というものは、此の俗世の縮図である。
ティッシュ、目薬、歯間ブラシに湿布薬
ありとあらゆる小宇宙の集積が
無造作に棚に収まってゐる。
人が求めし癒しと、或いは虚栄とが
きちんと値札を与へられて
陳列されてゐるのだ。
我は其処へ
買ひ出しの名のもとに参詣したのであった。
レジ前に並びし時、空気は微かに波打ち
何とはなしに不穏の風が立ち上る。
行列の足取り、遅々として進まず。
これ、何事ぞ。
我が後ろに並ぶ人々も
鴉の群れの如く沈黙しつつ
ただ一様にスマートフォンに
目を落としてゐる。
やがて、順番至りぬ。
我、漸くにして会計台の前に立てり。
そこに居並みしは、一人の青年。
「実習生」と染め抜かれた名札が
襟元に青白く光ってゐた。
なるほど、斯様なるか。
遅きもまた道理なり。
思へば、社会といふ猛獣の胃袋に
今まさに呑まれんとする若人の
その初陣ぞ。
我は心中にて、無責任なる激励を送る。
がんばれよ、青年。
人間、慣れればみな機械と化すものだ。
商品カゴを卓上に据ゑし、その瞬間である。
未だ底が机と邂逅せぬ刹那
彼は言ひ放った。
「袋、いりますか?」
早い。早すぎる。
心の準備といふものがある。
まるで恋人との別れ話を
食前に持ち出されるやうな唐突さである。
我は内心の狼狽を隠しつつ
鞄の空きを確かめるべく、手を突っ込む。
すると再び、彼の声が空間を断ち切った。
「バッグ?」
その声は、憐れみを含んでゐた。
いや、いや違ふ、あれは…確信だ。
我が鞄に手を突っ込む所作を
彼は解釈したのだ。
「ああ、この人は日本語が通じぬ
異邦人なのだ」と。
…ああ、何といふ誤解。
我は道端の桜並木を嗜み
納豆の粘つきをこよなく愛し
煮干しの出汁で涙する
純正なる日本製女子であるのに。
しかし此の青年には
我が外見が、異邦の者に映じたのだ。
顔つきか? 服装か?
それとも、ただの雰囲気か。
我、己が何を以て
異邦人と断ぜられたのかに思いを巡らすが
答へは来たらず。
「いや、要らないです」
口は確かにそう動いた。
滑らかに、明瞭に、正しき日本語にて。
だが、我が声は儚くも小鳥の囀りの如く
空気に紛れ、彼の鼓膜には届かなかった。
青年は尚も袋を差し出す。
我はその手から逃れる術なく
望まずして袋を受け取る。
そして、我は外国人として
袋を一枚、買ったのであった。
続く会話は、滑稽の極みである。
「キャッシュorカード?」
もはや彼の語り口には疑問すら無く
我が祖国語は葬られた。
我は怒りに似た昂ぶりを抑へつつ
今度こそ届かせんと、叫ばんばかりに??
「現金で!」
声が出た。
思ったより大きく、思ったより鋭く
思ったより日本人離れした音量で。
青年は瞳を大きく開き
まるで禅問答の答を
目撃したかのやうな表情をした。
突如として発せられた強き音。
彼の脳裏には
「異邦人突然発狂」
「店内緊急対応マニュアル」
「信義礼智」等
百八の言葉が渦巻いてゐたであらう。
その不安気な様子に気づいたのか
ベテラン店員たちが一人、また一人と
背後に現れ、青年を取り囲む。
彼の頭上にはもはや
「見守り」「指導」「支援」の名の下
無言の圧力が降り注いでゐた。
隣のレジでは、列が長蛇となりて
怒号すら飛び始めてゐたが、此処はもはや
一人の青年の魂の試練場であった。
人を育てるとは、難しきことかな。
「All for one」は美しき理想なれど
過ぎれば溺愛、甘やかし
或いは他者の機会を奪ふ枷ともなる。
ライオンの親が子を
千尋の谷に突き落とす例え
我は初めて真に理解せし気がした。
さて、我は店を出た。
袋の中に詰まれたティッシュは
ことのほか軽く
ふわりとした手触りに一抹の慰めを覚えた。
ああ、されどこの手に残る袋の重さは
我が誇りと誤解と小さな声が織りなした
哀しき戦の残滓であった。
?アカリ?
投稿日時
――たった一度
“かわいい”の構造を覗き込んだだけで
私の内側が見栄で満ちた
プラスチックみたいになった。
私はSNSという、正体不明の文化祭に
迷い込んでしまった客のような場所に
うっかり毎日ログ インしてしまっている。
そこには、きらびやかな
インフルエンサーたちが
何やらまことしやかに
でも堂々と自分自身を売りさばいている。
しかも、売れている。売れまくっている。
これが資本主義ってやつか
と私はとりあえずお茶を飲んだ。
なかでも、ある日出会った
お人形さんのような彼女。
可愛さが過剰に完成されており
顔も声もポーズも
ついでに飼ってる猫までもが
「演出」されていた。
そう、可愛いというより
「構成されて」いたのだ。
私は、うっかり夢中になってしまった。
ネイル、髪型、服
すべてが彼女の影に染まってゆく。
鏡に映る私は、なんとなく
「彼女っぽい誰か」になりつつあり
しかもそれにうっすら満足していた。
「そうか、これが流行という名の寄生だな」
などと、自己分析している時点で
オシャレ偏差値がゼロであることに
私は気づかないふりをした。
それだけではない。
私は勇気を出して、彼女の行きつけという
美容院にも行ってみたのだ。
だが、そこは
私が思っていたような場所ではなかった。
雰囲気が、なんというか…
…筋トレ中の脳内BGM
みたいなテンションなのだ。
鏡の前に座った瞬間
美容師さんの目がキラリと光る。
「前髪どうします?」という一言が、なぜか
「お前、ここがどこかわかってるのか?」
に聞こえる。
私は縮んだ。
内心では、体育の跳び箱を前にした
小学三年生のように震えていた。
「自分、何段から飛べるんすか?」
と聞かれても、私は既に家に帰りたかった。
それ以来、美容院には行っていない。
もちろん元の馴染みの店に戻った。
そこは、「雑誌は女性自身しかない」
ようなところだが
私のことを「いつもの感じですね~」
と覚えていてくれる
なんだか優しい空間なのだ。
思えば、インフルエンサーとは
“クラスの一軍”が社会という
メガ進研ゼミで更に研磨された存在なのだ。
あれはもう、ひとつの完成形である。
一方、私はといえば、クラスの隅っこで
給食袋をチマチマ畳んでいた側の人間だ。
注目されたら即座にしぬ。多分しぬ。
いや、しんだふりをする。
でもまあ
それでもいいじゃないか、と最近は思う。
削れない鉛筆の芯でも
メモくらいは書けるし
水彩で絵くらいは描けるのだ。
スポットライトは当たらなくても
窓から差し込む日光が私を照らしてくれる。
それで十分だ。たぶん。
ただひとつ、今もこっそり
彼女のインスタだけは見ている。
可愛いなあ、と思いながら、明日も私は
「いつもの感じですね~」の美容院で
前髪をちょっとだけ
整えてもらう予定である。
?アカリ?
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