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アカリ(21)
T164 B88(E) W56 H87
投稿日時

お題:異世界転生・歴史探訪
嘘つき同士の友情・最期の晩餐
希望と空虚・臆病者
据え膳食わぬは男の恥
正解と正しいは違う
?
照り付ける日が石の地面を焼いている。
立ち上る陽炎が
透明な煙のように景色を揺らしている。
青天井で石造り
石柱がまばらに拵えてある
古代の集会所のような大広場。
その中央で、男二人が
ステゴロの大喧嘩をしていた。
「そもそも君が
エルサレムを滅ぼしたせいで!」
絵守のステップインジャブ。
これは目隠しの囮。
本命は右上からの肘打ち。
「ああでもしなきゃ
ローマにすり潰されてただろう!」
筆山は紙一重
スウェーで絵守の右肘を躱した。
そして身体を戻しながら打ち返す
オーバーハンドの右フック。
「それだけじゃない!
君がサタンを無暗に挑発したせいで!」
絵守は筆山の右フックを
内側からストッピングして抑えた。
そのまま反対の腕にも逆手を巻きつける。
首相撲の形。
「僕の背骨は途中から粉々だ!」
絵守の身体が猫のように撓ったかと思うと
筆山の鳩尾へ向かって渾身の右膝が飛んだ。
ゼロ 距離からの不可避の攻撃。
「あいつ、しっかり口撃効いてたのか!
平気面こきやがって!」
筆山はその右膝を
己が左膝で辛うじて捌いた。
そして、その左足を絵守より一瞬早く
彼の左側面奥方へ着地させて踏み込んだ。
抑えている絵守の両腕を反時計回りに捻る。
絵守の上体が斜めに崩れた。
「それだって
君を助けようとしてのことだ!」
筆山は、そのまま軸がブレて
片足立ちになっている絵守の左足を
己が残った右足で思いきり外側から払った。
絵守はたまらず半回転しながら
地面にどうと倒れた。
ここは現代のような
柔らかいリングの上ではない。石畳だ。
転がされるだけでも
背中へのダメージは相当なものだろう。
?
「レオニダス様。両王とも。
いい加減にお止めください」
周りにいた老人たちが
すかさず止めに入った。
更にもう一人、別の老人が進み出て
絵守に肩を貸す。
ぐるりを見渡せば、筆山たちは
二十八人の老人たちに囲まれていた。
彼らは大きく円を描くように整列していた。
全員が革のサンダルに白いローブといった
同じような恰好をしている。
筆山と絵守の二人だけが
素っ裸で戦っていた。
傍に、脱ぎ捨てられた
真っ赤な外套と麻布のチュニック
そして老人たちと同じような
サンダルが落ちている。
もっと大きく広場の外まで見渡せば
至るところで筋骨隆々たる男たちが
素っ裸で木剣を振ったり
木槍を突いたり、隊列を組んだり
どうも戦の訓練らしきことをしている。
筆山は嘆いた。なんということか。
ついに私は裸族に転生してしまった。
ゲヘナでも服くらいは着ていた。
堕ちるところまで堕ちたと思っていたのに
まだ下が隠されていたなんて。
否、下は全然隠れていないのだが。
「なんですか、大事な会議中に。
王同士で拳闘を始めるなど」
絵守に肩を貸している老人が
狼狽気味に言った。
「テルモピュライへの出兵、如何にするか。
我らが威信を守るためにも、王のご決断を」
中央の堅物そうな老人が
真剣な顔で迫ってきた。
「なるほど。地獄の次はテルモピュライか。
神も随分とスパルタだな」
絵守は老人を押しのけて
ヨロヨロと立ち上がりながら言った。
「へ?テルモピュライって
あのペルシア戦争の?」
テルモピュライの戦い。
スパルタの英雄レオニダス王が
二十万を超えるペルシア軍を相手に
たった三百の精鋭で立ち向かい
実に二万以上の敵兵を討ち
一週間に渡って足止めしたという
伝説の戦いである。
「とにかく服を着てください」
裸の筆山と絵守は、改めて見ると
筋肉の塊のような逞しい体をしていた。
ここが、あの脳筋国家スパルタなのか。
筆山たちは、とりあえず
互いに落ちていた服を身に纏い
その辺の石に腰を掛けた。
両王とも。と、老人は言った。
確かにスパルタは二王制だ。
ということは、筆山がレオニダスで
絵守がレオキュキデスということになる。
この集まりは
その二王+二十八老人の三十人会議。
スパルタの最高決定機関
長老会ゲルージア。
筆山も文献でこれを見知ってはいた。
しかし頭は不満で一杯だった。
そもそも何で野外なんだよ。
屋根くらい付けろよ。
広い公会堂とかないのかって。
なんか他は木で作った
小さな掘立小屋ばっかでさ。
マントも滅茶苦茶暑いし。
でもなんか脱ごうとしたら
凄い目付きで老人たちが睨んでくるし。
この赤い外套が王の権威ですか。
王が日射病で倒れても
君たちは心配しないんですか。
嗚呼、そうだよな。スパルタだもの。
赤子が生まれたらすぐ葡萄酒に漬けて
耐えられなかったら即捨てるような
マッチョ至上主義国家だもの。
よく見たら男に混じって
女まで素っ裸で訓練してるもの。
マッチョな女からじゃないと
マッチョな子供は生まれないって
そんなマッチョな考えなんだよ。
何というマッチョ天国。
否、こんな国
現代のどんなマッチョだって
裸足で逃げ出すに違いない。
天から堕ちてマッチョ地獄。
やはりここはジュデッカより酷い地獄だ。
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お題:異世界転生・歴史探訪
嘘つき同士の友情・最期の晩餐
希望と空虚・臆病者
据え膳食わぬは男の恥
正解と正しいは違う
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沈黙。凍て付いた氷が完全に音を止めた。
それは、不気味な閑寂ではなかった。
ひれ伏したような、大人しいシジマだった。
しんとしたコキュートスの中で
目の前の絵守が
いつの間にか泡を吹いて気絶していた。
どうやら挑発は成功しているようだ。
ならばここで畳みかけるしかない。
「おやおや?
図星を突かれて歯噛みしちゃったのかい?
でも、僕の友達をその八つ当たりに
巻き込むのは辞めて欲しいなぁ」
サタンは動かない。
相変わらず感情の読めない
シックスアイズが私に固定されたままだ。
言い過ぎたか?
否。そんなことは百も承知。
言葉で殺して論理を封じる。
そうでもしなければ主導権など握れない。
もはや後戻りはできない。
舌先三寸で切りつけて
その隙に付け入る傷口は今此処にある。
ここが交渉の分水嶺。ここが先途だ。
?
「まあでも、一旦大局的なことは置いといて
今は僕たちの目先の話から
片づけようじゃないか。
結局僕が言いたいのはさ
君が咥えてるそのユダは、神の敵。
すなわち君の味方に間違いないってこと。
僕はダンテって未来詩人のおかげで
その動かぬ真実を知ってる。
君は未来のことより
今のことを優先すると言ってたよね?
ならば、まず神に反逆するその第一歩として
ユダを口に咥えるよりも
同胞に加えるべきじゃないのかなぁ?
神の最たる裏切り者を解放するということは
神に対する大反逆だ。
君がその口を開くだけで
神に一矢報いることができる。
こんなお手軽な大チャンス
そうそうないよ?
更に特別サービスで
最低な情報を教えてあげようか。
そいつは、さっきのエルサレムでの戦いでも
未来の神たる僕を見捨てて
逃げようとしたんだ。
つまり、そいつは現在においても僕の敵。
君が今を重視しようと
未来を軽視しようと関係ない。
断言しよう。
何時如何なる時であっても
ユダは僕の敵だ!
親の仇にも勝る裏切り者だ!
世界中から嫌われちまえクソ野郎!」
私は泡を吹いて気絶している
絵守の白目に向かって
指を突きつけながら啖呵を切った。
?
「ならば問う」
サタンの重い声が急に頭に落ちてきた。
「貴様は何故
その裏切り者を助けようとする?」
肺が痛む。動悸が加速する。
否。どうでもいい恐怖だ。
そんなものは後ろに引っ込んでいろ。
己の弱さなんぞ、嫌というほど知っている。
後でいくらでも請け負ってやる。
今は己を騙り切る。
魔王だろうが神だろうが
悪魔に魂を売ってでも出し抜いてやる。
「君、聞いてなかったのかい?
僕はそいつに未来で
手酷く裏切られて滅びる予定だ。
その上、現在においても
さっき裏切られたばかりだ。
君がそいつに罰を与えてたんじゃ
僕がそいつを
罰することができないじゃないか。
だからさっさとそいつを放せ。
じゃないと僕がそいつを殴れないだろう。
僕はそいつをこの手でぶちのめさないと
地獄に堕ちたって気が済まないんだ」
瞬間、鈍い音が聞こえた。ぐしゃり。
絵守の上半身が、その断面から
迸る朱に染まった氷面に落ちて転がった。
「絵守!」
叫んだ私の両の肺を、熱線が貫いていた。
さっきまで灰色に沈んでいた
サタンの両目が、紅く輝いている。
「茶番は飽いた。
貴様はさっきこの者を友と呼んだ。
過ぎた嘘には本音が混じる」
血が、絵守から、私から
魔王の周りを満たす。
サタンを中心に
赤黒い色が円形に広がっていく。
「尊い血だ。ジューダス。
その名に免じて
貴様らの血が満たす此処を
ジュデッカと呼ぼう」
血が凍っていく。
私の身体を閉じ込めていく。
しかし、此処は終わりではない。
地獄の底を、赤い闇が?み込んでいった。
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嘘つき同士の友情・最期の晩餐
希望と空虚・臆病者
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正解と正しいは違う
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「あの、サタンさんね。
あなたって神の敵なわけじゃないですか。
今で言うとヤハウェ的な?
でもね。実は僕
未来ではキリストって
呼ばれるようになるんです。
神であり神の子であり精霊、みたいな。
もう三位一体的な感じで
あなたの最大の敵になる予定なんですよね。
それでね、そこの、あなたが咥えてるユダ。
その男はね、そのキリストである
私のことを裏切った
最低最悪の謀反人なんです。
史実でそうなってるんですよ。
ということはですね。
考えてもみてください。
ユダは私の敵。
そして私の敵は、あなたの味方。
敵の敵は味方ですからね。
だからね、あなたがユダを咥えてるのは
どう考えても道理が通らないんですよ。
わかります?
あなたが神に仇為す者だというならば
同じく神を裏切ったユダを罰するのは
どう考えてもおかしいでしょう?」
?
沈黙。静謐な氷が微かに軋む。
暫くして、サタンの声が厳かに響く。
「未来は関係ない。
貴様らは今、神を奉じている。
ならば敵に変わりない。
我の是非は変わらない」
なんだこいつ。
私は目先の話ではなく
大局的な話をしているというのに
財務官僚みたいな答弁しやがって。
これだから目先のミクロ経済に囚われた
日本国の経済は衰退の一歩を
…いや、今はそんなことを
考えている場合じゃない。
こうなったらコテンパンに捲し立ててやる。
魔王と私の中の悪魔根性
どっちが上か勝負だ。
私は私の中の悪魔を全開して解き放った。
「サタン。君は敵対者という意味だよね。
君が此処にいるのを
何故僕が知ってると思う?
それは千年後の未来の話。
ダンテという詩人が
君のことを描写しているんだ。
その主人公は誰だと思う?
ダンテ本人だよ。
全く承認欲求の塊のような奴さ。
しかも彼、何しにゲヘナへ行くと思う?
観光だよ。
それも女の尻を追っかけての観光。
堕ちたわけじゃないの。
生きたまんまで悠々自適の地獄巡り。
ゲヘナも舐められたもんだよね。
ダンテにとっちゃ
地獄なんて別府温泉みたいなもんなのさ。
そんなんでいいんですか?
サタン、君なんて彼にとっちゃ
ただの観光名所だよ。
そんなんでいいんですか?
地獄の王として。魔王として。
納得いきますか?
僕はダメだと思うなぁ。
例え君が納得しても
他の悪魔が納得しないよ。
これは、もはや君ひとりの問題じゃない。
悪魔全体の沽券に関わる問題だ。
君は一刻も早く行動を起こして
魔王として悪魔の名誉を
挽回しなきゃならない。
ところが、君ときたら何ですか?
こんな所で上半身だけにされて
閉じ込められて。
挙句、神に仇為す者たちを咥えさせられて。
嗚呼、言っとくけど君は
近い将来にもう二人
君の味方であるはずの
神の敵を咥え込むことになるんだからね。
もはや言い訳の余地もないよ。
この際はっきり言ってやろうか?
言おう。結局君は
ダンテに都合よく使われてるだけの
人間の奴隷みたいなもんだ。
いや、君の内心がどうだろうと関係ないね。
傍から見たら百人が百人見て
そう思うだろうよ。
もしそうでないと言うのなら
なんで君は神を倒す素振りも見せずに
こんな所でユダなんかを咥えて
恬然としてるんだよ。
その口は、ユダを咥えるためにあるのかい?
違うね。その口は
神に噛みつくためにあるんだろう?
だったらこんな場所で
グズグズしてる場合じゃない。
さっさと神に
反逆しに行ったらどうなんだい」
?
沈黙。冷徹な氷にヒビが入って歪む。
また暫くして、サタンの仰々しい声。
「我が出るまでもない。
すでに事は進行している。
地獄の軍団は整いつつある」
私は辺りを見回した。
人っ子一人
悪魔一匹たりとも見当たらない。
あるのは氷だけだ。
私は呆れたように言った。
「悪魔の軍団?
此処コキュートスは凍て付いて
君以外に誰もいないじゃあないか。
我が出るまでもない?
あのさぁ、今まで君は神相手に
手も足も出たことないよね。
ないですよね。
そういう大言壮語は
せめて神に一太刀でも浴びせてから
言ってもらえませんかね。
いつまでも餓鬼みたいに
太平楽な御託を抜かしてるんじゃないよ。
全く。
大体、君は神にコテンパンに敗北した挙句に
こんな所に閉じ込められてるんじゃないか。
何?なんでそんなこと知ってるかって?
だから、全部未来で
明らかにされちゃってるんだってば。
あのさぁ、いくら嘘付いたって
最初から全部バレてんの。
君、全然悠長に構えてられるような
身分でも場合でもないよね。
おわかり?
百歩譲って、嘘を付くのは
悪魔的にしょうがない部分が
あるのかもしんないよ?
でもさ、ダサいのは悪魔としても
てか魔王としてもマジでなしじゃない?
正直、悪魔的にも人間的にも神々的にも。
客観的に見てかなりキツイって」
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お題:異世界転生・歴史探訪
嘘つき同士の友情・最期の晩餐
希望と空虚・臆病者
据え膳食わぬは男の恥
正解と正しいは違う
?
風がない。空気が動かない。揺れもしない。
静かだ。ひたすら静かだ。
足元が凍っている。
周囲も凍て付いて止まっているかのようだ。
冷たい。ひたすら冷たい。
そこは、全てが冷徹で静寂な空間だった。
筆山はついに地獄に来てしまった。
そしてそれはマジだった。
目の前に三つの顔を持つ
巨大な化物がいる。
その真ん中の口に、絵守が咥えられていた。
絵守の下半身は化物に呑まれ
仰向けになった上半身が舌のように
ベロンと口からぶら下がっていた。
残りの二つの口はまだ空席である。
「なんだこれ?どういうことだ?」
筆山は思わず疑問を口にした。
口の中に冷気が舞い込む。
冷たい。肺臓を蝕むような
この世のものとは思えない空気。
僕は地割れに呑まれて
なんだかとんでもないところまで
落ちてきてしまったようだ。
「筆山君。どうやらここは地獄だ。
そして僕は非常に苦しい状況にある。
何とか助けてくれないか」
仰向けでベロンとなっている絵守が
苦しげな声をあげた。
「なんだ君、生きていたのか」
「死んでた方が良かったかい?」
「いや、そういうわけじゃないけど。
ところで君。その状態は大丈夫なのかい?」
「嗚呼。胴体は割と甘噛みだ。
ちょうど抜けない程度に
万力で固定されてる感じだよ。
問題はこの態勢だ。
このままじゃ頭に血が集中して
破裂してしまいそうだ」
「よかった。
そこまで重症じゃないようだな」
「何を言ってる。
僕の脳に障害が残る前に
早く何とかしたまえよ」
「無茶言うな。
僕だってこのわけのわからん状況に
混乱しているんだ。
君の頭の前に
まず僕の頭を何とかしなきゃ始まらない」
すると、中央の顔が
ゆっくりと私を見下ろした。
色の無い六つの瞳が一斉に私を見据える。
「貴様らは神の使徒だな」
心臓ごと射竦めるような荘厳たる声が
頭の内側に響く。
「堕ちてきたならば
我がこれを捕らえるのは必然である」
「あの、つかぬことをお聞きしますがね。
手前らはさっき此処に堕ちてきたばかりの
新参者でございまして。
へぇ。ろくに世間も知らぬ
某八輩の胡麻の灰でございます。
それにしても、あなた様は
大層大きなお方に違いない。
いや、手前らなんかと比較するのも
失礼な話でございます。
へぇ。きっとあなた様は
それはそれは位の高いお代官。
否、お殿様。否、皇帝陛下。
否、もしや神仏の類ではございませんか?
手前らの不勉強のせいで
あなた様のような尊いお方の
お名前もお応えできないとは
まことみっともない次第でございます。
へぇ。その、みっともないついでに
いっそ不躾にお尋ね申し上げるんですがね。
無知な下郎の戯言と
何卒ひとつご寛恕くださいまし。
へぇ。その、あなた様は、一体
何処のどなた様であらせられますか?」
私は卑しい幇間のような口調で
限界まで腰を低くして尋ねた。
「我はサタン。敵対者。神に仇為す者」
「なるほど。
じゃあここはやっぱり地獄ってことか」
絵守が真っ赤になった顔で
半ば諦め気味にいった。
今から千年後。
ダンテという詩人が神曲という
長編叙事詩を書く。
ゲヘナの最下層、地獄の第九圏
氷結地獄コキュートス。
その深奥にはサタンがいる。最悪だ。
私たちは文字通り今、地獄の底にいる。
私はパンを焼いただけなのに。
「エルサレムを焼き払い
地を裂いて全てを崩壊させた。
僕たちにお似合いの場所だな」
「冗談じゃないぞ。
僕は良かれと思ってやったんだ。
結果がどうであれ、僕は良心でやったんだ。
その報酬がこれかい?あんまりじゃないか」
「君の善悪なんて関係ないんだよ。
物事の正義は結果で決められる。
僕たちは最悪の結果を招いた。
これなら史実のユダの方がまだマシだった」
絵守はベロンと
宙吊りにされているせいもあってか
項垂れてすっかりナーバスになっている。
なんとかしなければ
このままではネガティヴに呑まれて
不貞腐れてしまいそうだ。
というか、百歩譲って
絵守が言ったことを受け入れるとしても
今度はそれで納得いかないことが出てくる。
目の前の光景が正にそうだ。
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希望と空虚・臆病者
据え膳食わぬは男の恥
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そして、現実は偉い事になっていた。
地が、裂けている。
私の股の下で、裂けている。
「おい、これはどういうことだ筆山君!?」
「炎は、止まったのか?」
「嗚呼。
しかし見ての通り、今度は地割れだ!」
地割れは、私の股下から
エルサレムの果てまでを切り裂いていた。
その割れ目が、どんどん広がっていく。
群衆が、パンが、建物が
それに呑み込まれていく。
地割れは、もはやエルサレムそのものを
呑み込もうとしていた。
私はどうしようもなくそれを眺めながら
範馬勇次郎のように両脚を大開脚して
地割れの真ん中に辛うじて留まっていた。
「絵守君。どうやらここまでのようだ。
時間がないから簡単に説明する。
僕はまず奇跡を眠りから叩き起こした。
これによって奇跡が起きた。
パンの奇跡だ。
次に私憤の熱でその軌跡を燃やした。
これによって奇跡は
僕がオコした奇跡に性質が変わった。
僕がオコ(怒)した奇跡というわけだ。
その結果が炎の奇跡だ。そしてこの地割れ。
これは、おそらくだが
僕が奇跡を怒らせたせいだ。
奇跡が怒った。
つまり奇跡が起こった、というわけだよ。
怒った奇跡が起こって
僕たちをエルサレムごと
滅亡させようとしているんだ」
絵守はわけがわからないというような顔で
もはや開脚が限界な私の顔を
呆然と見続けている。
いや、それよりさっさと
手を貸して欲しいんですけど。
もう限界なんですけど。
「つまり、よくわからんが
これは結局、君のせいということか?」
「結局、という言葉を使えば、まあそうなる。
しかし僕は奇跡を三度も起こした。
これは仏でも難しいぞ。
ジューダス・クライストの
面目躍如じゃないか。
そりゃあ、結果は思うようにいかないものさ。
しかし、僕はやれることはやったんだ。
というわけで早く手を貸してくれ。
このままじゃ股が裂けて
雪印北海道100になってしまう」
「君。よくも最後の最期でやってくれたね。
僕は最期まで君を信頼して
逃げずにいたのに。
そもそも地割れが起こる前に
君はエルサレムを
火の海にしてしまっている。
おかげでもう僕たちは、名誉の死も
英雄としての誉れもへったくれもない。
君のせいだ。
僕は君と心中なんて御免被るね。
というわけで失敬する。
君はそこに落ちて
十二使徒に逃げられた人望の無さを
地の底で反省したまえ」
絵守が私を見捨てようと踵を返した。
「そうはいくか、この裏切り者!」
私は乾坤一擲の力を振り絞って
地の側面を蹴り
絵守のマントに飛び付いた。
「うわ!何をする!やめろ!嗚呼!」
絵守の上半身が後ろへ傾いだ。
それはそうだ。
私はマントに飛び付いたものの
既に私の足元には
その着地を担保してくれる場所など
どこにも残っていなかった。
必然
私は絵守を奈落へと誘うただの重しとなって
マントに纏わりついた形になった。
バランスを崩した絵守は
そのままマントに引き摺られるように
地割れに吸い込まれた。
私は絵守のマントにしがみ付きながら
落下する浮遊感に身を任せた。
黒焦げのローマ葡萄パンが
己たちにつられる様に落ちていくのが
遥か遠くに見えた。
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奇跡は、地中から這い出して
DSでドラクエをしながら
孤島の椰子の木に凭れかかっていた。
「やあ君。
あの一撃を喰らってよく無事だったね」
「まあ奇跡的にね」
奇跡は何でもないようにそう応えた。
あれだけ無体な仕打ちを受けておきながら
なんという器の大きさであろうか。
そもそも奇跡も己も
器におさまってないんだけど。
「時に奇跡君。
僕の奇跡が止まらないんだがね。
どうにかしてくれないか」
「嗚呼、そりゃ無理だね」
「どうしてだい?」
「君は、僕こと奇跡が
なぜ滅多に起きないか知らないのか?
やれやれ、教えてあげよう。
それはね、僕は一度起きたら
十年は眠らないからさ。
だから奇跡が起きる頻度は
十年に一度あれば良い方というわけだ」
「そんな馬鹿な。
だってさっき、僕は奇跡を二回起こしたぜ?
一つはパンの奇跡。その次は炎の奇跡だ」
「やれやれ。わかってないな。
いいかい?まずパンの奇跡。
これは君が僕を無理やり
叩き起こしたが故に起きた奇跡だ。
そして炎の奇跡。
これは、君が奇跡に熱を加えたことで
その性質が変わったもの。
つまり、君がオコ(怒)した奇跡。
言い換えるなら、君が起こした奇跡だ。
質が変わっただけで、奇跡そのものは
一度しか起きていないのだよ」
「ええ?じゃあこの炎は
君が十年後に眠るまで
止まらないってこと?」
「そういうこと。まあ自分で蒔いた種だ。
自分で刈り取るのが
筋というものじゃないか。
ただ、その筋が中々通らないのが
人間のサガでありサーガというものだ。
せっかく撒いた種が実ったというのに。
げにいとをかし」
?
私は気付くと奇跡を殴り飛ばしていた。
奇跡の宿らぬ拳はしかし
その膂力のみを以て
奇跡をビーチに打ち倒した。
イエス・キリストの細腕にしてこの威力。
私の殴打技術も
随分と堂に入ってきたものだ。
「この野郎。
さっきから変な言語感覚で
人を惑わせやがって。
そんなに目が冴えてるなら
すぐにまた眠らせてやるよ」
浅黒く日焼けした細マッチョな奇跡は
ゆっくりとした動作で起き上がった。
鼻をこすった彼の手に血が滲んだ。
「貴様…殴ったね!」
奇跡は、某連邦の白い悪魔
もとい茶色い天パのように
殴打されたことにショックを受けて
甘ったれたことを言っていた。
私は間髪入れず
その立ち上がって油断している
奇跡の顔面に向かって
再度右ストレートを繰り出した。
奇跡はこれをマトモに喰らい
鼻血を噴き出しながらヨロけて
二、三歩後退した。
「二度もぶった!
親父にもぶたれたことないのに!」
「奇跡の親父って誰だよ」
「父は概念。母は因果と言います」
私が純粋な疑問から突っ込みを入れると
奇跡は丁寧に両親を紹介してくれた。
概念や因果の暴力。
想像したくもないが
割と世に溢れているような気もする。
そんなことも知らないこいつは
やはり甘ったれの茶色天パ野郎だ。
しかし、さっきから
その天パ野郎の様子がおかしい。
正確には口調や佇まいがおかしい。
なんだか地上げ屋の元締めみたいな
口調になっている。
「それにしても、初めてですよ。
私をここまでコケにしてくれた
お馬鹿さんは」
茶色天パ野郎の頭から湯気が昇る。
いや、実際こいつは天パじゃなくて
スキンヘッドなんだけど。
そのスキンヘッドが
急に鬼のような形相になって
臨戦態勢のような
朝の公園で毎朝太極拳を欠かさず行っている
老人のような構えを取った。
「絶対に許さんぞ筆山文彦!
じわじわと炙り焼きにしてくれる!」
スキンヘッド天パが気焔をあげて
私をフルネームで怒鳴り散らした。
奇跡が怒りに震えている。これはまずい。
なんだか戦闘力が一気にインフレして
片目仕様のメカニカルな眼鏡が
爆散した気がした。
「落ち着けよ。
今炙られてるのは僕じゃない。
現実のエルサレムだ。可哀想に」
「いいだろう!今度は黒焦げにしてやる。
あの十二使徒のように!」
私は既視感を覚える台詞にピンときた。
ここだ。
ここでキレておかないと
恐らく取り返しが付かないことになる。
何となくそんな予感がする。
ええと、どうやってキレよう。
嗚呼、もうどうでもいいや。
「あの十二使徒のように?
…ペテロやシモンのことかーッ!」
正直、私は作戦の殆どを
絵守ことユダに任せていたので
ペテロともシモンとも
ほとんど口を聞いた事がなかったが
そんなことはどうでもいい。
私は何とか無理やりに
相手の言葉の揚げ足を取って
キレることに成功した。
「な…その姿は…」
奇跡が態度を豹変させて驚愕している。
私はそこに付け込んで
調子に乗って畳みかけた。
「とっくにご存じなんだろ?
僕は現実から君を眠らせ
叩き起こすためにやってきたメサイア。
弟子に無関心でいながら
激しいこじつけによって
目覚めた伝説の救世主…
スーパーメサイア人
ジューダス・クライストだ!」
私は気を全開にして奇跡に殴りかかった。
奇跡は瞬間移動してこれを躱した。
音速を超える打撃が乱舞し
異常な熱量を帯びた光弾が
縦横無尽に飛び交った。
常人には目で追うことすら敵わない
激しい戦いが繰り広げられた。
希望の海は、私や奇跡が放った
気功波によってほとんどが蒸発し
その地肌が見えていた。
私の猛攻を受けてズタボロになった奇跡が
天高く舞い上がり、両手を掲げて
巨大な禍々しい
エネルギーの塊を作り出した。
「この星を消す!」
奇跡がそう叫んで両手を振り下ろす。
巨大なエネルギーの塊は
私の心象世界の地表へ向かって激突。
大爆発が起きた。しまった。
正直、僕の世界そのものを
攻撃されるとは想定していなかった。
っていうか、この世界が滅んだら
一体私はどうなるんだろう。
死ぬのか?否。気を強く持て。
板垣死すとも自由は死なず。
世界死すとも筆山は死なず。
世界なんてなんぼでも拵えてやるわ。
我はジューダス・クライスト。
裏切り、救うものなり。
目の前で地が、割れた。
お猪口が
その地割れの中に呑み込まれていった。
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?アカリ?
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お題:異世界転生・歴史探訪
嘘つき同士の友情・最期の晩餐
希望と空虚・臆病者
据え膳食わぬは男の恥
正解と正しいは違う
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「絵守君。
君は僕を王にしたかったようだがね。
僕は王じゃない。
王であればその器に注がれた
皆の希望の重さを背負い
此処を潔く動かずに、死を選んだだろう。
だが僕は違う。
僕はお猪口一杯分の願いしか
背負っちゃいない。
それでいて皆の希望でできた海を
自由自在に動けるのさ。
その海の先には何があると思う?奇跡さ」
奇跡は己の中には顕れない。
何故なら奇跡は己の規格外の場所
すなわち器の外にあるからだ。
そして私のお猪口は
希望の海の離れ孤島に
奇跡的に辿り着いていた。
そこには
ビキニパンツ一丁でサマーベッドに寝転ぶ
グラサンにスキンヘッドの
浅黒細マッチョがいた。
私は直感した。
こいつが、こいつこそが奇跡だ。
「さあ、見せてあげよう。
これが君によって叩き起こされた
イエス・筆山…否。
ジューダス・クライストの真の力だ。
『奇跡なんて起きっこない』というその思い
裏切って全部救ってやるよ。
おい、いつまで寝てやがる!
起床の時間だ!奇跡!」
私はお猪口から孤島に向かって大跳躍し
成層圏ギリギリまで上昇。
そこから大気を全身に吸い込んで
これを逆方向に口から噴射。
弾道ミサイルの勢いで孤島へと急転直下。
呑気に鼻提灯を作って寝ている奇跡の鳩尾に
成層圏からのダイビングニードロップを
クリティカルにお見舞いした。
孤島の地面が爆ぜ、表土が吹き飛び
その地表には直径十二mほどの
クレーターが穿たれた。
奇跡はサマーベッドごと
体を立位体前屈のように折り曲げながら
地中に5mくらいめり込んだ。
肋骨や脊椎、その他諸々が
あらゆる臓器と共に爆砕した奇跡は
勢いその口から
大量のコッペパンを吐き出した。
奇跡が吐き出すコッペパンはとめどなく
やがて希望の海全域を
自由に踏んで渡れるほど
隙間なく埋め尽くした。
?
そして、現実でも
同じようなことが起こっていた。
「そんなに暇で退屈なら
大仕事をくれてやるよ。
ウェスパニアヌス!」
私の掌から噴出した
那由他の彼方たるコッペパンは
神殿内のローマ軍を埋め尽くした。
パンは押し合い潰れ合い練り合って
白きマグマのようにローマ軍を
窒息・圧死させながら
外に押し出していった。
ローマ軍はそのまま一気に
街の中央を割って後方まで押し戻された。
湿った小麦の塊に押し潰された彼らは
もはやパンと混ざって、その表面に
葡萄パンの粒々のように浮き上がっていた。
街の広場中央には
所々に黒い粒状になった
ローマ兵の成れの果てを装飾した
何とも因果で巨大なパンが完成していた。
その中央。
ローマ葡萄パンの頂上辺りに
あの野郎がいた。ウェスパシアヌス。
さっきまでふんぞり返って
余裕をかましていたその面貌からは
すっかり血の気が引き
面白いくらい真っ青に塗り改められている。
彼の胴体はローマ葡萄パンの中に呑まれ
首だけがひょっこり出ている状態だった。
ウェスパニアヌスの顔は
その頂点に添えられたブルーベリーのように
ローマ葡萄パンを彩る
ワンポイントアイテムと化していた。
「さあ仕上げだ!焼きたてにしてやるぞ!」
「筆山君!もういいんじゃないかな!?」
「うるさい!
こんなコンビニ価格百二十円みたいな
冷えたコッペパン
これが神のパンって言えるかい?
否!そういえば僕は以前
焼きたてのパンになりたいと
願ったことがあったが
運命もヤキが回ったもんだ。おかげで僕は
焼かれるより焼く方に
回ってしまったんだからね!」
言い終えて私は再び丹田に力を入れて
チャクラ的なものを練り上げた。
今度はそれに
『私をクサした文壇の
大御所気取り作家の顔』
を思い浮かべて拵えた怒りの熱を加えた。
そしてそれを、前回と同じ要領で
己が掌から噴出させた。
掌から溢れ出るものが、コッペパンから
紅蓮の炎へと変わった。
それは街を覆い尽くし
ローマ葡萄パンをコンガリ焼き上げた。
その頂上で
ウェスパニアヌスが地獄のような顔で
悲鳴をあげて苦しんでいる。
はは。おもろ。
「神に背いた天罰、思い知ったか!
この大御所気取りの三流文筆家が!」
「凄いぞ筆山君!
ところでいい加減
僕たちも熱くなってきたというか
街全体が火の海というか
このままじゃジェノサイドヘヴンというか」
確かに当の私も
もはや一酸化中毒で倒れそうだった。
しかし止まらない。
さっきから炎が止まらない。
なんということだ。
偉大なる神の手が
滅びの魔手に染まっていく。馬鹿な。
そんな不道徳なことがあってたまるか。
私は奇跡に文句を言いに
再び己が心象世界へと潜っていった。
?アカリ?
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正解と正しいは違う
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ローマ軍は走らない。ただ一歩、前へ出る。
盾が前に出る。重なる。壁になる。
そのまま都市の中へ入ってくる。
その先頭に、鷲があった。
アクィラを掲げるレギオン。
ローマである。
だが、先ほど押し返した
ピラトのそれとは違う。
私と絵守は神殿の屋上にいた。
その縁に立って、街を見下ろしていた。
「何人いる?」
私はおっかなびっくり絵守に聞いてみた。
「三軍団。いや、それ以上だ」
蒼ざめたように絵守が応えた。
「じゃあ一万五千か」
「いや、それに補助兵が五千はいる。二万だ」
「無理じゃん。こっちの倍じゃん」
「嗚呼。だが問題なのは量より質だ。
こいつら、練度が違う。
普通レベルの兵じゃない」
「どれくらいだ?」
「ピエトの地元駐屯ローマ軍は補助軍
アウクシリアが中心だった。
まあ派出所のお巡りさんとでも思え。
対してこいつは
正規軍と遠征軍の複合部隊、レギオン。
本気の戦争仕様だ。
ナチスの第一SS装甲師団
ライプシュタンダルテとでも思え」
「まさにユダヤキラーじゃないか」
冗談になってなかった。
「本当に冗談じゃねえよ。
まさかウェスパシアヌスが出てくるとはな。
正直参った」
「誰だよ。覚えにくい名前しやがって」
「知らないのか。
君だって作家の端くれだろうに。
ウェスパシアヌス。
今は無名だが、後に教科書に載る。
ブリタニアで二十都市を落とし
ネロの時代にユダヤ戦争を終わらせた
後の第九代ローマ皇帝だ」
「マジですか」
「史実通りなら
本来は着実に土台を固めて
詰みに持ち込むタイプなんだが…
この戦力差だ。
潰せる時は正面から潰しにくるだろうな。
逃げ場を作らず、隊列崩さず
押して、踏んで、終わりってとこだろう」
「とりあえず止まんないってことね」
私の能天気な言葉と同時に
ローマ軍が動いた。
合図は聞こえなかった。
しかして全体が同時に一歩を踏み出した。
それだけで、戦いは始まった。
盾が前に出る。重なる。
壁になる。そのまま進む。
群衆がぶつかる。
叫び、石を投げ、押し返そうとする。
だが止まらない。
前進が止まらない。
一歩。それだけで、前にいた者が下がる。
下がらぬ者は倒れる。
倒れた者の上を次が踏む。
「押せ!」下で指揮を執っていた
ペテロとシモンが叫び
ゼイロータイたちと
共に剣を振って突っ込んだ。
刃が盾に滑る。間隙が、ない。
ペテロたちはそのまま
盾に押し返されて地に臥した。
ローマ軍は、戦っていない。
ただ、進んでいる。
その動きは、波ではない。壁である。
しかも、前に進む壁。
「なんじゃこりゃ。
戦いになってないじゃん」
「嗚呼。人型のプレス機だな。
処分場だ。人がゴミのようだ」
「ムスカってる場合じゃないぞ。
ペテロやシモンたちが
踏み潰されてるじゃないか」
列は崩れない。
一人が倒れても、後ろが埋める。
ローマ軍は更に速度を上げる。
決して走らない。だが速い。
後列が前列に寄り、間隔を詰める。
圧が増す。悲鳴があがる。群衆が崩れる。
押される。潰れる。逃げ場がない。
ウェスパシアヌスは見ている。
叫ばない。命じない。
ただ確認している。
予定通りかどうかを。
これは、勝敗のある戦いではない。
結果の確認である。
と言わんばかりの
実に悠揚たる佇まいである。
「あいつ、何もしてないな。
もう最初から詰ませた気でいやがる」
私はその泰然自若とした
涼し気で太々しい態度に、選評で
「読者を退屈させ
辟易させる点においては出色である」
と私をクサした文壇の
大御所気取り作家の影を重ねてムカついた。
ローマ軍が更に踏み込む。
ついに神殿の石段が軋む。
人が崩れる。鷲が前に出る。
その下で鉄が進む。
誰もそれを止められない。
何故なら、それは
人の動きではないからである。
それは、決まったものがただその通りに
進んでいるだけの現象だった。
ポンティウス・ピラトの軍が
人間だとしたら
ウェスパニアヌスの軍はシステムだ。
「野郎。
プログラマー気取りが高みの見物か」
「おい筆山君。
こりゃ僕たちも年貢の納め時だ。
大人しく投降するかないぞ」
「否。君は言ってただろう。
僕にだって奇跡が起こせるかもしれないと」
「え?そりゃあ君は今、主の身体だから、まあ…」
「中身が変ったら、奇跡も寝たまんま
起きてくれないだろうってか?馬鹿野郎。
起きないのを起こすのが奇跡だろうが!」
現状に絶望する絵守の前に
私はゆっくりと手をあげた。
それは本来、かつてパンを生み
病を癒やし、嵐を止めた救世主の手である。
私は丹田に力を籠め
そこで練り上げたチャクラ的なものを
掌から放出させた。
すると、何と言うことでしょう。
私の掌から、次々とコッペパンが
溢れ出てきたではありませんか。
「なんと!君、こんなことができたのか!」
「ほら見ろ。
人間、やってみないとわからない。
否。今の僕はイエス・キリスト。
人を導く神たる存在だ」
「筆山君。
あんまり調子に乗ってもしょうがないぞ。
大体、手からパンが出せたからって
この状況が覆るわけじゃないだろう」
「ほほう。神の力を侮るか人間よ。
所詮は君も十二使徒として僕のことを
信じ切れなかったようだね。
ぶっちゃけ他の使徒、全員逃げたよね。
途中から一人もみかけてないよ。
ペテロとシモンはぺしゃんこになったけど」
「史実でも彼らは全員逃げたんだ。
この状況で彼らが逃げないわけないだろう。
というかそんなことを
言っている場合じゃない。
ローマ兵はもうすぐそこまで来ているぞ。
ほら、石段を登る
無数の軍靴の音が聞こえないか」
言われてみれば凄い圧を纏った足音の塊が
ここ神殿屋上の
すぐ下の層まで近付いてきていた。
これはもう、やるしかない。
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正解と正しいは違う
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ピラト軍への勝利は、あまりに軽く訪れた。
がために、群衆は暫し歓喜を躊躇し
喝采を逡巡していた。
街や神殿の広場からは
既に戦いの熱が薄れ始めていた。
あちこちに打ち倒したローマ兵の骸だけが
揺るがぬ戦勝の証として
消えずに残っている。
やがて、幾何かの時を経て
「勝った」という言葉が
誰のものとも知れぬまま
あちこちで口にされ始めた。
絵守は、それを観察するように
城壁の上に立っていた。
「終わったんですか?」
誰かが問いかけてきた。
絵守は応えない。
終わりには、まだ軽過ぎる。
終わるには、まだ早過ぎる。
むしろ、幕が開くのはこれからだ。
その時。遠くで空気が僅かに震えた。
最初は風のように感じたそれは
果たして風ではなかった。
地が鳴っている。
「来る」絵守が振り返る。
人々もひとり、またひとりとそれに倣った。
地が鳴っている。
遠く、だが確実に近付いてくる。
規則的な震え。
一歩ごとに重く揃い
逃げ場を削ってくるような音。
地平の向こうに、線が見える。
線は動いている。
動きながら、徐々にその幅を太くしていく。
やがて、それは形となって顕れた。
鉄の列。否。ただの列ではない。
同じ高さの盾。同じ角度の槍。
同じ歩幅で進む足。乱れが、ない。
?
列は、城門の前で止まった。
一気に攻め込む気配はない。
距離を置き、形を崩さぬまま、横に広がる。
次の瞬間、空が鳴った。
見えない線が無数に引かれる。
一糸乱れぬ一斉弓撃が
細刃で満たされた面となって
城壁の上を覆う。
「伏せろ!」絵守の檄が飛んだ。
城壁に立っていた者たちは
寸でのところでこれに従い
矢刃から身を躱した。
間を置かず、スリングの回転音が
密集して風巻くような音。投石である。
重い音と共に
次々と石が飛び掛かってくる。
定めて人を狙ってはいない。
ただ投げた場所を破壊していく。
外れても石は砕け、破片は跳ね
縁が崩れ、足場が揺れる。
盾でも受けきれない重さ。
伏せても尚、安全ではない。
門の上。櫓。石の縁。
立てる場所が、戦える術が消えていく。
上方でゴリアテが
ダビデに追い立てられている中
下方では別のものが進んでいた。
木で組まれた枠。四方を囲む柱。
上に渡された梁。
その中央から先端に鈍色の鉄を被せた
太い丸太が縄で吊られている。
三十人ほどのローマ兵が、その内側に入り
左右に分かれ、前後に並ぶ。
丸太に手をかける。
押し、引き、揺らす。繰り返し。繰り返し。
重さが遅れてついてくる。
縄が軋み、梁がわずかに鳴る。
そして、最大限まで丸太を引き絞った
次の瞬間。全ての重さが前へ落ちる。
鈍く重い音が響く。門が震える。
内側で何かが軋みをあげる。
ローマは繰り返す。
間断なく引く。無機質に揺れる。
そしてまた、容赦なく落ちる。
音が変わった。
門が、先ほど辛うじて跳ね返した衝撃を
今はただただ受けている。
木の奥でまた何かが軋む。
見えぬ横木が僅かに撓む。
門はまだ閉じている。
だが、閉じているという
形自体が揺らぎ始めた。
?
「あれを何とかしろ!」
城壁の上から伏せたまま
矢を放つ者があった。
隙を見て石を落とす者もあった。
それらは狙い通りか偶然か
破城槌の集団へ直撃した。はずだった。
破城槌の外側は盾で囲まれていた。
前方。側面。そして上方にまで油断なく。
矢が当たる。石が落ちる。
それらは盾の塊に弾かれ
滑り、流れていった。
封じたはずの上からの急襲を以て尚
破城槌の中の動きは乱れない。
三度目。槌が門を打ち据える。
今度は遅れて音が来た。
外からの衝撃ではない。
内側で何かがズレる音。
門は耐えている。
耐えているという事実が
すでに時間の問題を示唆している。
続けて四度。五度。
叩き付けられた梁が軋む。
ぶち当たった蝶番が
悲鳴のような音を立てる。
内側で梁が押し当てられる。
縄が巻かれる。
人が門に体を預ける。
だが、外の動きは変わらない。
揃え、引き、揃え、落とす。
六度目。何かが外れる音。門が内側へ傾ぐ。
「持て!」内側で叫び声が上がる。
次の一撃で木が裂ける。
もう一度。何の衒いもなく槌が落ちる。
裂ける音。外れる音。崩れる音。
門が、割れた。扉が、内側へ沈む。
木が裂け、石が砕け、白い粉が立ち上る。
壊れたのではない。
支えていたものが
順に外れただけであった。
丸太はまだ揺れている。
叩くべきものがそこから失せて尚
ただ飄々と、当たり前のように揺れている。
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エルサレム市街では
その城門が閉じられようとしていた。
内側からである。
分厚い木製の扉が
重たい軋みをあげながら
ゆっくりと折り畳まれていく。
外に残っていたローマ兵が
それに気付いたのは
大扉の隙間から漏れ出る僅かな光の一筋が
地に収束して消える頃だった。
「開けろ!」
遅過ぎる叫びは何の意義も為さず
城門にぶつかって跳ね返りもせず
そのまま大木に
吸い込まれるように消えていった。
見ればあちこちで路地が塞がれている。
広場は群衆で満ち、通りを分断して
ローマ兵の連携を阻んでいた。
気が付けば都市が
一つの迷路へと変わっていた。
「上出来だ。これで俺たちの仕事は終いだ。
後は主の奇跡を信じよう。散るぞ」
城門を閉め終えた
内通者たちの一人がそう言うと
彼らは一瞬にして
煙のようにその姿を消した。
北の高みから、鉄の律動が降りてきた。
神殿のすぐ脇、石の台地の上に
張り付くように築かれた要塞。
その要塞は
街を見下ろすための場所であり
見下ろすことしか許されぬ場所にあった。
そこから兵が吐き出されている。
ユダヤ属州長官ポンティウス・ピラト。
イエス・キリストに処刑を下し
後にローマ総督となる男。
そのピラトの
エルサレム駐屯ローマ歩兵部隊、約三千。
彼らの屯所は高台にある故、下るしかない。
下った先に広がるのは、神殿の広場だ。
だがそこから先、街へ入るには
狭い通りへ折れ、折れ
折れ続けねばならない。
広がる場所は、ない。
「今度はお前たちが僕に下る番だ」
完全に動きを掌握された
ピラトの部隊を見やって
筆山はほくそ笑んだ。
それでも彼らは列を整える。
盾が揃い、槍が揃い、足並みが揃う。
窮してもローマである。
その先頭が、坂を下りきる。
列はすでに細くなっていた。
隊列の後ろはまだ高みにあり
前はもう、街の中に沈み込んでいる。
横陣など許されない。
軍は、縦に引き裂かれた。
すると、その脆い布陣の上空から
石の雨が襲い掛かった。
神殿の縁、屋根の上、見えぬ高みから
石の礫は豪雨のようにして彼らを歓迎した。
それも、ただ降るのではない。
的確に狙いを定めて落ちてくる。
盾が上がる。
ローマ兵の脇がガラ空きになる。
そこへ、路地から棍棒が差し込まれる。
刃が肘から先だけ現れては消える。
敵はまるで姿を持たない。
反撃の隙すらない。
街そのものが
静かな殺気を帯びて攻撃してくる。
前線から号令が飛ぶ。
だが、後列には届かない。
曲がり角が声を断ち、坂が視界を裂いた。
前は蹂躙され、後ろはただ整列している。
同じ軍でありながら
その前後は時を隔てて
別々にわかたれていた。
ローマの強みは、秩序である。
だが秩序は、横に広がってこそ
意味を持つ。ここでは、縦にしか並べない。
群衆が押し寄せ、満ちていく。
どこからともなく、四方八方から。
ただ広場を、通りを
あらゆる街の隙間を埋めていく。
そしてローマを押し出そうとする。
ただそれだけで
ピラト軍の列が出鱈目に歪む。
歪みはやがて、裂け目になる。
そこへ石が落ちる。刃が走る。
遠くで、城門が叩かれている。
西へ抜けようとする者
南へ向かおうとする者。
しかしどの門も閉ざされていた。
内側から。
彼らは高みにいた。見下ろす側だった。
だが今、彼らはそこを
下り街の底に沈んでいる。
底からは二度と這い上がれない。
やがて宵闇が街を塗り潰す。
彼らの列は解け
秩序は空間と共に雲散霧消した。
彼らは何処にも広がれず
何処へも抜けられず、ただ削られていき
その形を失った。
筆山は、剣も持たず血も流さず
全ての外側に立ってこれを見ていた。
行き止まりに突き当たって
逃げ場を失くしたとしても
それで志を得る者、逆に散らす者がある。
己はお猪口であるが故に漕ぎ出せた。
彼らは盃であるが故に動けず滅びた。
こんなところにも大義の違いがあるものだ。
案外に私のお猪口流サバイバルは
戦に活路を開いていけるんじゃなかろうか。
高みにも低みにも属さない場所に
揺蕩うような心持ちで
筆山は勝利の感慨に変則的に耽っていた。
激流を制するは静水。
どこぞの暗殺拳の達人が
死の灰に侵され病と健闘
兄とも拳闘しながら
そんなことを言っていた気がする。
「盃を、凌駕し流る、お猪口かな」
気が付けば私は一句詠んでいた。
「自由律俳句は辞めろと言っただろう。
酒が不味くなる」
絵守が絡んで難癖を付けてきた。
早くも神殿の戦士たちと
勝利の祝杯をあげている。
「自由律じゃない。
五七五に則った定型俳句だ」
私は絵守から杯を引っ手繰って飲み干した。
水で割り過ぎてメチャクチャ薄かった。
この勝利の余韻と同じくらい薄かった。
「こんなのが祝杯か?」
「祝杯?寝ぼけたこと言ってんな。
こいつぁただの景気付けだ」
「そういえば全然数が少なかったな」
「最初に言ったろ。
敵勢力は一万二千から一万五千だって」
「神殿警備隊千人と、ピラト軍が三千。
じゃあ、あと一万くらい?マジかぁ。
勝ったと思ったら並んだだけじゃん」
「その通り。
これから本 番って時に酔っ払ってどうする」
絵守が飲み干した杯を後ろに放った。
そしてそのまま外の様子を見に
マントを翻し出て行った。
私は絵守が放り投げた杯を床から拾って
甲斐甲斐しく流し場に行って洗った。
私は何故に亭主関白な昭和核家族の妻
みたいなことをしているのか。
筆山さんならきっと
絵守さんの良い奥さんになるわよ。
違う。そういうのじゃない。
私はとにかく何かしていたかった。
落ち着かなかった。
得体の知れない、言い知れぬ不安が
胸の奥から込み上げてきつつあった。
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?アカリ?
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X? ??https://x.com/horiakarihori?s=21&t=nipuVRee_Fb5YhlDTB3IzQ
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