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アラビアンナイト 川崎 / ソープ

8:30~翌0:00

当日予約8:00~

神奈川県川崎市川崎区堀之内町13-8

JR川崎駅/京急川崎駅 ※送迎車ご用意致しております。

入浴料 11022,000円~

利用可能カード:VISA、MASTER

044-233-4152

※お電話の際に「ビンビンで見た」とお伝えください

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アカリの写メ動画一覧

アカリ(22)

アカリ(22)

T164 B90(E) W58 H89

本日出勤 11:00〜翌00:00

  • 投稿日時

    ごめんねぇ

    ――誰にともなく謝りながら

    私は今日も、誰にも気づかれずにいた。

    電車の中で、音楽が鳴っていた。

    それは、駅のホームに流れる

    軽薄なジングルとも

    車内の無機質な案内音とも

    まったく異なる質感の

    ――少しばかり渋めの洋楽だった。

    男のしゃがれた声が

    どこか煤けた路地裏で

    口ずさまれているような

    そんな音楽が、満員というには

    やや物足りぬ混雑の中に

    ずうっと、しみついていた。

    だが、誰一人として

    それを聞いていないふりをしていた。

    イヤホンをして

    スマートフォンに視線を落とし

    日々のやるせなさに蓋をする術に

    もうみんな手慣れているのだった。

    そう、そうなのだ。

    私もまた、そうであった。聞こえてはいた。

    だが、それを「聞いてしまってはならぬ」

    と思った。なぜだろう。

    私は気になって

    気になって仕方がなかった。

    神経質な性分ゆえか

    あるいは社会不適応の片鱗か

    こういう「見て見ぬふり」という行為が

    ひどく恐ろしく思えるのである。

    人間は、もっと素直に、互いに注意し合い

    助け合って生きていけぬものか。

    いや、そんな理想論をぶつけたところで

    誰も私の言葉には耳を傾けまい。

    私のような女の言葉など

    所詮、駅のホームに

    置き去りにされた傘のように

    忘れられるだけだ。だから私は黙っていた。

    黙って、音の出どころを目で探していた。

    車内は、そこそこ混んでいた。

    中高年のサラリーマンが

    吊革につかまりながら

    口を真一文字に結んでいる。

    学生らしき若者が、スマホに目を落として

    しきりに画面をスワイプしている。

    誰一人、異変に顔をしかめる者はいない。

    ただ私だけが、音の正体を見極めようと

    視線を泳がせていた。

    だが、見つからない。

    まるで音だけが、車内の空気に

    溶け込んでしまったかのようだった。

    これが「不自由」なのだろうか。

    見て見ぬふりという小さな嘘の積み重ねが

    やがて一つの檻となり

    人々の心を縛りつけていく。

    私はそんなことを思った。

    思ってしまったのだった。

    声をかけるか。

    だが、もし相手が妙な人間であれば?

    絡まれでもしたら?

    挙句、私は仕事に遅れてしまう。

    私のような取るに足らぬ人間の一分一秒は

    決して軽んじてはならぬほどに

    すでに薄っぺらで、貴重なのだ。

    そのときだった。音が、ぴたりと止んだ。

    「は?」と思った。え、いま、止まった?

    誰が? どこで?

    私は半ば呪われたかのように

    車内を見渡した。

    すると、ひとりの外国人が

    まるで朝の夢から醒めるように

    のろのろと立ち上がった。

    背は高く、顔立ちは憂いを帯び

    肩からぶら下げた

    リュックサックの口が開いていた。

    「〇〇ステーション?」と

    その外国人が、眠そうな顔で言った。

    「ノーノー、過ぎたよ~」と、近くの日本人が

    たどたどしい口調で応じた。

    ――なんてことだ。目覚まし、だったのか。

    私はあっけにとられた。全身の力が抜けた。

    全ては、あの外国人の

    スマートフォンのアラームだった。

    音楽に設定された目覚ましが

    車内で鳴り響いていたのだ。

    インフルエンサーによる

    奇怪な電車ジャックでもなかったし

    深淵から聞こえる亡霊の声でもなかった。

    なんのことはない、寝過ごしかけた外国人の

    ささやかな「朝」だったのだ。

    外国人は、誰にも謝らず

    誰にも気づかれぬように

    ゆっくり、電車を降りていった。

    とぼとぼと

    どこか遠い国へ帰るような背中だった。

    私は、声をかければよかったと

    少しだけ悔やんだ。

    「ごめんねぇ」と、誰かが小さく言った。

    たぶん、私の心の中の誰かだった。

    もしくは、もう一人の私かもしれない。

    電車はまた

    何事もなかったかのように、動き出した。

    私たちは、今日もまた

    見て見ぬふりの中にいる。

    ?アカリ?






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  • 投稿日時

    図書館に貸し切りはない


    ――プレゼントを渡した後のひと口は

    なんだか特別な咀嚼だった気がする。

    マクドナルドである。

    いや、ただのマックではない。

    貸し切りのマックだ。

    しかも理由が

    バースデーパーティだというのだから

    これはもう

    戦争に弁当を持っていった

    ようなものだった。

    主役は、私の友人である。

    お嬢様然とした風貌の

    いや実際お嬢様なのだが

    とにかく私とは別世界の生き物だった。

    笑顔に角度があり、姿勢に芯があり

    靴が高そうで、服が高く

    声が通り、返事が早い。

    あれほど絵に描いたように

    「堂々」とした人間を、私は他に知らない。

    そんな彼女が

    マックをまるごと貸し切ったのだ。

    ドナルドの人形すらちょっと

    よそいきの顔をしていた気がする。

    壁に「HAPPY BIRTHDAY!」の装飾。

    紙の王冠。BGM。全部そろっていた。

    まるで夢の国である。

    私の家では、誕生日といえば家族だけ。

    母がケーキを切って

    父が「おめでとう」と一言。

    それが全てだった。

    だから私は

    この華やかすぎるマックを前にして

    完全に「モブ」として

    すみっこにモジモジしていた。

    すみっこの椅子にちょこんと座って

    マックの紙ナプキンを

    折りたたんだりしていた。

    図書館では主役になれるけど

    マックの貸し切りでは

    私はただの見物人だ。

    でも、嫌ではなかった。

    どこか、ほんの少しだけ

    憧れながらも安心して見ていられる

    そういう光景だった。

    彼女は、中央にどっしりと鎮座し

    プレゼントを受け取るたびに

    満面の笑みを見せていた。

    その笑顔が

    まるで生まれながらにして舞台女優のようで

    私は小声で「すごい…」と呟いていた。

    図書館に入り浸って

    本を開いてばかりいた自分からすれば

    彼女は人間ではなく

    たとえば物語の中にしか存在しない

    「ヒロイン」のようだった。

    そんな私にも

    プレゼントの順番が回ってきた。

    えっ。と思った。

    みんなカラフルな袋を抱えている。

    私は、地元の文房具屋で買った

    小さなノートと

    ちょっといいシャープペンを

    むき出しのまま持ってきていた。

    包装すらしていない。

    まるで、お年玉の渡し忘れを思い出して

    あわてて封筒から札を出した

    おばさんのような心境で

    私は「はい」と言った。

    彼女は、それを見て、何の疑問も抱かず

    まるで宝石でも受け取ったかのように、

    満面の笑みで「ありがとう」と言った。

    嘘じゃなく、本当に、嬉しそうだった。

    その瞬間、私は思ったのだ。

    ああ、こういう女になりたい、と。

    物怖じせず、誰に対しても笑顔で

    堂々としていて、けれど

    ちゃんと人の気持ちを受け取れる

    そういう人に。

    無理かもしれないけど

    なれたらいいなと思った。

    私はその気持ちを隠すように

    目の前のポテトをひとつ

    もぐもぐと頬張った。

    塩加減がちょうどよかった。

    ?アカリ?





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  • 投稿日時

    猫と寝るまでが祭りです

    ――菓子袋を持って帰ると

    あの子が隣にすり寄って

    夏がやっと落ち着いた。

    夏が来るたびに

    私は少しだけ、えらくなった気がしていた。

    浴衣を着ると背筋が伸びたし

    下駄を鳴らすと街の音と混ざって

    まるで私が

    この町の一部であるように感じられた。

    友だちと連れ立って、あの道、この通り。

    小さな寺の境内で金魚すくいに失敗し

    でっかい神社でたこ焼きの熱さに泣き

    氏神さまの賑わいの中ではもう

    何を食べたかさえ覚えていない。

    そんな具合で、私は一夏に三つ

    いや、気が向けば四つ五つと

    祭りを渡り歩いていた。

    待ち合わせた幼なじみは

    なんとなく昔より大人びていたし

    姉は姉で

    もう町内の大人たちに溶け込みすぎて

    「姉」というより「中堅の人」

    みたいな貫禄を纏っていた。

    私はそれにくっついて歩いて

    ちゃっかりと

    人の輪に混ざったつもりでいた。

    でも、どうしても、どうしてもだけど

    盆踊りだけは、無理だった。

    いや、踊れたらきっと楽しいんだろうな

    とは思っていた。

    だけど、子供のころから不器用すぎて

    右を上げれば左も上がり

    回るつもりがねじれるばかり。

    そういう生き方だった。

    踊れないなら、どうするか。私は考えた。

    幼いながらにも、私は戦略家だったのだ。

    社務所である。

    「まあ、かわいらしいお客さんねえ」

    「冷たいの、飲んでいきない?」

    そんな風に、私は見事に

    社務所のおばちゃん達の懐に飛び込む。

    これは生きる技術だった。

    踊れないかわりに、笑って手を差し出し

    氷の入った麦茶をもらい

    漬け物をちょっと齧って

    「おいしいですぅ」と言えば

    大人は皆ほだされる。

    踊れなくても、私は夏の子だった。

    社務所という秘密基地に潜り込み

    ぽつんと見上げる空には

    提灯がぶらさがっていた。

    風にゆれて、光が揺れる。

    私の心も、それに釣られて

    ふらふらと踊っていた。

    見た目は静か、心だけが夏に躍っていた。

    終盤には、母の働きっぷりを一目見て

    ――それが私の夏の締めくくりだった。

    町内の係を押し付けられて

    あれこれ仕切っている母は

    少し誇らしく見えた。

    「持って帰んな」

    と、無料配布のお菓子をひと袋くれる。

    それを受け取る私は

    たぶん誰よりも幸せだった。

    家に帰ると、猫がいる。

    この子はいつも

    私がいない間に少しだけ甘えん坊になる。

    すり寄ってくる。

    私は畳に座り、袋をあけて

    ひとつだけラムネを転がして口に入れる。

    あの、しゃりっとした食感が

    私は子供の頃から好きだった。

    そして、猫とごろんと並んで寝る。

    それが、私の盆踊り。

    誰にも見せず、誰にも知られず

    ひっそりとやってくる小さな夏の終わり。

    踊らない者にだって

    ちゃんと、夏は来ていたのだ。

    ?アカリ?




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  • 投稿日時

    恥の箱を拾いました 【下】

    やはり大江戸線は

    不思議のダンジョンなのかもしれない。

    モンスターはいないけど

    モンスターを飲んでる人なら

    たくさんいるし。

    幸せの猫もいたし。

    そうだ、せっかく地上までの縁なのだから

    こいつに名前をつけてやろう。

    流石に「クロ」というのは安直だ。

    少し地味で平凡だが

    「ウェルキンゲトリクス」

    と名付けることにした。

    ガリアにて、カエサルと渡り合い

    投降の際は自らの命を擲って

    仲間を救ったという

    現イベリア半島の英雄である。

    ウェルキンゲトリクスを両腕に装備した私は

    欠乏していた猫成分を

    存分に胸の内の温もりから摂取した。

    箱が猫になったっていいじゃない。

    パンドラの壺もいつの間にか

    箱になっちゃってたし。

    そこからもう一段変化して

    壺⇒箱⇒猫

    ときただけのことだ。きっとそうだ。

    次辺りはなんだろう。

    そろそろ海洋生物かなぁ。タコとか。

    パンドラのタコ。

    悪口にしか聞こえないけど。

    パンドラちゃんは何言われても

    仕方がないくらいやらかしてるから

    擁護できないよね。

    信賞必罰ってやつ?

    神様は依怙贔屓のない

    お方でございますなぁ。

    それにしてもウェルキンゲトリクスよ

    いくらなんでも懐きすぎじゃないか?

    ゴロゴロ言ってたと思ったら

    もう寝入りそうだ。

    こんなに他人の腕でリラックスしてしまう

    ウェルキンゲトリクスが

    少し心配になってきた。

    ガリアの民も流石に

    「こんな奴を大将にできるか!」

    と言って纏まりそうにない。
    余程に私が飼い主に似ているのだろうか。

    それとも何かの手違いで

    私の毛穴からチュールの匂いが

    分泌されているのだろうか

    ともあれ

    「悪い人に拾われなくて良かったねぇ。」

    しかし、そう囁きながらも

    傍目には猫を誘拐し

    勝手に名前を付けている私は

    八割方、悪い人と見做されることだろう。

    良心に証明書なんてないから

    もし

    「悪意をもって

    犯行に及ぼうとしましたよね?」

    と追及され続けたら

    三日目の朝くらいにはギブアップして

    認めてしまいそうだ。

    いや、嘘です。

    見栄を張りました。

    一日目の朝方には帰りたいです。

    すぐに認めて謝り倒して

    なんとか解放されようとします。

    所詮、私も利害の人間であります。

    意地を通せば窮屈だ

    といいますが、その通り。

    志を貫く高潔さは

    何にも変えがたいけれども

    正直を地位にも名声にも

    金にも換金できなければ

    皆、得な嘘の方を選びます。

    正直者が馬鹿を見る世の中です。

    こんなにみみっちく

    弱さを強さに両替して生きてる癖に

    純粋過ぎるウェルキンゲトリクスを

    脆弱だと心配して慮る。

    なんだか自分がひどく

    無機物のように感ぜられてきました。

    志を失った人間は歯車になる代わりに

    ある程度の理不尽から解放されます。

    志を押し通す人間は迫害され

    その先には、往々にして死があります。

    残る者は、その貫いた志、魂のみ。

    じゃあ、私には何が残るんだろう?

    歯車には魂さえない。

    志なき私には、魂さえ残らず

    ただ塵芥に帰るだけなんだろうか。

    信賞必罰。

    私の罪は、パンドラちゃんと同じくらい

    重いのかもしれません。

    すっかり悪人になった気分で周囲を警戒し

    改札に通りかかった時には

    もはやお縄を頂戴する覚悟でした。

    もう既に遠方から明らかに訝し気な眼差しで

    私を射抜いてくる駅員二名。

    その制服姿に

    ありもしない桜の代紋がチラついて、

    の挙動を自然から切り離していく。

    片手でウェルキンゲトリクスを支えながら

    バッグの財布からパスモを取り出し

    心なしか震えて見える手から

    ピッっと電子音が鳴った。

    もしここで残高不足の警報が鳴って

    改札の扉が閉ざされていたら

    私はウェルキンゲトリクスを支えきれず

    その場で全てを白状してしまったでしょう

    しかし、そんな話を

    駅員が素直に信じてくれるはずがない。

    駅から急に猫が出てきたなんて。

    侵入させた自分たちのメンツにも関わる。

    彼らはすぐさま私を悪人と断罪して

    警察と連携をとり

    私は駅員室から警察署

    取調室から留置所まで

    流れるように堕ちていったでしょう。

    そして神を信じることを辞めた私は

    サタンと契約し、浮世と身を分かつため

    体中に蝶だの龍だの麒麟だの

    ラガーだのの刺青を入れたい放題にして

    ゲヘナの底に身を沈めたに違いありません。

    幸いにもパスモの残高は充分にありました。

    駅員も、訝し気な眼差しを向けるだけで

    特に何のお咎めもなしに

    私はこの最大の難所を

    クリアすることに成功したのです。

    今考えてみると

    黒猫を籠に入れるでもなく両手に抱いて

    シャツが毛だらけになっている女が

    地下から這い上がって来たのを見たら

    そりゃ普通の目線では見られないでしょう。

    人間、窮すると、三尺引いて

    物事を見ることすら忘れてしまうものです。

    とはいえ、私はついに辿り着いた。

    陽光が景色を包み込むように暖かく

    私の周りに纏わりついている空気に

    祝福を吹き込んでくれるように

    淡い空色を当てて、肌に反射する光を

    自然に返してくれているようだ。

    黒猫を抱いた毛だらけの女は

    相変わらず訝し気な眼を

    通行人に向けられながらも

    久方ぶりの自由を謳歌しているような

    気持ちを思いっきり吸い込んで

    人生を感じていた。

    それから最寄りの交番へ行った。

    これにて短い旅路のエンディングである。

    さようなら、私の幸せの箱。

    さようなら、ウェルキンゲトリクス。

    ちゃんとガリアを平定するんだよ。

    警官には、猫が迷ったので

    保護しておいた、とだけ伝えた。

    まさか大江戸線の最奥から

    拾ってきたなどとは言えない。

    本当のことを言えばゲヘナの底だ。

    又はジュデッカかコキュートスだ。

    いずれにせよドラゴンタトゥーは免れない。

    別れ際のウェルキンゲトリクスが

    体をバタつかせて

    こちらを見ているのに耐えかねて

    足早に交番を去った。

    悲しみに背中を向け、振り向かないように。

    心の中に、さよなら足跡残して。

    ウェルキンゲトリクスを

    両腕に抱いての歩行は

    思った以上に鈍重だったらしく

    時計は、予定の時刻より

    半周分多く回っていた。

    目の錯覚ではないかと

    両目をこすって見返してみたが

    現実は変わらなかった。

    待ち合わせのカフェでカフェラテを

    飲み切って貧乏ゆすりをしていた友人の顔は

    第六天魔王に縊り殺される

    直前の風船のようだった。

    これはまずい。

    なんとしてでも噴火を

    食い止めねばならない。

    私はその日一日

    全力で友人の腰に巾着として巻き付き

    太鼓と鞄を無理に抱えてでも持った。

    みるからに外れの映画にも

    苦心して付き合った。

    しばらくすると、友人の顔は

    ハコフグから太ったチンアナゴくらい

    までには収まっていた。ホッとした。

    同時にせっかくの休みを苦悶に費やして

    奥歯が擦り減るような思いであった。

    信賞必罰。仕方がない。

    私はパンドラちゃんなのだから。

    それでも今思い返せば

    あの日一番嬉しかったことは

    時間に遅れたことだった。

    時計を確認したあの瞬間

    確かに進んでいたあの長針を見て

    あの不思議のダンジョンでの

    ウェルキンゲトリクスとの時間が

    幻でなかったことが

    一瞬にして確信に変わった。

    あの時

    だいぶ浮足立って夢見心地だった私が

    一気に現実に引き戻されて

    その現実に夢を連れて

    帰って来れた気がして。

    それがきっと、一番、嬉しかった。

    ?アカリ?



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  • 投稿日時

    恥の箱を拾いました 【中】


    かくして私は久方ぶりか

    そうでもないのか判然としない

    大江戸線へと足を踏み入れた。

    なぜ判然としないのかというと

    自分でもわからない。

    あまりにも地下深くに潜っているものだから

    潜った時の私と、出て来た時の私が

    違う人間になっているのかもしれない。

    ぞっとしない話だ。

    そういえば、昔

    トルネコの大冒険というゲームがあった。

    兄が小学生くらいの時に

    大嵌りしていたのを見ていたので

    よく覚えている。

    踏み入れる度に

    地形の変わるダンジョンを踏破しながら

    その奥深くに眠る「幸せの箱」を手に入れる

    というゲームだ。

    これの何がキツイかって

    幸せの箱を手に入れてからの帰路である。

    満身創痍でクリアアイテムを手に入れたのに

    そこから同じ階数だけ

    地上まで帰ってこなければならない。

    今まで苦労して

    ギリギリで積み上げてきた石を

    一つづつ崩さねばならぬ苦行。

    いっそ鬼が全部

    吹き飛ばしてくれたらいいのに。

    こういう時の鬼は意地悪に優しいものだ。

    「行きはヨイヨイ、帰りはコワイ」

    ひとつのミスが命取りのあのスリルは

    それでも子供の冒険心を

    堪らなく掻き立てたのだろう。

    うちの兄などは

    何度もダンジョンの帰り道で

    爆弾岩というニヤついた

    がんもどきの巻き添えを喰らって

    食べかけのおでんを口から吹き出し

    壁にコントローラーを投げつけては

    それを母に見つかって、よくゲームごと

    家族会議に取り上げられていたものだ。

    よく考えると、不思議のダンジョンは

    大江戸線そのものではないか?

    だから毎回記憶が定かでないのか。

    なにせ、毎回地形が変わる上に

    ステータスも元に戻っているんだもの。

    ということは、記憶も元の通りに

    リセットされていて不思議でない。

    大江戸線が不思議のダンジョンであれば

    私の大江戸線に関する思い出が

    エアポケット化していることにも

    説明がつく。

    そういうことにしてしまおうかしら。

    いや待て。帰還率は?

    ダンジョンだったら帰還率

    1パーセントもないよ?

    「I'll be Back!」ってかっこつけて

    約束して出陣しても、説得力ないよ?

    「コカ・コーラには、1903年以降も

    未だコカインが混入されているんだ。」

    と嘯いて「だから依存性が高いんだ~。」

    って、トー横ギャルを納得させる

    くらいの説得力しかないよ?

    大体あの娘ら、ピンクのモンスターに

    LSDが入ってるって

    言っても多分信じるよ?

    そもそも大江戸線には

    モンスターも出なけりゃ

    幸せの箱なんてご褒美もないじゃないか。

    そのくせ、深さだけはダンジョン級。

    ああ、世知辛いかな、大江戸線。

    「私のリアルファンタジーを返せ!」

    そんなことを考えているうちに

    私は大江戸線の行きの

    大部分を踏破していた。

    階層は既に最終段階に近い。

    エスカレーターで自分の頭の位置が

    下がっていく度にうんざりする。

    「これをまた登るのか…。」

    電車はすぐに来た。

    休む間もなく、私に肉体労働をさせよう

    という粋な計らいだ。

    電車の顔が奴隷商人に見えてきた。

    そのせいで、車内でガラガラの座席に腰掛け

    揺られている間中、大西洋横断中の

    コロンブスのことを考える羽目になった。

    「絶対、途中で仲間に反乱されて

    ボコボコにされたよね。

    よく途中で海に放り出されなかったもんだ。

    いや、意外と喧嘩が強かったのかな。」

    「でも、屁理屈で卵を立てたくらいで

    飢死への怒りが収まるほど

    士気が高まるわけないよね。

    そんなん、逆にバーサーカーじゃん。

    怖ッ。」

    降りた時には

    コロンブスのことを考え飽きて

    逆にコロンブスに虐げられた

    ネイティヴ・アメリカンの人々の

    気持ちになって昂っていた。

    「あのコンキスタドールめ!

    何がコロンブスだ!イタリア人のくせに!

    本名クリストファー・コロンのくせに!」

    コロンという名前の方が

    少しは愛着が湧いたかもしれない

    と思った。

    さて、黄泉から浮世に帰る時が来ました。

    大変なのはこれなのです。

    イザナギがイザナミから逃げる時も

    大国主がスサノオから

    逃げる時もそうでした。

    来るのは簡単なんですよ。

    だけど、出るってなると

    そう簡単にゃいきません。

    世の中だってそうです。

    太るのは簡単でも、痩せるのは

    トルネコにだってできません。

    あんまり心がしんどいから

    辺りを見回してみた。

    どこかに幸せの箱は落ちてないかしら。

    「こんなとこにいるはずもないのにぃ~。」

    頭の中のリトル山崎まさよしが長話で

    コンサートを潰して小さくなっていった。

    …と思ったら、あった。

    いや、いた。箱じゃない。

    無論、リトル山崎まさよしでもない。

    「モンスターだ!」

    ダンジョンに、モンスターがいた。

    いや、モンスターというより

    この艶のある黒い毛並み

    浮世にあって横切るは不吉の象徴。

    されどここは浮世に非ず。黄泉なり。

    なればこれは吉兆の報せではないか?

    なぜこんなところに黒猫が?

    そしてこの猫、妙に人馴れしている。

    私が近づくと、逃げるどころか

    逆に近づいてくる。

    脳裏に自然とタケミカヅチ(我が実家の猫)

    のだらしない顔が蘇える。

    前に帰郷した時より、タケミカヅチは

    更に肉厚にふてぶてしくなっていた。

    そんな肉肉しく憎々しいタケミカヅチを

    想いに描いたところで絵に描いた餅。

    既にタケミカヅチ本人も

    鏡餅になりつつある。

    そのうち猫ではなく飾り物として

    我が家の今を飾る日も遠くないだろう。

    しかしながら今

    目の前にいるのは生身の猫である。

    よく見れば、その顔の隆線は猛き山脈を

    薄雲に溶かしたかのようにきめ細かく

    眼はめでたき日に、達磨の白目に

    大盤振る舞いで黒い真ん丸を瞳孔が開いて

    余りある程に大きく描いたようでいて

    その瞳は電灯の白線を鋭い白銀に射返して

    なお瑞々しく活気に満ちている。

    髭は、かの東郷平八郎提督の白髭を

    二十本程度に濃く縮めた逸品を

    細長い滝に流して

    水面から白龍となって顕れたるが

    尾を引いて通り過ぎたかの如く

    毛先の末まで悠然と淡い色を残している。

    肢体には一切の脂肪もついていないようで

    肉体のバネを内包して

    盛り上がる四肢の付け根は

    黒い金剛石のように力強く美しい。

    毛の色は全身、黒。

    絵具でも墨を擦るでも出せないであろう

    純然たる自然の黒である。この黒は

    おそらく夜より黒いだろうと思った。

    周りには乗客どころか駅員の気配さえない。

    皆、下車するやいなや

    我先にとエスカレーターに

    吸い込まれていった。灯台下暗し。

    意外とこんな場所だからこそ

    人目に気づかれないものなのかもしれない。

    人間というものの視野は

    これだからいけない。

    真っ直ぐ前を向いて進む

    というと聞こえはいいが

    それじゃあ君たちは猪のことを

    猪口才だの猪勇だのと言って

    馬鹿にできないぞ。

    人というものは、当たり前な世の中に

    当たり前じゃないものを探す視野を持たねば

    人である甲斐がありませぬ。

    私は幸せの箱を探したからこそ

    この黒猫と巡り合うことができたのです。

    黒猫はトテトテと、摩擦も重力も

    感じさせない足取りで距離を詰めてくる。

    この子はホバリング

    してるんじゃないかしら?

    でも若干のホバリングなら

    ドラエモンよろしく

    あのドジョウの悲鳴

    みたいな音が聞こえるはずだ。

    この子は音無しの歩みである。

    おそらくは伊賀も甲賀も欺くほどの

    絶技でもってこの歩行法を

    密かに実践してきたに違いない。

    そうこうしているうちに

    いつの間にか黒猫は既に

    私の間合いまで踏み込み

    なんと太腿にじゃれついてきた。

    なんという人懐っこさ!

    これは間違いなく飼い猫であろう。

    ということは、私にはこの猫を

    地上まで送り届ける使命がある。

    「キャッチ!」抱きかかえると

    黒猫は自ずから体制を整えて

    私の腕の中にすっぽりと収まった。

    「アカリは幸せの箱(猫)を手に入れた!」

    ?アカリ?


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  • 投稿日時

    恥の箱を拾いました 上

    ――中には、あたたかい黒猫と

    冷たい自尊心が入っていました。

    目的地への電車移動時間を調べて

    「なーんだ、たったの20分じゃん。」

    と喜んだのも束の間

    その間の乗り継ぎの路線名を見て

    軽く絶望した。

    三途の川でうっかり六文銭を忘れて

    橋渡しの船頭に泣き縋るくらいの絶望だ。

    「大江戸線」。

    私は、あのどこまでも続く地下道が

    地獄へと通じているんじゃないか?

    と思うことがある。

    これはもう二度と物理的に

    陽の目を見ることはないだろう

    とまで降りても、まだ口を開けて

    私を飲み込もうとするエスカレーターが

    待ち構えているのが見える。

    私にはそれが

    現代版のミミックにしか見えない。

    ドラクエの宝箱を

    見つけた時の夢を粉々にして

    隣の意地悪爺さんへの

    嫌がらせ用草木灰に変えてしまう

    あいつだ。

    確かに上りエスカレーターは時に

    宝箱のように映るかもしれないが

    下りは別だ。

    膝を傷めないようにと親切な翁の顔で

    こちらへ近づいて、その背に乗れば

    いつの間にか黄泉比良坂を

    駆ける死神に変わっている。

    あれに食われればそのまま黄泉の国だ。

    そして私は、火打石もないまま

    寝起きのスサノオに

    火炙りにされるに違いない。

    神も仏もあったもんじゃない。

    いや、たまったもんじゃない。

    そうでなければ、ひょっとしたら

    あの地下深くに

    未だ滅んだことを自覚せぬ大江戸が

    存在しているのかもしれない。

    そこには

    時代が朽ちたとも知らぬ亡者たちが

    黄泉の大江戸を、当時の活気を

    永遠に再現しながらグルグルと

    賑わせているのではないか。

    ――米をたっぷり溜め込んだ

    ポッコリ腹に似合わぬ

    俊足で駆け抜ける飛脚の

    髷の油を飛ばす勢いで

    全身から迸る汗が街道に水を引き

    ――客の取れない遊女が

    冷やかしに中見せを覗きに来た呉服屋の袖を

    釣り上げて捕って食わんばかりに袖を引き

    ――江戸っ子同士が茶屋で喧嘩を始めては

    口角泡を吹くのに飽いて

    実際に腰を上げるのも面倒だからと

    結局、床几の上に将棋を広げて

    振り上げた手を引き

    至るところで引きあっている人々の

    時代の幕引きを知らぬはなんと

    儚く寂しい景色だろう。

    私はスサノオよりも

    そっちの方が、怖い気がした。

    しかし、私は行かねばならない。

    昨今の私は

    友人との約束に小刻みな遅刻を繰り返し

    そのクレジットがもう

    限度額を超えるかもしれないのだ。

    仏の顔も四十八手とはよく言われるが

    出会った頃からの私の遅刻アーカイブを

    リサーチマーケティングしたなら

    いくら彼女の顔面が打たれ強いとはいえ

    もはやヘッドダメージは限界近くの峠に

    差し掛かっているかもしれない。

    なんだか最近、遅刻をする度に

    積もった塵が阿蘇山となって噴火し

    友人を灰にしてしまうのではないか

    というような余震を感じるのだ。

    これは単純に直らない彼女の貧乏ゆすりも

    関係しているが、これ以上

    友人にでかい顔をさせるわけにはいかない。

    もしこれ以上

    彼女のでかい顔が膨れて破裂したら

    限界を超えたヘッドダメージから

    パンチドランカーは免れない。

    噴火して灰になって

    真っ白に燃え尽きて貰っても困る。

    「もう少しの間だけ

    鉄面皮の厚顔無恥でいてくれ!」

    最近の私は、友人に対して

    思いがけないような

    願い事をするようになっていた。

    そもそも、私は張り詰めた風船などを

    見るのが苦手なのだ。

    風船職人などが悲鳴のような

    ゴムの摩擦音を自慢げに奏でながら

    得意げな顔で、限界に膨張した囚人たちを

    拗り、絡ませる様などは見ていられない。

    あれは、ある縁日の夜だったか。

    虜囚たちの背骨が

    キュキュキュっと砕ける音が聞こえる。

    それは助けを求める

    哀れな異端審問犠牲者の

    叫びだったかもしれない。

    私は目を閉じ

    耳を塞いで逃げ出してしまいたかった。

    どうにも動けず立ちすくんでいると

    異端審問官と私の目が合った。

    彼は嬉嬉として口角を釣りあげながら

    今にも舌なめずりを繰り出しそうな

    不気味な形に顔を歪めて私に笑いかけた。

    それから、サービスだとでも言わんばかりに

    風船を蹂躙し、折檻し

    無残な姿に折り曲げていった。

    最後には、見る影もなくなった

    「風船だったものたち」の痛ましい亡骸を

    頭蓋を盃に乾杯の音頭をとるが如く

    頭上高くに掲げたのである。

    これなるは、かの信長公ですら

    「殿!お止めくだされ!」と

    しゃれこうべから酒を仰ごうとする様を

    家臣に止められたという

    全代きっての蛮行である。

    しかし、縁日という狂宴は

    人の狂暴性を剥き出しにするのだろうか。

    見物客たちは、まるで悪趣味な仮面を被った

    時代外れの卑俗な道楽貴族のように

    目の前で行われた残虐な見世物に

    喝采を浴びせ

    「次は!?次は!?」とおねだりまでする。

    しかして、渦中の第六天魔王は

    満面の笑みで、当然の如くその礼賛を浴び

    その期待に応えるのだ。

    ああ、日本の未来は真っ暗闇だ。

    頭の中に中原中也の詩が流れる。

    サーカスで騒いでも

    時代は茶色から漆黒に

    塗りつぶされてゆくのだ。

    春の日の夕暮れは

    どう足掻いたって闇に向かうのだ。

    ネオ信長に、懺悔の心など微塵もなく

    贖罪の祈りなど露ほども届かない。

    魔王は会釈もなく

    また新たな獲物に手をかける。

    あの縁日の夜。

    「彼こそが悪魔だ。」

    そう決めてしまった幼心を

    私は未だ拭えずにいる。

    環七から環八くらいまで

    話が逸れてしまったが

    要は、私は友人の顔を破裂させて

    又は噴火させて、真っ白に燃え尽きた

    パンチドランカーにしてしまわないためにも

    これ以上

    遅刻をするわけにはいかないのだ。

    例え、暗く果てのない

    大江戸線に呑み込まれようと

    私は、スサノオの試練を乗り越え

    黄泉の大江戸を?い潜ってでも

    生きて時間通りに

    再び浮世に顕現しなければならない。

    ?アカリ?



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  • 投稿日時

    5月ありがとうございました。

    こんにちは。

    いつもアカリをご贔屓にしていただき

    ありがとうございます。

    今回、業界に足を踏み入れてから

    変わらず目標にしてきた

    「高級店の1位」になることが出来ました!

    時の運によるものの要因が多いので

    「自分がいい女だ」と胸を張って

    言えるような状態では無いのですが

    「無理、出来ない、もうダメだ」と

    挫けてしまいそうな日々を

    過ごしてきた身としては

    今は素直に嬉しいです。

    こうなれたのも

    いつも助けてくださるスタッフさん

    親身になってくださる女の子たち

    会いに来てくださった貴方様方の

    お陰でございます。

    誠にありがとうございます。

    アラビアンナイトは

    本当にいい女の子たちばかりが居るので

    「もっといい女になれるように

    見習って励むぞ」と

    そんな前向きな気持ちで歩んで行きます。

    これからも貴方様との

    素敵な時間を重ねて行けますように。

    今年は写メ日記を書籍にして

    本屋での店頭販売目指して

    動いておりますので、またこちらでも

    ご報告させていただきますね。

    本日もいい日にしましょう。

    ?アカリ?



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  • 投稿日時

    君の話はひとつも覚えていない

    ――でもあの男の手の動きなら

    たぶん一生忘れない。

    あれは、まさしく日常の罠だった。

    私はその日、タクシーの後部座席で

    友人としゃべくり倒していた。

    テーマは恋愛だったか

    唐揚げの衣の話だったか

    記憶が曖昧なのは、きっと途中で

    世界が思いがけず華やいだからである。

    交差点でタクシーが止まったとき

    私はふと、友人の肩越しに何か異質な

    いや、魅惑的な気配を感じたのだ。

    そこにいた。

    一台の車。ぱっと見で

    「これはヤバいやつだ」と脳が告げてくる。

    ボディにピンク髪の少女。

    笑っている。いや、微笑んでいる。

    いや、たぶん、私の人生を超越していた。

    いわゆる痛車である。

    言葉の響きがすでに痛々しいのに

    現物はさらに上をいっていた。

    これはもはや車というより、動く神殿。

    友人は気づいていない。

    そりゃそうだ

    夢中で自分の話をしていたのだから。

    だが私はもう

    彼女の声が耳に入ってこない。

    意識の焦点が、自動的に痛車へ合っていた。

    そして、その主がいた。

    踊っていた。狂っていた。

    生命の限界に挑んでいた。

    運転席で、彼は口を縦にめいっぱい開け

    片手でハンドルを握りつつ

    もう片手を顔の横でブンブン

    いや、シャキーンシャキーンと振っていた。

    音楽に合わせて。もちろん音は聞こえない。

    ガラス越しの、まさに無音の舞踏だった。

    私は笑いを堪えた。

    いや、むしろ笑いそうになったのは

    己の惨めさの方だ。

    こんなにも全力で何かをしている人間が

    隣の車にいたというのに

    私はただ、退屈な話に相槌を打ち

    上手に「聞いてるふり」をしていたのだ。

    「――でさ、ひどくない?」

    友人は言った。

    話の山場だったのかもしれない。

    でもごめん、本当にごめん。

    私は聞いていなかった。

    私は、痛車の主とともに

    心の中で激しく踊っていた。

    信号が青に変わると

    彼の車はまるで戦場へ向かう戦士のように

    猛スピードで走り去っていった。

    その瞬間、私は悟った。

    彼はきっと、今日を全力で生きている。

    私はと言えば、どうだろう。

    少なくとも、ほんの一瞬

    「生きているってこういうことかもしれない」

    と思えたのだから、悪くはない。

    友人の話は一ミリも頭に入ってこなかったが

    交差点の向こうで見た踊る男の姿は

    今も私の網膜に焼き付いている。

    あんな風に踊れるだろうか、私は。

    いや、踊れない。

    でも、ちょっとだけ、羨ましかったのだ。

    ?アカリ?




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  • 投稿日時

    熱に浮かれる或阿呆


    ――彼らは踊り、ぶつかり、溶け合い、

    そしていつのまにか消えていった。

    モッシュピットが好きだった。

    音響時代、PA卓から見下ろした

    人工的に、でも自然に

    オーディエンスの中にできる円形脱毛症。

    ピンボールのように、ビリヤードのように

    人間同士がぶつかり跳ね回る。

    童に返ったように。無垢に。無邪気に。

    現代社会に揉み込まれた多すぎる塩気を

    汗に蒸発させて、浮世に仇を返すように

    シャツの色を濃く染めていく。

    丸鍋の中から立ち上る湯気が

    天井近くの照明に吸い込まれて

    薄くキラキラしながら

    扇形に上空に広がる。

    会場を覆い尽くした熱気の匂いは

    独特の獰猛な色気と

    倒錯した純粋な愉悦とを帯びて

    皆に伝染し、傍観者の心をも躍らせる。

    私も、あの自然共同体の

    一部になるのが好きだった。

    姉や知り合いたちと

    パンクバンドやロックバンドの

    ライブに行っては

    名も顔も知らぬ同士たちと

    肩も腕もぶつけあって

    互いに興奮を摩擦させ

    エネルギーを色んな色に

    溶かして混ぜ合わせた。

    現実社会で行き場をなくした

    活力を発散し合い、もみくちゃになって

    合体してキングスライムに

    なるんじゃないかしら、というくらいに

    夢中な一体感で

    身体をひとところに集め合った。

    そこには、コミュニティを越えた

    魂の共鳴があった。

    木の上に登った少年を脅かす虎たちが

    回り回ってバターになるように

    お互いを鰹節のように削り合って

    次第に肉体が細かく分解されて

    陽炎に立ち込めて、私たちを照らす

    人口の光の中に吸い込まれる。

    そのまま空間を彩る

    イルミネーションになってしまいたかった。

    そんな高揚感に、五体が脈動して

    意識が上へ下へ揺さぶられ

    心地良くシェイクされた脳髄に

    生きた血が新しく通い出すようだ。

    あの頃は、何も考えていなかった。

    考えなくてよかった。

    忘我のうちに、目の前の音が流れ込んできて

    四肢が弾けんばかりに無我夢中だった。

    ところが、ある日、SNSに書かれていた。

    「あのモッシュ軍団、マジ邪魔じゃね?」

    時代が変わった、と思った。

    それから、次第にモッシュピットが

    作られる頻度も減っていった。

    そして、私たちの青春は、足音を消して

    さよならも言わずに立ち去った。

    自由に暴れて、肉体言語で語らう世は

    静かにひっそりと終わりを告げたのだ。

    無言のうちにいなくなってしまった彼。

    なんだかとても寂しかった。

    でも、今のご時世に

    馬鹿みたいに体当たりをして

    人に迷惑顔をさせるのは、悪辣だ。

    世知辛いな、と思いつつも

    現代では私が愚か者なのだ。

    それから、私は大人しくなった。

    座席指定のライブに行くことが増えた。

    そこにもうモッシュピットがないなら

    あの熱に浮かれて

    溶け合って蒸発できないのなら

    粛々と、ライブから

    剥き出しの音楽だけを取り出して

    それを味わおう、と。

    それならば、せめて

    有名アーティストのライブに行こう、と。

    やってみると、悪くなかった。

    音楽に、やっとちゃんと向き合って

    正しく咀嚼しているような気がした。

    耳も少し肥えてきたような気がする。

    音響のチェックと

    芸術性を聞き分ける聴覚は

    また全く別物なのだと、この時に実感した。

    こうして、人は成長していくのだな。

    野蛮な何かを捨てて

    人は進歩していくのだろうか。

    しかし、私は忘れない。

    あの、アーティストの名前もわからない

    会場に飛び入りして

    モッシュピットで流した輝く飛沫を。

    音楽よりも、空間が好きで。

    そんな短絡的な目的でライブに行っていた

    あの滑稽な日々を。

    ずっと、大切に心のお洒落小箱の隅っこに

    仕舞っておきたい。

    それを胸に、私は今日も

    イヤフォンから流れる音に、心を揺らす。

    ?アカリ?


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  • 投稿日時

    孤独なよろこび

    ――あの日の三文字に

    わたしの誤解と希望と絶望とが

    すべて詰まっていた。

    人の世に処することは

    往々にして滑稽であり

    またその滑稽が故に哀しきものに通ずる。

    それは、ある晴れた日の午後

    私が初めて携帯電話なる

    文明の器械を手にした時より

    既に始まっていたのかもしれぬ。

    人は便利と称して多くの不自由を買い込み

    社交と称して無言の監視を招き寄せる。

    私が「SNS」という

    不可思議なる社会的装置を用い始めたのも

    その不自由の道を歩まんとする

    第一歩であった。

    されどそれは

    青年の鬢髪に立つ初霜のごとく

    清冽な一撃をもって

    私の自尊心を凍てつかせた。

    何を書けばよいのか。

    初投稿とは、いわば己れの存在を

    人の海に浮かべる第一声である。

    かのソクラテスがアテナイの市に立って

    声を上げたときよりも

    今や一層多くの眼が私を注視している。

    されば、人は得てして

    無難なる文句を撰ぶ。

    「よろしくね」「はじめました」

    「フォローしてね?」

    世間一般、花の香に似せた言葉をば

    こぞって撒き散らしている。

    されど、私は斯様な仮面を

    どうしても纏うことが出来なかった。

    ただ、ぽつりと、こう書き込んだ。

    「わーい」

    この一語には

    深意がなかったわけではない。

    否、むしろ愚直なまでに

    純真なる悦びが籠もっていた。

    古来、歌詠みの道においては

    意味よりも調べを重んずる傾きがあり

    ましてやこの世の始めにおいては

    「うれし」とか「たのし」とか

    無意味のようでいて

    万象を包摂する言葉が流布していた。

    「わーい」こそは、その現代における

    野の花のような発語であった。

    意味を排し

    ただ気分の波を戯れに洩らすのみ。

    かかる一言こそ

    かえって悠久の詩情を孕んでいる。

    などと、我ながら酔うほどに満悦していた。

    ところが翌日

    学校という人の巣に戻りし時

    世界は急に私を迎えねばならぬ

    義務を放棄したかのように

    冷たき眼をもって私を照らした。

    放課後、部室の一隅にて

    ある少女が言った。

    「…あの書き込み、どうしちゃったの?」

    その声は

    まるで早春の薄氷を踏んだ時のように

    しんと我が耳朶に触れた。

    私は、火にでも投げ込まれたかと思うほど

    顔が熱くなった。

    全身を羞恥の赤が走り

    心は瞬く間に瓦解した。

    彼女の目には

    私が正気を失ったる者として映ったらしい。

    実際、社会という舞台において

    挨拶や自己紹介をせぬ者は

    狂人として記憶される。

    私の「わーい」は、無垢の叫びではなかった。

    無礼であり、無知であり

    なにより、場違いであった。

    その晩、私は自らを責めに責めた。

    なぜ、「よろしくね」と言えなかったのか。

    なぜ、「初めまして」

    と手を差し出さなかったのか。

    否。

    なぜ、自分であろうとしてしまったのか。

    そして己が、ひとり遊びを続け過ぎた挙句

    他人と交わる術を知らぬまま

    心の深き井戸に

    閉じ込められていたことを知った。

    その井戸の底で

    私は小さく呟いたのである。

    「わーい」と。

    私は、彼女に謝った。

    「ごめん…」

    彼女は、なぜか

    もっと悲しそうな顔で笑った。

    「えぇ…なんか、ごめんね!」

    人は笑いながら

    相手の孤独に気づくことがある。

    その笑みは、慈愛ではなく

    ある種の恐怖から来ている。

    私の「わーい」が

    どれほど彼女の感性を戸惑わせ

    あるいは、心をざらつかせたか。

    かくして、私は知ったのである。

    人の世に倣うことの難しさと

    倣わぬ者の寂しさとを。

    それ以来、私は何かを書くたびに思うのだ。

    これは、独り善がりではないか。

    これは、またしても「わーい」ではないかと。

    されど今では、少しだけ

    思いも変わってきた。

    あの「わーい」には

    あの時の私にしか書けなかった

    剥き出しの魂がある。

    それが拙く、滑稽であったとしても

    滑稽なるを以て人の世に美を見出すならば

    あの一言にもまた

    一片の詩情があったのではなかろうか。

    言葉に意味を持たせすぎるこの世界に

    「わーい」とだけ書いたあの日のわたしを

    少しだけ、愛しく思うことがある。

    いつかまた、勇気が湧いたら

    私はもう一度言いたいと思っている。

    その時は、もう少し上品な顔をして。

    わーい。

    ?アカリ?


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