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――天に祈ったのは、
努力でも才能でもなく、偶然であった。
私は、その昔、
吹奏楽部なるものに身を置いておりました。
といっても、
別に音楽が殊更
好きだったわけではございません。
ただ、あの楽器の、
あのサックスという名前の響きが
どうにも格好よく
感じられたのでございます。
これが人間の愚かしさの
始まりでございます。
サックス、というのは、
なんだか、あれです、色気があるのです。
管のくねり具合とか、
金属の鈍い輝きとか、
何よりも、
吹くときに頬が少しだけ膨らむ、
その姿が、どうにも耽美で、
そして孤独を感じさせる。
ああ、いけない、また妄想癖が出ました。
ともかく、私はその、
サックスなるものに
恋をしてしまったのです。
ですが、世の中には
同じような不埒者が二十人もおりまして、
しかも、受け入れられるのは、たった二名。
なぜ、こんなにも人生とは、
狭き門ばかりなのか。
うちの学校は、奇妙なところでして、
オーディションなどという
冷酷な仕組みは用いず、
「話し合い」で決めるというのです。
民主主義の仮面をかぶった、
情念のぶつかり合いでございます。
ああ、地獄。
放課後、教室に二十人の野望が集まり、
話し合いという名の、
誰も笑わない宴が始まりました。
一人、また一人と、
言葉少なに敗退してゆく姿は、
まるで戦場の死兵でございました。
「私は、サックスで
音大を目指しているんです」
などと申す者もおりまして、
それを聞いた私は、
もうその場で椅子ごと倒れてしまいたい
ような気持ちでございました。
なんというか、ゲームでいえば、
URカードの登場です。
私はせいぜい、Nカード、
いや、捨て札程度の存在。
私が持っていた手札など、
「中学でもやっていました」とか、
「一生続けたいと思ってます」とか、
情熱ばかりで技術も将来性もない、
そんな薄っぺらい紙切れでございます。
されど、人生は分からぬもので、
最後の五人にまで残ったのです。
運命とは、皮肉屋です。
ここで、いきなりの
「ジャンケンで決めよう」となりました。
なんという、反知性、
いや、ある意味での究極の平等。
私は震える手で拳を握り、天に祈りました。
祈りは通じたのでございます。
私は、勝ったのです。
勝った。と言いましても、
それはほんの一瞬のこと。
後にも先にも、
私の人生で堂々と勝利宣言できるのは、
あのジャンケンの瞬間だけかもしれません。
こうして私は、
めでたくサックスパートとなり、
重たいケースを抱えて通学しました。
あの鈍く光る金属に、
自分のすべてを投影していた日々。
青春などという美しい言葉では到底括れぬ、
汗と嫉妬と寂寞の混沌。
あれは、たしかに生きていた証でした。
いま、サックスは実家に眠っております。
押入れの奥、毛布にくるまれて、
静かに、しかし確かに、
私の過去を抱いています。
あれを再び吹く日が来るのかどうかは、
神のみぞ知るところでございます。
私はといえば、
あのときの自分を思い出しては、
ふと、苦笑いを浮かべるのです。
あれは、まったく、狂騒の夢でした。
?アカリ?
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