
朝、窓を少し開けて『告白』を読み返していた。
何度目かの読書だけれど、毎回ひっかかる箇所が違うのが不思議だ。
アウグスティヌスは、自分の過去を“告白”するという形で、真理に向かう旅を綴っている。
外の世界ではなく、自分の“内”にこそ神がいると語る言葉は信仰の有無を超えて、深い静けさを残していく。
「遅れてきた愛」は、彼の人生そのものだったのかもしれない。
若さの中での迷い、理屈への執着、名誉への欲。
でもそれらを越えて、彼は「心の静けさ」を探し続けていた。
わたしもふと、“今この時間の流れを、わたしはどこで感じているのだろう”と考える。
アウグスティヌスが言うように、過去は記憶にあり、未来は期待にあり、現在はその二つをつなぐ、意識の一点にすぎないのだとしたら。
何を信じて歩くのか。
何を大事に沈黙の中に残していくのか。
その問いは、いまもどこかで、
そっと耳元に届いている気がした。