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末永ひなみ(22)
T155 B83(C) W56 H84

みなさん、こんばんは
今日は3月11日。
東日本大震災から15年が経ちましたね。
当時の午後14時46分に起きたあの大きな大地震はひなみの中でも強く記憶に残っています。
震災当時はまだ小⚫︎生で総合の授業中でした、ひなみの学年は全クラス体育館に集まり、英語の先生(ALTの先生)のお別れ会をしていました
クラスごとに英語の先生に向けて演し物を披露し、最後に英語の先生が私たち生徒にメッセージを伝えて下さってる途中で突然グラっと揺れたのを覚えています。
恐らく全員すぐに揺れは収まるだろうと思っていたはずです。
それどころか揺れがどんどん強くなっていき、体育館の舞台裏にある道具や上にある照明器具や放送器具がバタンバタン倒れていくのでこれには全員びっくりし、怖くて泣いてる子もいました。
揺れている間は体育館の真ん中に全員密集し、隣にいた子と「大丈夫だよ、怖くないよ」と手を握りながらお互い励まし合いました。
まだ子供だったのもあり、もう本当にここで死んでしまうのかと思い、一方に収まらない激しい揺れにひなみもパニック状態で怖くて泣きそうになり、同じ校内の教室にいる弟や家族の事も心配で気が気じゃありませんでした。
突然の出来事にパニックになり手の震えも動悸も収まりませんでしたがそんな状況下でも、隣の子が手を握ってくれただけでも心強かったです。
しばらくして揺れが収まった時、全学年授業は中断になり急遽集団下校になったので先生の指示に従い、1回教室に荷物を取りに行ってから校庭に集まりました。
1回教室へ戻った時も校庭に移動している途中でも余震は続いていたので、とても怖かったです。
校庭に駆けつけた時、親御さん達がが迎えに来てる中、私の母も迎えに来てくれました
この時、母が無事だと分かりとてもホッとしました。
弟と一緒に車に乗り込み、母が車のそばで弟の担任の先生と少し話していた時も余震が続いており、タイヤだけで支えている車内だとかなり揺れを感じたのでとても怖く、まだ幼い低学年の弟を励ましながらまた揺れが激しくなる前に早くママも乗って家に向かってほしいと思いました。
帰宅すると想像してた通り、地震の影響で金魚の水槽の水がこぼれていたり、庭の植木も倒れ物が散乱していましたが、幸いな事に食器棚や割れ物はありませんでした。
家にいた父と小さい妹、当時飼っていた金魚とモルモットも無事で本当に安心しました
そしてすぐさまテレビを付けたら、どのチャンネルを回してもニュースが報道されており、東北の津波などの震災映像に衝撃を受けました。
私達が住んでいる地域よりももっと膨大な被害を受けてる地域の人達は自分が体験した以上に過酷な被害を受け、津波の映像と共に死者や行方不明者が増えていく報道に悲しい気持ちになりました。
被災地で大事な家族や親類、友達が突然亡くなったり離ればなれになってしまったら自分はきっと悲しみのあまり一生立ち直れず憔悴し、生きる気力すらなくなると思います。
大地震の影響により大きな町などが津波にのみこまれ建物が水没し押し流されていく映像を目にし、津波の恐ろしさを実感させられました。
テレビでも携帯(当時はガラケー)に常に鳴り響く地震速報のサイレンにはビクビクしていたので、あの音も未だにトラウマです。
その後もちょくちょく余震が続いていた時も、家族が出かけてひなみ1人で家に留守番中に地震速報のサイレンが鳴り、揺れた時は本当に怖くてそれからしばらく一人でお留守番が出来なくなりました。
(今は普通に出来ます)
今日は昼職もお休みだったのでニュースの報道に合わせ、午後2時46分にはテレビの前で手を合わせ、黙祷を捧げました。
あの大規模な地震で15年経った現在でも、大地震や津波被害に見舞われた多くの方がトラウマを抱え、津波や避難の経験は記憶に強く残ると思います。
本当に微力でしかないですが、毎年「3.11」と検索しヤフーの10円募金をしており、PayPayでも1円から募金する事が出来ます。
私たちに出来る事は、被災地の復興支援に参加したり当時の震災の出来事を風化させないよう、地震や津波対策やハザードマップをチェックしたりと常日頃から家族で話し合ったりと備えを考える事は大事な事だと思います。
3.11の経験を踏まえ、震災が起きた時の為の備えなど日頃から防災行動をし、私たちの未来を守っていきましょう!
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明日のスケジュール
出勤 17:00〜21:00
まだ全枠空いておりますので、ご予約お待ちしております
よろしくお願いします♀
それでは、また明日
おやすみなさい* :゚
ひなみ
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