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探検家や宗門の繋がり、
あるいは国家間の付き合いも何もない
当時鎖国していたチベットへ
明治時代にたった1人、
西遊記のおとぎばなしみたいに
経典を求めて旅した人がいる
日本のお坊さん
河口慧海だ
用意周到に10代から漢語、英語、梵語、
古いインドのパーリ語等を独学して
単身、世界のヒマラヤ山脈を超え
チベットに入ったのだ
明治37年に「チベット旅行記」を
出版すると大きな評判となった
「チベット旅行記」は英訳されて
インドでも出版されたが
その正確さや観察眼には海外からも
高い評価を得た
河口慧海は亡くなるその時も
「チベット語辞典」の
編纂半ばというから凄まじい
半世紀以上を過ぎ、河口慧海が
この世を去って後に
川喜田次郎をリーダーとした探検隊は
河口慧海の道なりをなぞるように旅した
その真実性と河口慧海を
覚えている人達との出会い、
河口慧海に英語を習った人や
旅を記した「チベット旅行記」が
いかに正確だったかに舌を巻いたという
河口慧海がチベットから持ち帰った
装身具や仏具、衣装から経文、仏像
あらゆるものが
今も上野の国立博物館や東北大学にある
まさにチベット学会第一人者であり
真の求道者だろう
グローバル化が進み
手元で全てが知れて「探究」の意味が
薄らいだ今こそ、
改めて読み直したい一冊だ
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