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ファシズム、一党独裁、共産主義の
指導者に対する大衆の盲目的な支持や
唯一神、宗教、アイドルから王制まで指す
個人崇拝の原則とは
スターリンが揶揄されて以降、
100年と変わりない
日本では学生運動を鑑みて
大正デモクラシーの時期に始まり
第二次世界大戦後の1960年の安保闘争
1968-70年の全共闘に至っては
武装闘争路線が発生した事に重きを置き
集団から個へ、
革命やテロ、デモに対する悪感情と
集団化しない為の個々別々の意思を保つ
教育へシフトした
道徳授業すらカットする徹底ぶりで
運動会の優劣、学芸会や賞のあり方すら
変更に変更を重ねて
独裁支配に近い不透明な教育に
海外からも賛否が集まったが
戦後軍事教育からの脱却を銘打って
今も個人の徹底を図り続けている
1970年以降
過激化した運動への学生の
リスク回避と忌避などを理由に、
戦後から高度経済成長期にかけて
学生運動を主導した新左翼勢力は
急激に支持を失った
(就職活動において参加した学生達を
振り落とす事で社会活動の制限、
収入や生活費の経済的制裁が顕著に出た)
革マル派、安田山荘等の凄惨なイメージも
定着し、個人の孤立化は国の想定を超えて
波及していった
だが、それほど教育しても
個人崇拝は存在して在り続ける
資本主義とは相入れないが、
政治や宗教においては好都合だ
蜂やアリ等の集団社会から学ぶのは
個ではなく集団の意義だ
(昆虫ですら頂に置いた存在が
集団を顧みずに自由気ままに動けば
コロニーから追い出したり殺してしまう)
個人崇拝の原則を今一度学び
個としての社会統率を目指すのでは無く
規制や法律の改正を常に時代に合わせて
行う事こそが集団の益となる…
と最近では特に思う
学ぶ気持ち!
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