菊池美和(63)
T164 B95(F) W72 H97
お題:今日は「関ケ原合戦の日」なんか6時間くらいで終わったらしいよ。に回答
早くに幕を閉じた要因はこのようなことかしら…?
? 戦力の均衡と心の不均衡
表面上、西軍八万に東軍七万と勢力は拮抗していましたが、西軍の内部には統一の志なく、大義を掲げながらも諸大名の心は一つに結ばれてはいませんでした。一方、東軍は家康のもとに経験豊かな武将を揃え、統率の確かさにおいては大きな差があったのです。
? 小早川秀秋の翻意
小早川秀秋の去就が決定的でした。軍勢一万五千が、正午近くに至り東軍へと加わったとき、戦局は急転します。若き大名の一挙は、脇坂・朽木・小川・赤座ら諸将の寝返りを誘い、西軍は忽ち四分五裂。ここに勝敗は確定しました。
? 豊臣政権の衰微と時代の趨勢
この短期決戦の背後には「豊臣から徳川へ」という時代の大きな潮流がありました。秀吉の逝去後、幼き秀頼を戴く政権は力を失い、石田三成の才も諸大名を結集するには至りませんでした。家康はこの流れを的確に読み、恩賞と利害を巧みに操って諸侯の心を掌握しました。合戦の刻は数時間ですが、勝敗の下地はすでに数年をかけて築かれていたのですね。
そして、戦国の世は終焉を迎えました…
トップ