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黒崎(32)
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先日学校帰りに、頭を普段より使い数字がグルグルしてきて パッと上を向いたら 普段気が付かなかった素敵な物に 出会えました。 猪熊弦一郎 『自由』1951年 この絵について 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の古野華奈子学芸員によると、 広告代理店の小林利雄という青年が、駅の暗いイメージを変えようと広告壁画を国鉄(現・JR)に提案。 3年がかりで許可を得て1951年 猪熊にこの壁画の制作を依頼したのだそうです。 猪熊は、この壁画を描いたことにまつわる内容の「上野駅の壁画について」という文章を「美術手帳」1925年2月号に寄稿しました。 次のような言葉から始めています。 上野駅ということろは、東京の中で一番気の毒で不幸せな世相を反映して、家のない浮浪者、身寄りのない引揚者、堕落していく子女といった人達の暗い世界をそのまま見せているようです。 目にふれる壁画の新鮮で明るい色彩や単純な形によって、毎日この駅を通る大勢の人達の生活に希望と喜びを与えたいと考えながら着手したのです。 題は「自由」ということにしました。 描いた1951年は、第二次世界大戦終戦後から6年後。 まだ混沌とした時期だったようです。 東北方面から鉄道の終点である上野駅に、集団就職のために若者たちが専用列車でやってきたのはおそらくこの少し後です。 駅で企業の就職担当者を待っている間に、ふと見上げて壁画に目を止めた人々もいたのではないでしょうか。 どのくらいの若者たちが見上げたかはわからりませんが、壁画には混沌とした上野駅が希望に満ちた上野駅に変わるようにという猪熊の願いが込められていたのです。 その壁画が今でも残っているというのは、実に感慨深いことです。 猪熊はまた、壁画は「(描くのに)建築的な頭がなければならない」ということを認識し、 画材なども熟慮して選んでいます。 外気に触れてもできるだけ長く耐えるように工夫して描いたのです。 今もなお、明るく希望を感じさせるこの壁画を次に上野駅の中央改札を通った折に見上げてみてはいかがでしょうか。 本日ふたたびのご縁 いつも側で気に掛けて優しい言葉をかけてくださりありがとうございます お陰様で元気をいただけました トップ