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アカリ(21)
T164 B88(E) W56 H87
――夜が落ちるよりも早く
私は人間という檻に落ちた。
「SAW」という映画を、友人の家で観た。
実のところ、私はホラー映画が苦手だ。
怖いから苦手なのではない。
パターン化された様式美を楽しめるほど
私は風流人ではないのだ。
学生時代、少女趣味にも飽いた私は
「陰陽相違わず。
されば、いよいよ私も
陰食を嗜む時分であろう。
食わず嫌いは人生の損失に繋がる。」
「この志の灯火消えぬうちに
一気呵成にホラー嫌いを克服してしまえば
違わず後々の功徳にも繋がるだろうて。」
そんな活気に駆られて
レンタル店にてホラーの棚全て貸切る勢いで
ホラー映画を片っ端から
検閲していた時期があった。
大学デビューでやり過ぎて
髪を七色に染めたような店員が
13日の金曜日からハロウィン
エルム街の悪夢などを
どっさり借りていく高校生を
訝し気な目で見ていた。
七色の警戒心があまりに強いので
私はいつ年齢確認されるのか
気が気でなかった。
まさかこの中に18禁のホラーがあって
「お客様、年に反しておいたが過ぎますよ。」
などと突き返されて
周囲の物見客から嘲笑でもされたら
私は二度とこの店で
DVDなど借りれなくなる。
そんなことになれば私は
世を憂いてヤケになって
遠方のレンタルショップに出向いて
サメ映画を大量に借り込み
今頃、サメ映画普及促進YOUTUBERに
なっていたかもしれない。
人の性癖は浮世の恥辱から捻じ曲がる
可能性も大いにあるだろうと夢想した。
そうなると男性がAVを借りる時なんて
殊更に大変だ。
中高生など、背伸びをしたい年頃に
忍び足であの怪しい暖簾を掻い潜り
ありったけの蛮勇を振り絞って
選りすぐりの希望の品々をレジに提出し
冷や汗をかいて検品が終わるのを
待ちわびていたところ
「君、学生だよね?」などという
容赦ない看破の一言で殴りつけられ
年少の大陸横断の夢は悉く打ち砕かれ
偲んでチラチラと少年の冒険を
見守っていたお客たちも
その挫折のあまりに滑稽な様に
堪らず笑い声を高らかに吹き出し
もし、その中に
美貌の女子高生など混じっていたなら
これはもう立ち直れまい。
少年は赤面して遁走し
そのまま煮え切れぬ屈辱に
目頭熱くして自転車を漕ぎ
気が付けば隣町の
げに如何わしいアダルトショップ前。
開き直って門戸を潜った彼は
大量のハードコアなあれこれを
恥辱の埋め合わせの如く鞄に詰め込み
店主も少年のその物憂げな
痛々しさを縹渺とする姿に何も言わず
かくしてその男児
青年になるころには立派の変態紳士。
あれにも飽いてこれにも飽いて
性の道を究るところ余念なく
そして時たま浮世を省みて
「ああ、普通の満足で足りるものが羨ましい。」
などと、己を屈折させたあの日のことなど
忘却の空に捨て去り
かかる鮮やかで哀しいベルベットの空の下
さも性に正道があった
かの如く悔しがるのだ。
かくして人界においては
ささやかなやり取りでさえ
人の人格に大いに影響を与えてしまうのだ。
渡世のどこに落とし穴があるかしらん
もはや断崖絶壁である。
幸いにして私の借りたホラー映画に
そこまでのR指定はなかったらしく
私の心の中のリトルDJ松永も
胸を撫でおろし
ビジネス童貞を続ける
覚悟新たに消えていった。
私は家に帰って早速
一作品づつ鑑賞を始めた。
どれもこれも、展開は同じようなもので
基本的に登場人物は
童貞の主人公に処女のヒロイン。
そして友人の意地悪ジョックと
その彼女の尻軽ビッチ。
まずこのジョックとビッチが必ず殺される。
ここが山場である。
なぜかホラーに
絶対不可欠となっているものに
このジョックとビッチの濡れ場があるが
これは、あえて不穏な空気の中に
愚かな若者の淫行を思いきって
無防備に晒すことで
更に狩られる側の無警戒、無防備を
演出するのが狙いであろう。
これにて鑑賞者の不安を増長させ
その不均衡な中で展開される
エロスがアンバランスに揺れて
ジョックとビッチの快楽が絶頂
そして鑑賞者の焦燥が絶頂に達した時
待望のブギーマンが姿を現し
たちまち二人を鏖殺して
作中の覚束ない安全の梯子を
完全に外してしまう。
漠然とした陰鬱を実態ある恐怖に
一瞬にして塗り替えるその断罪者の容姿は
得てして壮観である。
ぷっちょを頬張りながらNetflixを見ていたら
急に現実に日本兵の陸軍閣下が現れ
明日からの徴兵を言い渡され
さりとてその軍服の威厳ある精悍さに
目を奪われてしまうような
そんな心持ちである。
しかしてその後の展開は特に何もない。
あるのは
新鮮な殺戮シーンを撮ってやろうという
スプラッター趣味だけだ。
13日の金曜日の犯人が
ジェイソンの母であり
かのホッケーマスクを被ったジェイソンは
全く登場しなかったことだけが意外だった。
しかし、苦行はそれからであった。
シリーズを重ねるごとに
開き直ったように展開されるマンネリズム。
殺害方法も種が尽きれば
どんどんと滑稽粗雑になっていき
私の手はいつのまにかリモコンに伸び
再生スピードは倍速、三倍速、五倍速と
加速を続けていった。
結果、私は
「ホラー映画の二作目以降は
偉大なるマンネリズムを崇拝する
コメディである」
と断言するに至ってしまった。
人間の解体の仕方を四方山に研究するならば
時代錯誤にして杉田玄白氏の書に
倣う方が効率的であろう。
私はホラーのマンネリズムを
愛することができなかった。
却って閉口した。
ホラー映画は
一作目だけで必ず留めようと心に誓った。
?アカリ?
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